大震災犠牲者慰霊・被災者激励助行

震災助行①平成23年5月10日(火)に水戸・開運寺と、いわき・妙運寺に、教務3名・講務26名によって、行方不明者を含む犠牲者の慰霊と被災寺院・被害者へのお見舞い助行に行って来ました。50名乗りのバスつもりが、何と27名乗りでした。急遽乗用車を出していただきました。(私のミス・・・反省) 

朝7時にバス(ご信者のバス会社)に乗車。以下の予定で出発しました。行程は… 

【午前7時】 乗泉寺出発(バス)【午前 9時30分】 水戸・開運寺到着 お助行

【午前10時30分】 水戸・開運寺出発【12時】 サービスエリアにて昼食

【午後12時30分】 いわき・妙運寺到着 お助行【午後1時30分】 いわき・妙運寺出発

【午後3時】 ご回向(海岸にて)【午後3時30分】 出発【午後7時】 乗泉寺到着

震災助行②渋滞もなく順調にバスは水戸に到着しましたので時間調整をして、9時30分ちょうどに開運寺に到着しました。

さっそく、本堂に入り30分のお助行をした後、ご住職より現況報告をしていただきました。地震当初の状況・近所の人々が避難したこと・家がねじれるように、右が下がり左が上がっているとのことで、お話の後、境内を見せていただきました。

正直、住むことも、建て替えることも出来ず、当分手をつけられない、先行き真っ暗な状態としか言えないという感想でした。(大変)

次は、いわき・妙運寺に向かう為、バスに乗り込みました。途中、中郷サービスエリアにて早昼食(先は地震で昼食が出来る場所がない為)。 

私はこの時間を利用して、乗用車(私にとってはお計らい)にて、2年前に教化した四ツ倉に住む能勢さんのお宅にお助行に伺いました。と言っても、時間がない為、ただ顔を見せに行ったと言った方が正しいかも・・・(笑)。

能勢さんとはお彼岸の折、世田谷別院にて、お位牌とお数珠を渡す約束をしていたのですが、この地震で延期になっていたのです。 

四ツ倉は原発事故のあった第一原発より30キロの位置で、普通だったら避難するのですが、一人息子さんが第一原発の社員で電源回復の作業をしている為(一度だけ帰って来た)、未だに帰って来ません。息子が頑張っているからという理由で現在地に残っているのです。この地域は高台なので、被害は最小限だったのですが、すぐ側まで船が上がったそうで、海岸は津波で見るも悲惨な状態でした。 

携帯がなり、バスがまもなくサービスエリアを出るとのことで、慌てて出発しました。(こちらでは、すぐそこが10キロ。・・・)遅れたら大変とこの10キロ先の妙運寺に向かいました。妙運寺はバスがやっと通れるような梨畑をえんえんと走る処にあり、何もなければ素晴らしいお寺という第一印象でした。何とか滑り込みで間に合い、皆と合流してお助行をさせていただきました。

住職のお話ですと、このお寺は原発に一番近いお寺。300メートル先で放射能が測定され、タケノコも梨もいっさいダメ。それでも作業をやめると、畑がダメになる為、複雑な気持ちで働いているそうです。このままではお寺を閉鎖しなければならなくなる危機を抱えているそうで、これまた・・・大変。

震災助行③震災助行④

 

 

 

 

 

この後、小名浜海岸。美空ひばり「みだれ髪」の歌詞に出てくる「塩屋の岬」が大変な被害とのことで、つなみによって行方不明者のご回向の為、向かいました。海岸には、降りられないということで、バスの中に御本尊を奉安し、走りながらお看経をしました。近くに行くと目の前に倒壊した家々を見るなり、一同声をあげてお看経をあげはじめました。

残念なことに塩屋の岬は通行禁止のため、断念。五浦(いづら)海岸に向かいました。有名な「六角堂」も流されていました。当日は予報では大雨で、乗泉寺から大きな傘を持ち込み、覚悟はしていたのですが、一度も傘を使うこともなく、お計らいをいただきました。

一同未曾有の大震災を目の当たりに見せていただき、複雑の思いで一日も早い復興を願い、出来る限りの支援をしたいと心に思いました。予定通り、ちょうど7時にお寺の門をくぐりました。(運転手さん、ありがとうございました。ご苦労様)

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