日本人のマナー

東日本大震災において、被災地の方々は言いようのない苦労をなされているのですが、その避難生活における日本人のマナーの良さを…各国のメディアがこぞって賞賛をしてくれている。 

【14日付の韓国の東亜日報】

「(都内に住む在日韓国人の)李氏は思った。『これが先進国ということか』。大地震が襲っても、誰一人、大声を出したり泣きわめいたりしなかった。驚くのは(地震発生時に李氏がいた)ディスカウントショップの商品を持ち出す人が一人もいなかったという点だ。買い物客は皆、買い物かごの商品を元の場所に戻し、建物を出た。大地震や大火事が発生すれば、犯罪や略奪、無秩序が横行するという話は、少なくとも日本では“遠い国”の話だった」 

【同じく14日付の韓国の中央日報】

「(南三陸の)最大被害地域では、行方不明者1万人といううわさが出回る。しかし恨みの声は聞こえない。避難所に集まった100人余の住民らはメディアのインタビューに『早く復旧を願うだけ』と“明日”について話す。誰のせいにもしない。」 

【アメリカのCNN】

「略奪という行為は日本では発生しない。我々がこの言葉から受けるのと同じ意味を持つ日本語の単語が存在するかどうかも疑わしい」 

危険の中でも日本人は法を遵守して秩序を守り、他人をいたわる心を忘れない。私はこのような素晴らしい国に生まれたことを誇りに思う。たまたま東京の被害は小さかったのだから…なお一層被災地に対する支援や節電等に頑張らねばならないと、あらためて強く感じる。 

しかし…その一方、義援金を名乗る詐欺や、火事場泥棒のような事件も少ないが起こっているようで悲しいことだ。そんなことをして一時得をしたように見えたとしても、かえって罰があたって後が悪くなるだけのことですよ!

また、政治家が「災害は天罰」とか「天の恵み」などと発言をして問題になっているが、これは一体どういうことであろうか?そのような人間に市民のリーダーたる資格があるとは思えない。 

他人の痛みや苦しみに「共感」できるという能力のみが、人間が他の生きものに対して唯一勝っていることなのであって、それを忘れたら畜生以下の存在である。 

「お互いにまずは人間であり続けよう!」

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被災寺院への支援物資の運送

東日本大震災においてお亡くなれた方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。また被災された方の一日でも早いご回復を心よりお祈りさせていただきます。 

この度22日から23日にかけて被災地へ行ってまいりましたので、私の目で見てきた現況のご報告をさせていただきます。今回は乗泉寺門末のお講師2人と一緒に、被災寺院へ支援物資を運送し、かつ現地の状況を掌握するために視察のような役目です。 

22日早朝、ワゴン車に支援物資を満載して渋谷を出発。今回の積み荷はミネラルウォーターや乾パンやお米、それから募集をかけた毛布や防寒具、ガスボンベや灯油などの燃料系、日常の消耗品や薬など、被災地で困窮している方々が急場をしのぐのに必要と思えるような物資を出来るだけかき集めました。 

緊急の除外車両指定を受けましたので封鎖中の東北道を通じて仙台宮城インターまで行けましたが、それでも仙台の妙護寺さんに到着したのは夕方になってしまいました。ご住職からお寺の被災状況をご説明いただきましたが、本堂の被害が大きくて素人の手には負えない状態にあります。

仙台市内は電気や水道も復旧してライフラインが少しずつ整ってきているようですが、それでも建物の受けたダメージやご住職はじめご信者さん方の傷心回復には時間がかかることでしょう。

それにつけても、妙護寺のご信者さんの安否は全て確認がとれているそうで少しホッと致しました。 

その後、同じく仙台市内の妙法寺さんへ移動、岡山尚賢師と竹村龍悟師の出迎えを受けてワゴン車の荷物を全て下ろしました。一段落してから気仙沼や石巻のお寺の状態を伺いましたが、沿岸に位置するお寺の建物は高台にあるためか被害は少ないそうです。しかし、いまだ行方不明のご信者さんもあるようでその安否が殊に心配されます。どうかご無事であって欲しいと祈ることしかできない我々。もどかしさを感じているのは誰でも同じ事でありましょう。 

晩は妙法寺さんに宿泊させていただきましたが、夜間に余震が3・4回ありその都度に目を覚ましました。だいぶ大きな揺れに感じたのですが、翌朝確認するとそれでも震度2。建物の土台や柱に影響があったためか、日に日に地震のゆれが大きく感じられるようになっているとのこと。被災地で生活を続けている人達にとっては、余震の恐怖がドンドン拡大していっているのかもしれません。 

23日朝、昨晩遅くに支援物資を運送してこられた妙深寺のご住職と教務さん3人、妙現寺のご住職とご信者さん一人、本庁から役員の教務さん2人が妙法寺に集結しました。皆で打ち合わせをした結果として、妙深寺と妙現寺のトラック3台が気仙沼へ支援物資を運び、我々3人は妙法寺に残ってお寺の崩壊した外壁にブルーシートを貼る作業をすることになりました。 

妙法寺の外壁は至る所にクラックが入っていて、酷いところは外壁一面が丸ごと崩れてしまい雨ざらしとなって夜風も入り込んでくる状態でした。雪のちらつく中での作業で、手に力が入らずハンマーも上手くふるえません。ちゃんと風穴が塞がっていればいいのですが、素人作業でしたのでちょっと心配です。

これは妙護寺にもいえることですが、早急にプロの建築屋へ依頼しなければダメでしょうから、そういう意味でこれから先の復旧には、まとまったお金を送らせてもらうことが何よりの援助になるのではないでしょうか。

それと私が個人的に感じましたことは、これから被災地へ行く人の心得事として、被災者に対する心遣いの出来ない人は、気軽に現地へ行こうとするのは考えものかもしれません。

現地の人は自分が被災者であるにもかかわらず、それでもこちらを客人扱いして下されます。

いくらこちらが遠慮をしたって、あちらは配慮をしてくれるのです。ですので、諸々の配慮をさせない心配り、それを出来る自信があれば現地へ行くのも良いでしょう。しかしそれが出来ない無遠慮の人ならば、被災地へ行ってもご厄介をかけ、被災者に負担をしいり、結局は何をしに行ったのか分からなくなります。私も全くそうであったのではないかと反省しています。 

もちろん十分な準備と計画をしたつもりでもそれですから、支援物資を配送するだけの人でも細心の注意が必要です。とりあえず何か出来ることをしたいという気持ち、その心を抑止するほうが相手のためになるのかもしれません。 

以上、簡単ですが皆様に現状をご報告申し上げます。

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お彼岸

東日本大震災においてお亡くなれた方の御冥福を心よりお祈り申し上げます。また被災された方の一日でも早いご回復を心よりお願いさせていただきます。 

お彼岸とは、春分・秋分の日(中日)を中心に前後一週間のことをいいます。仏教では、魂は永遠に続いていくと説かれており、このお彼岸の時に先祖の魂をご回向することを大事にしております。

回向という字は、回し向かわすと書きますが、これは自分が仏道修行に励み、その中で積んだ功徳を他に回し向かわすという意味があります。ですから、自分だけがよくなろうというのではなく、他の人にもよくなってもらいたいということが回向という行為の本質というものです。 

考えてみますと、私達人間とは、自分だけでこの世に存在しているのではなく、父や母がいて生を受け、その父母もそれぞれの両親と繋がっています。また、いろいろな方やあらゆる自然の恵みと繋がっているからこそ、私達はこの世に存在することができているわけです。

そういう繋がりを感じ、お陰様という感謝や敬いの気持ちをもち、その恩に少しでも報いることができるようにと、自分が積んだ功徳という幸せを送って差し上げる。そうした尊い心がご回向の心というものなのです。

ご回向させていただけば、ご先祖はどれほどお喜びになられるでしょうか。

そして、そういう回向の心を自分と繋がる様々なものに対しても常に起こしていくことで、私達の心も清くなっていき、我が身の果報も増していきます。

佛立宗では、常盆常彼岸といって、日ごろから先祖の恩を感じ、ご回向を大切にしておりますが、お彼岸の際には特にご回向の気持を大きく表していきます。

またご回向で大事な心得は、功徳を積んでいくということです。功徳を積まなければ、亡き霊魂に対して送り届けるものがなにもない状態といえます。その功徳の積み方も上行所伝の御題目でさせていただくのが一番結構なものなのです。 

お互いにお彼岸を迎えるにあたりご先祖や有縁の方々、そして、東日本大地震でお亡くなりになられた方のために、上行所伝の御題目口唱とお寺参詣に励む回向行に、より力を入れていきましょう。

それも今、私達にできることの一つだと存じます。

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一歩立ち止まって考えよう!

連日、東北大地震の被害がたくさん報道されている。いまだに安否がわからない方。物資が届かず寒さと飢えに必死で耐えながら生活している東北各地の避難所の方々。我を忘れて懸命に救援活動に奔走している方々。福島第一原発で命をかけて作業にあたっている作業員の方々。辛い状況が続きますが、本当にがんばってください。 

さて、私がいる東京はというとどうか。交通網の麻痺。計画停電。食料・燃料不足等の問題が連日報道されている。その中でも買いだめの問題が深刻になっているようだ。確かにいろんな情報が錯綜して、不安がつのり、そういう行動に出てしまうのもしょうがないのかもしれない。 

しかし一歩立ち止まって考えてもらいたい。被害が少なかった私達がガソリンや灯油、食料や生活必需品を必要以上に買ってしまうということは、そのしわ寄せはどこに行くかと言えば、それは被災した東北の人達に行ってしまうのである。私達がもう少し冷静になって、多少の不自由があってもそれを耐え忍ぶことが実は被災した人達を助け、被災地の復興を一日でも早めることに繋がるのである。 

また、特に東京都にいる我々は計画停電からはずれている場所が多い。他の停電している地域よりも余計に節電に努めなければいけないと思う。 

現実問題、今現在悲しみに耐え、とてもつらい状況に歯を食いしばって、必死に生きている人達がいる。その事を我々被害が少なかった地域の者達は忘れてはいけない。

こんな今だからこそ、自分よりもまず他の人のことを考えよう。それが今、被災していない地域の人間にできる復興支援なのである。 

一日も早い被災地域の復興を心から御宝前にお願いさせて頂きます。また今自分に何が出来るかを今一度真剣に冷静に考え、行動して行きたいと強く思っています。

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震災地よりリポート

おはようございます。野本信生です。落ち着いたので、まとめてご報告致します。なお、今の現在地が圏外のため、ある場所からしか、TELとメールができませんので、ご了承ください。 

■3/13 11:00出発、国道4号線のみ通行可能、

■3/14 01:00妙護寺着

02:00妙法寺着泊、電気水道OK

08:00タイヤパンクのため交換

11:00妙法寺発

14:00新花巻駅、弘通車ガソリン少しのため駅に置き、慈念寺の車で向かう

18:00慈念寺着泊 

帰りの手段はガソリンがないことには、なにも始まりません。 食事は一汁とゴハンのみ、住まいは良いほうで灯油の反射式ストーブあり、トイレOK、電気ダメ、TELダメ、余震常にあり、火葬許可おりない、遺体は検死必要、信号ダメ、風呂ダメ、御看経すらできない状況。 

■3/15 7:00~08:00やっとお看経ができた。ラジオOK、ラー油あり、お寺の周りみんなのんき。比較的良い状態で生きています。

3/19のあゆみ会の件が心配です…。 以上です。この状況を報告、よろしくお願いします。

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東日本大震災被災寺院の状況②

当ホームページ内「妙証だより」に、地震関連の新しいニュースをアップさせていただきました。

一刻も早い災害の収束と一人でもたくさんの方のご無事を心より祈っております。 

また、乗泉寺では昨日より「東日本大震災に対するお見舞い・義援金」の募集をはじめ、本堂寺務所前に募金の箱を設置させていただきました。皆様のご協力をお願いいたします。 

なお、今回の災害を受けて、宗門により「本門佛立宗 東北地方太平洋地震災害対策本部のブログ」が立ち上がりました。以下にURLを表示いたします。

乗泉寺のホームページでも、独自に入った新しい情報は逐次アップさせていただきますが、宗門からの情報も併せてご覧ください。

 http://ameblo.jp/hbs-higaijoho/

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東日本大震災被災寺院の状況

東日本大震災にて被害に遭われた方々に対して、謹んでお見舞いを申し上げます。

大規模な停電等で連絡がとれず、心配をされている方も多いと思います。

被災をなされた東北の佛立寺院の安否が気にかかりますが、横浜の長松清潤師がブログに今のところ手に入る情報(3月12日現在)を載せてくださっていたので、それをここに転載をさせていただきます。

情報が錯綜していますし、状況は刻々と変わっているでしょうが…以下

 

■第7支庁 清松寺 青森市

本堂建物は無事だが壁に亀裂あり。青森市内は無事。教務寺族は無事。ご信者の安否確認はできておらず 

■第7支庁 妙運寺 いわき市 

本堂にヒビ相当あり危険。辛うじて建っている状態。信徒と連絡とれず 

■第7支庁 耀護寺 仙台市宮城野区 

電話連絡不通。地域的に津波被害の中心地。安否確認できず 

■第7支庁 弘妙寺 宮城県多賀城市

7:30現在 本堂内壁はく離・停電中(信徒 木田氏より連絡)清貞師が向かっている 

■第7支庁 福寿寺 宮城県大崎市

7:30現在 本堂外観は無事だが本堂・庫裏散乱。 

■第7支庁 佛立寺 福島市

石塀5m倒れる・その他内陣の御道具すべて倒れて破損・御宝前のガラス3枚破損・建物は被害なし 

■第7支庁 福泉寺 福島市

被害なし 

■第7支庁 妙法寺 仙台市青葉区

電話連絡不通。壁が崩落。本堂に入れないとう一報あり 

■第7支庁 清護寺 気仙沼市

本堂崩壊ダメ 

■第7支庁 遠泉寺 福島県郡山市

7:30現在 門柱転倒、外壁崩壊、庫裏も損傷大・建物は鉄筋が出て壁の大きな塊が散乱・入り口門は完全に倒れ片方は動いて不安定・墓地全壊。階段転落のためケガ人あり。余震分ごと・水出ずガス出ず・漏電の恐れのため本堂閉鎖・支援求む 

■第7支庁 妙護寺 仙台市太白区

本堂100%ダメ 

■第6支庁 清演寺 山梨県甲州市

寺院被害なし・信徒宅被害なし 

■第6支庁 廣正寺 山梨県甲府市

灯篭の上部が倒れ一部曲がる・信徒宅被害なし 

■第6支庁 歓要寺 新潟県

被害なし 

■第5支庁 長福寺 千葉県鎌ヶ谷市

本堂常夜灯落下のため修復必要・内陣床破損・信徒会館壁落下等

■第5支庁 開運寺 茨城市水戸市

7:30現在 法宅屋根瓦が全崩落。(建替必至)壁にヒビ。本堂は無事。開運寺も停電で連絡方法がなく、プリペイドの携帯から。約150人をお寺に収容後、避難中。電話連絡可 

■第5支庁 開運寺日立別院 茨城市日立市

お寺亀裂相当有り。津波被害甚大な地域。信徒と連絡とれず。 

■千葉県房総布教区一円の寺院では甚大な被害にはいたっていないということ。御教務・御信者の安否確認済み 

■第7支庁 広宣寺 岩手県盛岡市 

本堂の壁がはがれている。ご尊像は動いただけで倒れていないが、内陣は被害あり。ご信者宅の御宝前が倒れたという報告。 

■第7支庁 広宣寺八戸別院 青森県八戸市

壁等が被害を受けいる様子。信徒の確認はできず。 

■第7支庁 慈念寺 岩手県釜石市

連絡綱がならず。住職が車で現地に向かっている。 

以上

…とのことです。乗泉寺にも少しずつ新たな情報が寄せられております。そちらの方は随時妙証だよりの方に掲載させていただきますのでご覧ください。一刻も早い災害の収束と一人でもたくさんの方のご無事を心より祈っております。

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猊下のお看経

御講有猊下こちら京都は今まさに「三寒四温」といった具合で、春を思わせる様な暖かい日もあれば、雪がちらつく日もあります。毎日天気に揺さぶられながら過ごしております。 

毎月本山では月初めの御総講に併せて、一万遍口唱をさせていただいております。 

今月の一日も恒例の一万遍口唱をさせていただきました。この時は学生教務が出座することができ、3つの班に分かれて一時間ずつ交代でお看経を上げます。

私の班は最後の一時間でした。(出座以外は外陣でお看経や法鼓を叩いてます。) 

そこで驚いたのが猊下のお看経です。出座しているどの教務よりも大きな声でお看経をあげられておりました。私もマネをしようといつもより、張り切ってさせて頂いたのですが、普段あまり大きな声でお看経をしていないせいか、どうしても猊下のお声にはかないません。 

くやしいなと思いながらしばらくお看経をしていると今度は猊下の木琴のスピードが上がってきました。私は猊下のスピードに追いつこうと必死で拍子木を叩かせていただきました。久遠偈を迎えるころには私の手は麻痺状態になりましたが、最後まで猊下に併せてお看経をさせて頂くことができました。 

猊下は今月の8日で80歳を迎えられます。私とは約50歳はなれており親子以上の年の差があるのに、お看経の声とスピードでもかないません。

一万遍口唱の後猊下が「法鼓、拍子木がお看経を引っ張るのです。法鼓、拍子木がお看経の足を引っ張るようでは駄目です。もっと練習しなさい。」と学生教務にお折伏いただきました。 

今回の一万遍口唱で改めて猊下のお看経の凄さを感じさせて頂いたのと同時に、自分が普段から意識して良いお看経(法鼓、拍子木)をさせて頂かなくては駄目だなあと思いました。

来月の一日に向けて早速今日からお看経の改良をさせて頂こうと思います。

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臭い仲

本を読んでいて、そこに出てきた「臭い仲」という言葉になんとなく引っかかった。「臭い仲って」って、どう臭いんだろうなどと思い始めたら、ますます気になって、さっそく「におい」に関する情報をインターネットなどで調べてみました。 

「視」「聴」「嗅」「触」「味」の五感の中でも「嗅」というのは脳にダイレクトに伝わるものらしい事が判明。新聞社のアーカイブには「ガス自殺を図った」男性が、みそ汁のにおいで死ぬのを思いとどまった事例があり、専門家の「母親の思い出がよみがえったのかもしれません」といった話が出てきた。 

嗅覚に関する所では、においの持つ意味を知る事を発見。それは何よりも敵か味方か、あるいは危険か安全かの区別の予知だそうで、これは「臭い仲」をあれこれ推測する上で役立つ。こう見当をつけてみると、まず男と女が出会う。相手に危険は感じられない。互いに近づいて接近すると、体臭はじめ、色々におうものがある。でも嫌いじゃない。苦手なにおいも、この人のにおいと思えば我慢できる。というより、いとおしい。そうして二人はもろもろのにおいを共にする間柄、即ち「臭い仲」になる。 

しかし、ここで疑問がひとつ。「臭い仲」というのはもっぱら他者の関係を表しての言葉であり、こちらから見ていてどうしてそういう仲とわかるのだろうか。私はこう推測しました。

二人には、それなりの気配があり、その気配を漂わす元は、やはり、においを共にした仲から生じたものだから。そして同時に「臭い仲」を嗅ぎ取ると云うのも一つの才能、つまりは「鼻が利く」ということだ、と。 

念のため手元の辞書で「くさい(臭い)」を引いてみた所。(1)いやなにおいがする(2)あやしく、疑わしいところがある--とあるから、「臭い仲」は(2)で一応の説明がつく。しかし、これでは当たり前すぎて面白くもなんともない。そう実感すると、言葉の背後を探るのもいいように思えて、またまた、インターネットで検索。 

詩人の谷川俊太郎、和合亮一両氏の対談集「にほんごの話」で谷川氏はこう語っています。

「どんな言語も言語に定義されているだけで、その言語の基本にある、人間の一個の肉体の体験が見えないんですよ」

と、逆に自分たちが日常使う「ことば」は、自分の体験から発するもの。いい加減な気持ちで会話をするのではなく、一語一語責任を持って発する。あるいは、責任を持って相手の言葉を聞く。と云う行為が相手への敬意となって会話を盛り上げ、大切な事柄の会話が出来るようになる。 

今後、一つ一つの言葉から生身の人間の反応を嗅ぎ取るトレーニングを時々やってみようかなと思っています。

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子供の話

私が小さい頃は親にゲンコツを受けるなんて良くあったことで、また小学校でも教師にはゲンコツされて育ちました。しかし中学くらいから教師の体罰が話題になり、今そんな教師がいたらPTA問題になり、モンスターペアレントという過保護な親がすっ飛んでくるとの事です。

しかし信者さんとのお話しで昔の話をよく聞かせていただきますが、昔はゲンコツされたとしたら「教師にゲンコツされるような悪さをしたのか!」となり再度親から説教になるのが当然だったそうです。 

そんな親の反応も、昔と今では全然違います。例えば私が子供の時、体育の授業の時に他のお子さんと思いっきり頭同士をぶつけてしまいました。私の方はたいしたことはなかったのですが、相手の方はそのまま熱を出してしまったそうです。そのときも一緒に相手の家まで出向いて謝罪しにいったものです。それが今ではこっちからぶつかったとしても「うちの子供になんてことをするんだ!」みたいな過保護がよくあるそうです。 

そのせいか今では「責任感」というものがあまりない子供たちが増えているようです。私が郵便配達のバイトを始めた時も、先ず最初に何度も何度も聞かされた事が「郵便物をくすねないように、捨てないように」ということです。そればかり何度も何度もビデオを見せられながら繰り返されました。というのはやはり実際そのような事件が多数おきたことが原因だそうです。他人の年賀状を配達するのが面倒くさいから埋めてしまおうとか、他人の現金書留を少し貰ってしまおうとか、そんなことが起こったそうです。また、ここまで悪質でないにしろ、バイトの時間に来なかったり、ちょっと怒ったらもう辞めますとそっぽ向いたりという話を聞きます。 

そんな子供たちには是非お寺に関わってほしいのです。色々な責任を背負う役中さんや他のお役を頂いているご信者、また同年代の青年会員等、関わって、知り合って、友達になっていい影響をお互いに与え合っていけたら、きっと実社会に対しても良い経験になると思います。

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一歩前進・心懸け次第

梅ある地方のお寺で御奉公させて頂いた時のことを思い出した。十数年前にも御奉公に上がったことがあるお寺です。現在は、以前の面影がないほど周りの環境も変わり、寺内の増改築と境内の整備がなされびっくりするほどであった。

ただ、第一印象として残念なことに寺内全体が何となく薄くらい、ご宝前の御威光も薄いように思われたのである。私だけであろうか?何故だろう? 

ご信者も暗い。これではいけない、先ず何とかお寺全体を明るくし、笑顔で御奉公するご信者に戻す御奉公が開始された。なんと言っても御宝前が暗くてはいけない。その為御宝前の荘厳、お給仕、お看経と教講で改良に励んだ結果、数ヶ月後、お参詣するご信者の間から、「お寺明るくなったね」と有難いうれしい言葉を聞いた。信者にも笑顔が戻ってきた。お寺でお講席で笑い声が聞こえる。すばらしいことである。 

もう一つ、今まで解放されていなかった立派な正門と裏門である。近隣との接触があまりなく孤立していたようなお寺。これではいけないと門の開放をした。車以外の通行を自由にした。次第に通行者も増え、「おはようございます」「こんにちは」の言葉を交わすことが出来た。その内、町会より小学生の集団登校道としての要請があり、翌日より生徒達がならんで登校する姿が何とも言えない心和む光景である。丁度、朝の霊堂お看経時が登校時間、子供達との「おはようございます」の挨拶、清々しい気持ちの朝から御奉公が始まる。

とても良い雰囲気、理想の明るいお寺作りの第一歩を踏み出したところで他寺院御奉公を終え帰山した。 

あぁ・・思い出話をしてしまった。

ちょっとした心懸け次第でお寺も人の心も変わる。ご信心の世界も、感謝の心を以てみ教えを信じ守り、努力精進することで見えない世界が見える。有難い御利益の世界に身を置き、毎日の生活も充実することでしょう。

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育成、人づくりご奉公のヒント

大手コンビニエンスチェーンのセブン・イレブンでは、学生アルバイトでも始めて3カ月も経つと、経営について一家言を持つようになると言われています。 

発注分担といって、商品管理を店長等に全て任せるのではなく、バイト学生にも担当商品ごとに自分で仮説を立てて、売り上げ目標を設定させ、商品を発注、ディスプレーなどを考えて貰い、その結果を検証していくそうです。 

日々の実践、成功や失敗の繰り返しの中で、自信とやりがいがそれぞれに植えつけられているようであります。 これは欧米の経営学者からも注目を集めている経営方法の一つようです。 

セブン&アイ・ホールディングス代表取締役会長兼CEOである鈴木敏文氏は 

「人間にとって大切なのは、やはり、仕事のしがい、働きがいです。給料の高い会社は社員が定着し、給料が少しでも安かったら、離職率が高まるかといえば、必ずしもそうではなく、逆の場合もあります。要は自分の存在価値がそこにあるかどうかです。人間は善意の生きものですから、自分を啓発する力を誰もが秘めています。それを引き出すキッカケやシカケがその場にあるか。セブン・イレブンの場合、自分で責任を任され、成果を出していく経験が自己啓発力を引き出しているのです。」と述べております。 

系列店のザ・プライスという店舗でも同様のことがあったそうです。第1号店の西新井店での話です。07年、西新井店の近くに大型商業施設が開店。新店舗を核に専門店などが出店し、周囲の予想通り、西新井店の売り上げは激減したそうであります。勿論パートたちも活気を失ったのでありました。 

そこで、売り上げが低迷しているザ・プライスを引き続き、ローコストで運営する為には、直接の経営を現場で仕事をしているパートに一任して、それぞれが自主性を生かして、仕事に取り組むように改革を行ったそうであります。 

すると職場の環境は一変。3ヶ月もすると、そこには人が変わったように生き生きと働くパートたちの姿があったそうでございます。 

対照的なのが中国・北京での話です。北京に進出した系列店のヨーカ堂の店舗では、上記運営方針の下、現地の中国人社員が次々育っていき、やがて競合から、その社員達がライバル店舗へ破格の給料で引き抜かれるようになったそうであります。 

ところが、その転職先には力を伸ばせる環境がなく、あれ程やり手であったハズの社員達が次々と契約を打ち切られるケースが相次いだのであります。 

「重要なのは個人と環境のマッチング」だと鈴木氏は言います。 

「本人に責任を持たせると同時に、失敗してもそれを活かせるようにする。部下は自己啓発力を持つ一方で、自己正当化を図る存在でもあります。失敗すると理由を並べ、つじつまを合わせようとします。それを鵜呑みにしたら部下は育ちません。 

教育とは答えを教えることではなく、気づきを与えることです。部下が自己正当化を始めたら、限界意識が芽生えている表れで、あえて部下を追い詰めて今の方法では駄目だと気づかせ、殻を破らせる。限界を突破できれば、自信がつきます。 

上司が仕方がないと思ったら、部下も自己啓発力を引き出せず、組織は活力を失っていくことでしょう。」と鈴木氏は述べておられます。 

うむむ、、深い内容です。。非常に耳が痛い内容でもあります。 

勿論、ご信心は営利目的ではありませんが、鈴木氏の言葉を御奉公の場面にも置き換えることは出来ると思います。 このセブンイレブン式の経営の理念を、何とかお寺や教区・部内、また各教養会の御奉公の現場でも生かすことが出来ないものか、、、 

私達ご信者としての「生き甲斐」、御奉公の「させて頂き甲斐」、今の時代の乗泉寺、佛立宗には何が必要なのか、、、 

生意気ですが、現状では、こういった当たり前のことが、ひょっとすると無反省になっているのやもしれませんね。。。

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