臨終の姿

先日、私のお受持のご信者さんで、長年、部長の御奉公をされてきた女性の方が80歳でお亡くなりになられたと連絡がありました。早速、枕経(通夜、葬儀の前にする御回向)をさせて頂く為に、お宅に伺いました。ご遺体を拝見させて頂くと、なんとそのお顔はとても白く、満面の笑みをたたえておられるようでした。私は思わず「すごい!にこやかに微笑んでいらっしゃる」と声をあげてしまいました。 

枕経が終わり、息子さんにお話を伺うと、「母は一切泣き言を言わない人で最後は末期の膵臓ガンになりましたが、入院するまでお寺や教区の御奉公を休まず、亡くなるその日まで痛い、苦しいということは一言も言いませんでした。でも本人はさぞかし苦しかったんだろうと思います。それがこれだけ笑っている母の姿を見て、本当にこのご信心は有難いということを痛感しました。」と私に話して下さりました。確かについ最近までお寺で御奉公している姿を私も記憶しております。 

人の一生はその人の臨終に現われると教わります。まして、ご信心をしっかりされた人はこのような姿を現わすのだということを、改めて学ばせていただきました。このご信者さんのように、ご信心をしっかりされると、素晴らしい臨終の姿を現し、残された者に対しても、上行所伝の御題目のご信心の有難いことを身をもって教えて下さる。最期の最期まで我々にお折伏くださり、御弘通の御奉公をされるんだなぁとつくづく感じました。それとともに、自分の信行御奉公がまだ足りないことに気づかせて頂きました。 

お祖師様日蓮聖人は、「人は臨終の時、地獄に堕る者は黒色となる上、其身重き事千引の石の如し。善人は設ひ七尺八尺の女人なれども色黒者なれども、臨終に色変じて白色となる。又軽き事鷲毛の如し、軟なる事兜羅綿(とろめん)の如し。」(千日尼御前御返事・昭定1598頁)と仰せでございます。 

御意をいただきますと、生前の行いが良く、たくさんの功徳を積んだ人は、                           ①遺体の色が白い。②遺体がまるで鳥の羽のように軽くなる。③遺体が死後硬直無く、まるで綿のようにやわらかい。 

自分にもやがて臨終を迎える時がやってきます。はたしてどのような姿になるのだろうか・・・。今のままでは到底、このご信者さんや、お祖師様の仰せられた様な姿とはいかないだろうなぁ・・・。しっかり信心改良して、御奉公にがんばらねば!と思う次第であります。

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支え

1雪景色月23日の夜、やんわりと雪が下りてくる様子は、とても懐かしい感じがしました。

予想どおり翌朝には、境内一面に雪景色が広がり、上京して以来初めての光景です。 

雪が多く降る所に生まれた私は、常に降る雪がイヤなものと頭の中で位置づけていました。

しかし、たまにみる雪は、なんだか嬉しい気持ちになり、上京前後の受け取り方に変化が生じたことに自分でも驚いているくらいであります。 

それにしても東京で降るくらいなので、やはり出身地のことが気になります。豪雪地帯なので、いくら雪かきをしても一向に雪を取り除くことはできませんでした。寒中は毎日がフル稼働ですから、心配している次第であります。 

外出中に、ふと、点字ブロックが見えないことに気付きました。日常生活でそれを頼りにされている方は、このような状況になった時、何を目印にして、どうやって歩くのだろう、これでは外出もままならないのではと感じました。そのように感じながらも、雪で覆われた数多く並ぶ点字ブロックに、自分は何もすることができず、自分が無力さにもどかしくなりました。そんな無力な私ですが、せめてお寺参詣される方が足下を滑らせることがないようにと、参道の雪かきをさせていただきました。 

気づかない所で、誰かが何かを支えとして生きているものだと思います。私自身もまだまだ未熟者で、気づかない部分が多くあり、誰かの支えとなれるものではありませんが、ご信心に励み、少しでも他の人の支えとなれるよう日々精進していきたいと思います。

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備えあれば憂いなし

消防訓練ありがとうございます。京都は寒い日が続いておりますが、寒さに負けず「寒参詣」に教講一同頑張っております。乗泉寺の皆さんも「寒参詣」に引き続きお励み下さい。 

先日、本山宥清寺で「消防出初め式」が行われました。本山宥清寺には自衛消防団があり、私共学生教務はその一員として活動しております。

今回の出初め式ではまず、学生教務が正面の門より境内の本堂正面前まで行進をしその後、猊下から御訓示を賜わり最後に消防訓練を行いました。 

訓練ではまず、本山の境内にある消火栓、事務所のそばにある室内消火栓、初期消火をする為の消化器に学生教務がそれぞれ待機し、消防隊長の合図でいよいよ訓練の開始です。私は室内消火詮の元栓を開ける役割でしたので、消火栓の中にあるホースが延びたのを確認して栓を開けました。

すると思っていた以上に水圧があり、どのくらいの力があるのか筒先をもっている学生の方を見てみると本山の瓦の中段くらいまで水がとどいておりました。「室内消火栓も結構パワーがあるのだなあ」と私は感心しながら他の消火栓の方を見てみると、境内にある消火栓は室内消火栓よりももっとパワーがあり、本山の屋根を越えるくらいの勢いがあり驚きました。 

自衛消防団の役割は基本的には初期消火ですから、しばらく放水していると地域の消防団の方が到着し、その方に学生が持っているホースをバトンタッチして私共の訓練は終了しました。もうしばらくすると今度は消防車、梯子車、救急車が次々に本山の境内に到着、消防署の方が放水して全体の訓練が終了となりました。 

今回の訓練で感じたことは、落ち着いて自分の役割をしっかり果たすことと、もうひとつは自分のお寺は自分で守るのだという意識がやはり大切だと思いました。「いざ」という時にパニックになってしまわないように日頃から、今日の訓練のことをイメージして残りの学生生活を送りたいと思います。 

東京も京都と同じく乾燥している日が続いているようですので、くれぐれも火の扱いには充分注意して下さい。「備えあれば憂いなし」で日頃から自分の家が火事になったらどのように行動するべきか、各家庭でよく話しあっておく必要があると思いました。 

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まわりを思いやる心

椿ご信心でには「化の功己に帰す」という言葉があります。他の人によい影響を与えれば、それが自分にも帰ってきて我が身に徳を積めるという教えであります。 

人の幸せになる事なら労を惜しまず協力してあげましょうという行いで、目先だけ見れば損のように思われますが、必ず将来良い結果が訪れるものであると諭されております。 

こんな話しがあります。 

江戸中期九州・四国・中国地方に大飢饉(ききん)が起こり餓死するもの96万人以上に及びました。中でも伊予(愛媛県)地方は虫による害が激しく,穀類や大根・南瓜(かぼちゃ)・茄子(なす)の類に至るまで立ち枯れとなり、困窮は極限に達し、木の芽、草の根、地に這う虫までも食いあさる有様であったので、麦蒔きの季節が来ても、種など残してる家は一軒もなかったのです。 

ところが松山の筒井村に住む農家の作兵衛は、僅か三反(幅1メートル長さ30メートル程)作りの農家で70歳になる老父、家族は幼い子供を含めて四人暮らしでしたが、こんな小さな農家ですから、蓄えのあるはずはありません。それにも関わらず麦種一俵だけ残し、木の根や野草などで露命(ろめい)をつないでいました。 

栄養不良のため一家の者達は体が弱る一方、それを知った親戚の者がかけつけ、その事情を知り、種麦を食べるように進めましたが、これは村人達に分けてくれと言って、誰も食べようとしなかったのでした。その麦は村人達に分けられ村中の畑に蒔かれました。 

翌年の春には立派に実って、村が全部救われたのです。この一家は村人達から大変敬われ、何かの時には村人達全部が集まってこの一家を守るという形になり、命の親として現在もその風習が続いているそうであります。 

世間でも「情けは人の為ならず」とありますように、これをご信心上の言葉で表現すれば、「化の功己に帰す」というのであります。「誰かの為になる私」、「自分はどうしたら人のためになるのか」という発想こそ、人が集団として社会に生きる大切な基本的は考え方といえるでしょう。 

仏様は、そのような人づくりを私達に心がけるよう、本門法華経を説かれております。人の為、苦労を買って出る人、よし辛いことは私が引き受ける、少々つらいことでなければ、やり甲斐がない、そんな人生観を一人一人がご信心から学びとっていただきたいのであります。

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再び被災地に立って思うこと

妙法寺外壁昨年3月11日、あの東日本大震災発生。全容が明らかになる程、悲惨な地震でした。すぐに3月26日~28日にかけて、被災地へボランティア活動に参加させて頂きました。 

私の行った所は仙台市内のお寺(妙法寺)です。建物がゆがみ、床が波を打ち、いたる所で壁がハガレ落ちていました。建物の敷地は崖の上にあるので傾たむいていました。

取りあえず、それ以上破損が広がらないよう木材で補強し、東京に戻りました。 

それから10ヶ月後(今年1月11日)に、再び妙法寺に行かせて頂きました。唖然としました。なぜなら全く前と同じ状態であったからです。お話を聞くと、地元に資材がない。大工さんがいない。工事機械もない。みんな三陸方面へ行ったとのことです。たとえ見積をしても1年待ち。そして資材や人件費の高騰で、通常の3倍ではお金の工面が立たないというのです。それほど広範囲で、多くの方が被害にあわれた災害であることがわかります。

しかしそれでも、日本は経済大国といわれてるらしい。日本の経済力、工業力をもってすれば簡単なことではある。しかし、その世界有数のハイテク産業、経済に国は力を入れてはいるが、肝心の国内の人づくりがまだまだおざなりなのか。現場で従事する職人が減少しているのが現状であります。ホワイトカラー族が増えて、地道な職人の人口は減る一方です。 

ですから、一向に復旧しないかもしれません。全く考えてしまいます。お粗末極まりないと思う。残念であるとも思う。ボランティアの活動に頼るしかないという現実です。海辺の近くで、死者の追善回向を皆でさせて頂きましたが、あまりにも悲しい景色が目の前に広がります。それは何か忘れられている景色かのようであります。 

それだからこそ、私共は亡き諸精霊の回向がより大切であり、懸命に生きている現地の被災者に対して、心のふれ合い・お付き合いが必要だと思います。そんな思いがよぎった今回の訪問でした。

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懺悔

仏教では懺悔(さんげ)といいまして、自分の罪を自覚して悔い改めるという行為をとても大切にしております。自分の罪を自覚することで、はじめて懺悔の心というものが起きてくるものなのです。ご信心では、自分がたとえよい事をしたと思っても懺悔することの大事を教わります。 

では、なぜ良いと思っていても懺悔をしなければならないかといいますと、自分では良かれと思っている行為でも、他に迷惑や不信感を与えてしまう場合が多いからです。また、大きく飛躍してしまいますが、地球全体から考えていくと、人間社会には良かれと思っている行為でも、その反面、環境破壊や大切な生き物の命を奪っている人間社会というものは、地球全体から見れば迷惑な存在だとも思えるのです。 

さらに、ご信心では、私達人間は過去世からの謗法罪という罪を背負っており、過去の因縁によって知らず知らずのうちに罪を犯してしまうものだとも教わり、たとえ自分では良いと思ってする行為でも、中には相手が困るという結果になってしまう場合もあり、それが私達の宿命的な生き方のようです。 

当宗では、御題目口唱の前に無始已来の御文を読み上げております。無始已来の御文の中には、この一生の間に諸々の罪、分からない所までの罪を反省し、どうかその罪が消滅されますように、そして成仏の大果報がいただけるように上行所伝の御題目をどんなことがあってもお持ちさせていただきますと改良を願う意味があります。 

上行所伝の御題目は、唯一私達の罪を消滅していただける有難い御法です。ですから、はじめに無始已来の御文を読み上げ、懺悔の心を奮い起し、御題目をお唱えすることを教わるのであって、突き詰めれば、お懺悔させていただくために、この命を繋いでいるといっても過言ではないのです。 

懺悔の心で御題目をお唱えさせていただけば、自分の中にもっている、汚さ、いやらしさ、醜さ、儚さや無力さ、というものが見えてきて、そこで我を張らず、ありのままをさらけだして、こんな私ですがどうぞお助けくださいと、御題目をお唱えさせていただく。そうすると、理性では分かっていても認められない自分の愚かさというものを素直に受け入れることができ、心の中のわだかまりもなくなってまいります。 

晴れやかな気持ちになる。スッキリする。感謝や謙虚さ、相手を許すというやさしい心、私などまだまだという向上心も、そこから湧いてくるものです。反対に自分は間違っていないと我を張ってしまいますと、ますます我見が強くなり、自分のことは棚に上げて他ばかりを責めたり、自分はこれでいいんだと頑固になってしまいます。 

私なんかまだまだ未熟もので、よく先輩から我が強いとお折伏を受け、反省している立場で言えることではありませんが、そうした懺悔という心を個人個人の心に少しずつでも芽生えていけば、相手とのコミュニケーションも、お互いの生活の中身も、仕事や家事においても、よい変化が現れてきて、社会もまたよくなっていくものだと思います。 

確かにお懺悔は、自分自身に矛先を向けていくものですから、勇気がいりますし、できればしたくないと思いがちですが、しかし、それによって真に自分自身が救われていくものだと存じます。とにかく私自身は、すぐに我を出してしまいやすいので懺悔の心を大事にして、素直さと謙虚さを忘れないよう、日々の生活を送っていきたいと思います。

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健康の大事

歯ブラシ先日、急に歯の痛みに襲われました。今まで、何度か歯の痛みはありましたが、その際は、痛み止めの薬を飲み、そうすれば痛みが治まっていたので大丈夫だろうと安易に考えていました。 

痛い思いはしたくない。歯の治療に時間がかかる、と避けてきましたが、今回ばかりは、我慢できないほどの激痛がはしり、痛み止めの薬も効かず、歯医者に行かずにはいられない状態に追い込まれたのです。 

12年ぶりの歯医者でした。診察してもらったところ、当然虫歯はいくつもあり、抜かなくてはいけない歯、また歯茎も腫れあがっており、このままでは歯周病にもなりかねないと、先生はレントゲンを見ながら説明してくれました。

私も、このレントゲンを見てとても驚き、これからどんな治療が始まるのだろうと不安を覚えました。 

朝晩に欠かすことなく歯のケアをおろそかにしてきたつもりはありませんが、先生が言うのには、正しい歯の磨き方・歯磨き粉の量・磨く時間などを守らなければ、虫歯を予防することは出来ないと教えていただきました。考えてみれば、正しい磨き方などの知識もなく、歯はある程度磨いていれば、大丈夫だろうと思っていました。 

虫歯になりますと、当然、食べ物をかみ砕くこともできず、また食べ物の味が変わり、栄養も十分にとれなくなります。さらに歯の噛み合わせから姿勢も悪くなり、肩こりなど、身体全体にも悪い影響を及ぼしていくそうです。

私は今回の件で、まだ若いから大丈夫、どうにかなるという考えを反省し、歯を大事にしなければいけないことを痛感しました。 

ご信心では、身体の健康を大事にしていくことを教わります。身体が健康であるからこそ、日々のお参詣などの御奉公に励むことができ、功徳を積ませていただけるのです。 

私の場合は、歯の健康をおろそかにしてしまったことで、日々の御奉公に対して集中力が保てず、御奉公の時間にも支障がでて困ります。先輩からも、自分自身の健康にも気を遣い、身体の御奉公が不成就にならないよう、ご信者に教え伝える側の教務としての在り方だと教えていただきました。今後は、今までの面倒くさいで、済ませてきた怠け心を改良し、自己管理をしっかり行えるようにしていきたいと思います。 

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真の美しさとは

赤薔薇新年を迎え、皆様方の益々の御壮健、御多幸をお祈り申し上げますm(_ _)m先ずは1月6日より寒参詣がスタート致しました。是非とも、教講一丸となってご奉公成就を目指しましょう☆ 

さて、皆様は【ブスの25ヶ条】なるモノをご存じでしょうか?数年前にも話題になりましたが、これは、かの宝塚歌劇団の稽古場の壁に貼られている25ケ条の教訓なのだそうです。

美しさと強さを兼ね備えた「タカラジェンヌ」と「ブス」この二つに一体どんな関係があるのでしょうか?(ちなみに、誰が作成したか、いつ壁に貼り出されかわかっていないそうです。) 

【ブスの25カ条】

・1 笑顔がない・2 お礼を言わない・3 美味しいと言わない・4 精気がない・5 自信がない・6 愚痴をこぼす・7 希望や信念がない・8 いつも周囲が悪いと思っている・9 自分がブスであることを知らない・10 声が小さくイジケている・11 なんでもないことに傷つく・12 他人に嫉妬する 

・13 目が輝いていない・14 いつも口がへの字の形がしている・15 責任転嫁がうまい・16 他人をうらやむ・17 悲観的に物事を考える・18 問題意識を持っていない・19 他人につくさない・20 他人を信じない・21 人生においても仕事においても意欲がない・22 謙虚さがなく傲慢である・23 他人のアドバイスや忠告を受け入れない・24 自分が最も正しいと信じ込んでいる・25 存在自体が周囲を暗くする 

とこのようにありまして、なんだか自分のことをいっているようで恥ずかしい思いがします。ここでいう「ブス」というのは、決して容姿のことではなく、むしろ「自分自身の心の持ち方」や「自分の思い方や受け止め方」によって、その人自身の真の美しさが作られていくことなのだと思います。 

確かに私達がこの全ての項目を正直に実践することは難しいかも知れません。しかし、常々こうした気持ちを忘れないように反省しながら、日常を過ごさせていくことによって、少しづつでも自分を変えていけるものだと存じます。 

私達も御信心ご奉公を通して、様々な場面で思い方や受け止め方の勉強をさせていただいております。私自身も常々の言動に気をつけ、「ブスな自分」にならないよう、お懺悔の心を離さず、改良に心掛けていきたいです。そして、何事も謙虚に振り返えらせて頂けるような、素直で柔らかい信心の心を身に付けていきたいと思います。

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菩提親

少し前に、本山に私の菩提親がお参詣に来てくれました。最初は似てる人がいるもんだなーと思ったのですが、乗泉寺の先輩から「菩提親来てるね!」と言われて驚きました。 

さて、得度、つまり教務になるには、得度親と菩提親がいなければなりません。得度親はご縁のある御導師方にお願いさせていただき、教務になったあとの様々な心構えや御奉公について教えてもらいます。菩提親とは、ご縁のあるご信者にお願いし、御奉公等に関する外護をしていただける方のことです。 

菩提親は大抵教化親、あるいは親の縁でなっていただけることが多いのですが、私の場合は、親が前事務局長のご信者と「もし息子が得度するときは、菩提親をお願いしたい」という約束を交わしていたようです。しかし、私が得度をする前に亡なられてしました。得度はどうなるのか不安に思っていたところ、そのご息女が、親の約束を引き継ぎますと申し出ていただき、菩提親になっていただけたのです。お陰様で私は無事に得度することができました。 

そして、いつも私の事を気にかけてくださり、京都の佛立専門学校に行くときにも、いろいろと応援していただき、常に心の支えとなっております。その方が今回、本山にお詣りに来られたのです。なんでも京都に来る用事があったので、本山の御宝前と、そして私の様子を見に来てくれたとのことです。少しの時間ですが菩提親とお話をすることができ、菩提親から「大変だけどあと1年間、頑張ってね」とのお言葉をいただき、心の励みになりました。 

遠く離れた所でも私の事を心配、応援して下されている方のことを思い、尚一層、京都での御給仕、勉強に励んでまいりたいと思います。

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本山行事報告

消防訓練ありがとうございます。現在、京都佛立教育専門学校で御奉公させていただいております。 

先日、今月行われる本山の消防訓練の出初め式の予行演習がありました。この出初め式は、御講有の前で私たち学生師が消防訓練をしているところを見て頂く毎年恒例の行事です。学生師皆で隊列を組み、入場行進をし、その後、各々の担当で、本山の大屋根に放水している様子をお見せするものです。 

皆ヘルメットをかぶり、揃いの防災服を着てやるので。このような機会は滅多にないので、とても貴重な体験ができます。しかし正直、真冬の訓練はとても寒いです。 

今回、放水の訓練を行いましたが慣れないこともあり、本山境内が水浸しという大変な事態になりました。近くに止めてあった車にも大量に水がかかってしまいました。大変申し訳ないことであります。 

それでも、その放水した水の間から、きれいな虹がのぞめ、私はなんだか幸せな気分にもなりました。実は、その数日前にも雨上がりの本山の空に虹がでており、一週間に二回も虹を見るという珍しい事がおきました。 

今回の出初め式は、昨年九月の消防大会以来の消防訓練の行事です。消防大会の時は、消防隊の指揮者をやらせて頂いたのですが、見事に間違えてしまいました。今回こそはしっかりと覚えてやりたいと思っていましたが、本番の出初め式では行進の際に旗をもって先頭で歩くだけという担当になりました。まぁ~ちょっと安心。 

とにかく出初め式は頑張りたいと思います。

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初詣にいきましょう

一年の計は元旦にあり と云いますように、日頃の信仰を軽視してしまいがちな日本人でありましても、せめて年始めくらいは神様仏様にお願いをして欲しいものです。実際には元旦に初詣へ出かけて一年の無事や家運長久をお願いスル方も大勢おられます私個人が「日本人が不信仰なのではなくて、ただの無精ではないか」と思う所以です。 

2006年のデータ(wik)ですが、明治神宮305万人、成田山275万人、川崎大師272万人 だそうです。何万人という人がお参りするのですがら捨てた者ではないとおもいます。また年始にお墓参りをなさる方も大勢居られます。乗泉寺世田谷別院に於いても三が日には途切れない程のお参りがあります。 

元来の初詣とは氏神詣、先祖参り、つまりはお墓参りでした。それが時を経るによって現在の神社仏閣へお参りする事に入れ替わってしまいました。その原因の一つが阪急電鉄と京成電鉄、国鉄もです。何をしたのかと云えば、阪急は恵方参りキャンペーン。氏神詣りよりもその年の恵方にある寺社へ(阪急電車に乗って)お参りしましょう。京成と京浜はもっと解りやすく、初詣は成田山へ(成田線で)行きましょう。川崎大師で初詣で、三浦海岸で初日の出を(京浜急行で)!!という具合です。 

(昭和48年頃にラジオで流れていたCMです) 

初詣も電車会社の戦略に乗せられているのです。バレンタインやらクリスマスやら土用の丑の日も、のせられやすい民族ですねぇ。悪い事だとは思いませんけどね。 

佛立信心に努める私共は、お寺で年を納めてお寺で新年を迎える。元来の意味での先祖詣りも家運長久のお願いもさらにお参りの功徳までつめる一石三丁の初詣です。神宮よりも良いお参り出来るところがあるよ。と寺内外にお誘い合わせて御参詣なさって下さい。

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