棚田

稲穂先日、たまたまテレビをつけた所、山々に切り開かれた莫大な大きさの棚田の映像が映り、その神秘的な絶景に一瞬にして心を惹きつけられ、この番組をみるに至った。 

番組名はNHKスペシャル「天空の棚田に生きる 秘境 雲南」。中国の雲南省にある、東京ドーム一万個分もある世界最大の棚田群にスポットあて、棚田に生きる人達の生活を追ったものだ。 

この巨大な棚田は、少数民族のハニ族の人々が1300年も長い年月をかけて作り上げたもので、争いごとを好まないハニ族は、他の民族に追われ、この山深い地に身を潜め、最大勾配75度にもなる急な斜面を、標高1800メートルまで切り拓いてきた。(NHKホームページ参照) 

この地域には頻繁に霧が発生する。山頂には豊かな森があるが、森の木々はその霧の水分を吸収して水を蓄え、その水が棚田へと注ぎ込まれている。ハニ族は棚田を守るために決して木の伐採を行わないことを掟としている。稲は一切の農薬を使わずに作っており、また水田に鯉の稚魚を放し、稲以外にも成長した鯉やタニシなども収穫するなど、ハニ族は、自然を上手に活かし、自然と共に生きている。 

稲の収穫を終えると、畔の草取りや畔が崩れたところの補強を行う。ハニ族は言う。一つの田んぼがダメになると、棚田全体に被害が及ぶ。みな棚田全体のことをいつも考え、個人個人が自分の所有する田んぼの整備を丁寧に行うと… 

全体を良くしようする所に個人の幸せもある道理を私はそこに感じた。  

○今現代に生きる私たちは、全体を見るということを疎かにしているのはないか。                     ○全体を無視するからこそ、個人の行動が軽率となり、自分勝手な生き方となっているのではないか。                                                                                                                                  ○些細なことでも個人が我が儘を通すからこそ、社会全体が憂えているのではないか。

そのように感じる。いつも全体を良くすることを考え、社会全体というと大きすぎてイメージが持ちにくいが、身近な所で、たとえば家庭とか学校、会社、地域などのためにと、一人一人が少しでも意識して働かせ、行動に移すことができれば、今生きる環境もよい変化をみせ、そこに個人の救済も叶うのだと思う。

番組の最後にハニ族の方が、棚田は他の人からみれば、美しい景色に映るかもしれないが、私たちにとっては、ただ生きるためのものなんだと意味深な表情で話していた。

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水分補給

功徳水体の約3分の2が水であると云われ、水は新陳代謝の主役であります。体の中で大事な物質が多くの水に溶けて、必要なものに変っているものです。 

ですから、水は人間の体にとってとても大事なもので、水さえ飲んでいれば他の食事を摂らなくても10日ほどは命をつなぐことができ、反対に1滴も水を飲まなければ、命に関わると云われております。  

人間は1日に約2リットルの水分を費やすといいますから、最低でも1日に2リットルくらいの水分を補給することが大切なのです。また、水の刺激によって、胃の運動と胃液の分泌の増加や消化物の吸収にも役立ったり、組織の中の物質交換に変化を起こしますので、健康を維持するためにも水は必要不可欠なものといえます。 

御信心の世界では、「お供水」といって、御題目のお力が込められた功徳水を毎日いただくことを教わります。毎朝コップ一杯のお供水と、夜寝る前にコップ一杯のお供水をいただくことで健康の御利益をいただくことができます。また、病気になった時は、たくさんのお供水をいただくことで、当病平癒のお計らいをいただくこともできます。世間の水とは違う、不思議なお力が備わっているのです。 

開導聖人の御指南に                                                                                                          「御供水を病者に頂かすに、多少の論あり。皆当たらず。御供水の多少、口唱の多少、論ずべからず。ただ信感によるなり。また、もとより御薬なり。我らが目には、水と見ゆれども、水にあらず。南無妙法蓮華経にてましますなり。もろもろの薬の中には、第一の良薬なり」(扇全14巻159頁) 

私は、一日1リットルのお供水をいただくことを心がけております。お陰様で病気になることも少なく、たとえ体調が優れないときでも、お供水をいただくことで、身体も早くよくなると実感しております。 

冬場は、水が冷たいので億劫になる時もありますが、御奉公できる健康な身体を維持するためにも、毎日のお供水を大事に頂いていきたいと思います。

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若さの秘訣

竹林つい先日、九十歳を越える二人の方とお話をさせていただく機会がありました。お二方ともしっかりとお寺参詣をされており、いつも前列に並んで座っておられます。 

お話をさせていただく中でお二人の共通点を見つけました。それは、意欲と向上心でした。御法門を聞けば、「もっとしっかりしなくては」「まだまだ頑張らなくては」とお話されており、常に反省改良の心を大事にされているのだと感じました。  

このお二人のお姿を拝見したとき、私の脳裏にふと、サミュエル・ウルマンという方の詩が思い浮かびました。 

「若さ(青春)とは人生の一時をいうのではない。それは心の状態をいうのだ。強い意志・優れた想像力・炎ゆる情熱・怯懦(臆病で意志の弱いこと)を乗り越える勇猛心・安逸を振り切って冒険に立ち向かう意欲、こういう心の状態を若さというのだ。

人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。歳月は人間の皮膚にしわを刻むが情熱の消失は心にしわを作る。悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。

六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬(あこがれること)・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。人は信念と共に若く、疑念と共に老いる。人は自信と共に若く、恐怖と共に老いる。希望ある限り若く、失望と共に老いるのである。」

信心という一つの信念と、「まだまだ」という四文字の言葉。これこそが若さの秘訣なのだと感じました。

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コミュニケーション

スマホ私達は、沢山の人との出会いを繰り返し、交流を深めて人間関係を作っていきます。

何気ない会話においても、相手と直接話すことによって自分の意志や相手の気持ちが分かったり、また表情を見ることで、喜怒哀楽の感情が知れたり、気持ちを打ち明ける事ができ、深い人間関係に成ったりするものであります。 

ですが、最近の世の中は、インターネットの進化に伴い、パソコン上でのやりとりが多くなってきて、直接交流する機会が限られてきて、顔と顔合わせてのコミュニケーションが少なくなってきていると感じます。 

確かにメールや、ネット交流することで、遠くの友人、または都合が合わず、なかなか合えない相手の現状を知ることができます。また自分の嬉しかった事、悲しかった事など共感を求めたい、話を聞いて欲しいなど、リアルタイムに掲載できます。いろんな方の意見も知る事ができて、早ければ10分もしないで返信がきます。このネット交流の便利さは、私もそうですが、みなさんも喜びを感じているのはないでしょうか。 

便利という点では認めざるを得ませんが、それだけで本当にお互いの思いが通じ合っていると言えないと思います。長いメールのやり取りにはどうしても時間がかかります。相手からのメールも経緯、感情も多くの文字を打ってまでの説明とはならず、こちらからの返信も早くしてあげなくてはとの思いで、安易に返しがちになります。忙しいからまた後日と、ネットの気軽さから、姿が見えないこともあって、大切に思っている気持ちがあっても、深くまで伝えきれないところがあるのだと、ネット交流を経験したかたならば、誰しも思ったことはないでしょうか。 

ですから、本当の信頼関係というのは直接会って意志疎通を図るコミュニケーションが何よりも大事なのだと思います。大切な人へ思いを伝えるとき、仕事上のやり取り、友達への相談など、文面だけでは、すべての思いは伝わらず、却って誤解をされてしまうこともあります。 

自分の表情、そして相手の反応をみて、お互い時間がかかっても思いを伝えあうことで、信頼関係、安心感が生まれ、大きな絆で結ばれていくのだと思います。

私は今の時代、ネット上のコミュニケーションも必要なことだと思いますが、それだけではなく、やはり直接相手と会ってのコミュニケーションも大事にして行かなければ、本当の信頼関係は築き上げれないと感じる今日この頃です。

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見た目

「人は見た目が9割」(竹内一郎著)というベストセラーを読まれた方はいらっしゃいますでしょうか?約7年前に発売され、当時大変話題になりました。この頃からタイトル先行の新書が増えた気も致しますが、それはまた別の話です。 

本書の要約ですが、「人と人とのコミュニケーションは言葉による部分が約7%、表情や声の高低、大きさ、テンポなどの言葉以外による部分が93%を占めるという実験データがあります。すなわち、交渉や討論は勿論、人と人が係わる日常生活を強く支配しているのは言葉以外の情報伝達手段(ノンバーバルコミュニケーション)にあるというのです。普段私達は、他の人とコミュニケーションをしている時、如何に言葉以外の情報をいつの間にか頼りにしているのか。」 

演出家と漫画家という二つの顔を持つ著者ならではの大変分かり易い例えを通して、その事に気付かせて頂けます。 

私は教務として、また一人の佛立信者として、ご奉公のまねごとをさせて頂くようになって、現在「伝える」ことの難しさに直面しております。最近は、特に「見た目」程大切なものはないのではないか!とも思うようになりました。ここでいう「見た目」とは、清潔感があるとか、端正な容姿であるなどといったものではありません。 

佛様のみ教えをお伝えする御法門やお折伏も、自分の身の丈(年齢や知識、経験)以上の言葉を用いますと、多くの場合相手には届いていないように思えます。初めてお会いした方へ入信をお勧めさせて頂く場合も、どんなに正しいことを伝えているつもりでも、相手の立場や状況を考えずに、「正義は我にあり」と一人よがりで勇み足になってしまう伝え方では、いつまでたっても相手の心には響いて行かないものです。 

反対に、自分の経験したこと、勉強したことなどを相手に伝える時には、どんな言葉でも多少の説得力が生まれたりもします。こうした時の自分を客観的に分析してみると、仮に同じ言葉を発していたとしても、やはり言葉以上に顔つきや目つき、声のトーン、身振り手振りという「見た目」に、大きな違いが生じているものだと感じるのです。「見た目が9割」とは、少し極端な表現なのかもしれませんが、あながち否定も出来ません。 

私達は、妙法・御題目のお力をお借りして、より効果的な「随力演説」をさせて頂くことが御奉公の目標でもあります。「有り難いご信心です。」とたったその一言で、相手を入信へ導かれるご信者さんがおられます。その方の発する言葉は、普段の表情や所作振る舞いに裏付けされており、随喜と確信に満ちております。だだし、こうした事は一朝一夕で身に付くものではありませんし、付け焼き刃的なごまかしも効きません。 

私自身も、日常の信心前、御奉公の志というものが、何気ない表情やしぐさ、所作振る舞いに現れてくることを弁えて、しっかりと説得力のある御信心における「見た目」を備えられるように日々精進してまいります。m(_ _)m

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宿業

1月の末頃、東京でも雪が降りました。1週間ぐらいは足下の悪い状態が続きましたが、お日様の光に当たってもう跡形もなく溶けてしまいました。当たり前のことですが、太陽のエネルギーというのは凄いモノです。太陽がなければ地球のあらゆる命が滅亡してしまうわけで、自分自身の存在も太陽光に支えられています。日常生活の中で私達はあまり太陽の有り難みを感じることはありませんが、太陽がない世界を想像すると恐ろしい思いがします。 

ところで、仏様のエネルギーはそうした太陽のパワーをも含むとても大きなモノです。私たちを慈悲の光で包み込み守ってくださるだけではなく、私たちの見えない所の心の闇をも取り除いてくださる偉大な力があるものです。御題目をお唱えすることで、少しずつ心のモヤモヤが溶けていくことを確かに感じられるとしたら、それこそ何よりの御利益と申せましょう。つまり、心の感度が敏感になって感謝の幅が広がることが、幸福に近づく唯一の道筋だからです。 

人間というのは誰もが皆、様々な過去を背負って生きています。家族との思い出、社会人としての経験、幼なかった頃の遠い記憶、そうした過去の出来事一つ一つが、今現在の自分を構築しているわけです。したがって、今の自分を支える過去、目に見えない繋がりというモノを、私達は無視して生きることは出来ないはずです。 

仏様は、一つの結果には無数の原因がある、また前世に行った善悪の酬いが今生に現れるとも仰せです。私達の人生に起こる様々な出来事も、突発的に思えるような事故にも、それを招いた原因が必ずあるということです。ですから、その原因の在りかを他人に求めても、どうしようもないことだと言えるかも知れません。 

私達は、悪い結果を招いた一つの原因が、自分の中にあるのだと、よく自覚することが大事ではないでしょうか。それが宿業という思想。物事の正しい受け止め方をしていくということです。ですから、私達が一つの壁にぶつかった時に、それは自分のせいじゃないと責任転嫁をして、もの事を投げやりに考えてしまうのか。それとも、何事の結果を計るにしても、そこに自分の関わりを認めて反省をして次へ活かすのか、ということです。

だからこそ、お互いは人生にどんなことが起ころうとも、いつだって御題目の御本尊と向かいあい、自分自身の罪深い宿業を見つめ、一心に仏様のお力へとおすがりするべきなのです。 

すると、私達の罪深い宿業も、御題目の光によって、少しずつではあっても、必ず最後には消滅するモノです。ちょうど1月に降り積もった雪がもう溶けてしまったように、仏様の慈悲の温もりには罪障を消滅させる力があると心得て、毎日の信行ご奉公に励みましょう。

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JSK

JSKとは「乗泉寺 清風寺 教務部論研」と昭和54年10月13日発行されている教務部共編の御法門集には書いてあります。宗門の東西にある両大本寺の御弘通についての研究をするために、各寺院の教務同士が交流させていただくものと先輩から聞いております。昭和40年代後半から始まり、今まで様々な形で交流が行われ、御弘通の研究がされてきました。 

清風寺本堂ここ数年JSKの活動を行っていませんでしたが、今年から再び活動することになり、その第1回目として今月3、4日に清風寺にお参詣させていただきました。今回の交流では、夜の連合役中お講、寒参詣の様子の拝見と今後のJSKの活動内容についての意見交換をさせていただきました。 

3日の夕方に新大阪駅に到着し、法務ご多忙の中、清風寺のお講師方が駅まで車でお迎えにきて下さり、無事に清風寺に着くことができました。本堂に上がらせていただくと、真っ先に斬新なデザインの人天蓋が目につきました。「み仏の説かれる根源的な大宇宙の真理」をイメージして、有名な陶芸家が作成されたとのこと。今まで見たことのない天蓋に驚きを隠せませんでした。 

御供養場その後、寺内の「御講室」で奉修される連合役中お講にお参詣させていただきました。関東の奉修の仕方と違う面があり、多くのことを学ばせていただき、またご信者さんの御題目口唱の声の大きさがとても印象的でした。 

明4日は寒参詣最終日にお詣りさせていただき、御住職の御法門を拝聴させていただきました。

また、活気ある御供養場の雰囲気も味わうことができ、関東にはない雰囲気の中での御奉公がとても新鮮に写り、多くの刺激を受けました。 これから、いろいろな形での交流が為されてくると思います。

その際は、随時この場を借りて報告させていただきます。また清風寺の詳細は、当ホームページのリンクより清風寺のホームページを閲覧することができますので、是非ご覧ください。 

JSKの御奉公を通じて多くのことを学びとり、今後の御弘通に活かしていきたいと思います。

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雪の八王子

絨毯今年は、例年に無く寒い冬で、東京都心でも雪の日が多くなっております。天気予報等でもわかりますが、真冬の八王子の気温は、都心より3度から5度位低くなります。 

加えて、乗泉寺八王子別院は、八王子市内とは言っても郊外の山間に建っているため、予報で発表される気温より更に寒い所です。  

1月の末には雪が10cmほど積もり、職員さんが雪かきをして下さいましたが、それでも、回向堂入り口の階段が凍結してしまったため、絨毯を敷きました。 このように、寒さが身にしみる八王子ではありますが、教職舎を建てて頂いたおかげで快適に御奉公致しております。 

木々に囲まれ、荘厳な宝塔に奉安された御本尊・御尊像に向かって御題目をお唱えする気分は、他では味わえない、実に爽快なものです。これからお彼岸の時期も近くなりますので、是非お参詣なさって下さい。 

なお、雪の日やその翌日等は、くれぐれもお足下にご注意を。

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体と心の手入れ

ハート気温の変化も人間の心に変調をもたらすそうで、湿度が高いすぎたり、気温が暑すぎたり寒すぎたりすると、気持ちが不安定になるそうですから注意が必要です。身体を冷やさない、栄養と睡眠をしっかりとるなど、外側からのケアはもちろんですが。内側(心)のケアも大切です。 

ある雑誌に、「心が疲れているチェック」というものが載っていました。皆さんにもあてはまるものがあるでしょうか? 

1.自分の長所が3つ言えない。  2.連休でも、二日間家にこもりっぱなし。 3.何かの集まり(たとえば合コン)で盛り上がらなかったら、自分のせいだと思ってしまう。  4.飲み会に誘われなかったら、もしかして嫌われている…と思ってしまう。  5.みんなのヒソヒソ話が、自分のことを言われているような気がする。 6.彼女、もしくは彼が携帯に出ないと不安に駆られる。 

などなど、こうした項目で、思い当たることが多ければ多いほど、心の疲れを計るバロメーターになるそうです。当てはまる数の多い人は、小さなことを膨らませて悪く悪く取る傾向があり、神経の繊細な人のようです。自分から不安材料をさがして、不安を増長させているようで、いづれにしても健康的でないことは確かです。 

くよくよすると、体が弛緩し、免疫力が低下するそうです。いらいらすると、血管が収縮し、心臓に負担がかかります。しかし実際に「ストレスを感じるな」といわれても、それは難しいことです。満員電車を好きな人はいないと思いますが、乗らずに見るだけでも人間の脳がストレスを感じる、ということをだそうです。現代人にストレスはつき物です。

それではこうした心の不安やストレスにどう対処したらよいのでしょうか。 

1、キャベツの千切りや刺繍をする。早歩きをしてみる。これらは単純なことの反復で、結果、安らぎを感じる「セトロニン」を分泌させる効果があるそうです。セトロニンは肉や牛乳にも含まれているそうです。                                                                                                            2、悲しい小説、映画を鑑賞し、つらい状況に浸りきり、傷みを見つめる。明るいものは却って自分の状況とのギャップを浮き彫りにし、自分へのハードルをあげてしまうそうです。 

さて、私たち佛立信者にとって、つらい時にはお看経が何より大事です。お看経も項目1と同様に、声を出すことの反復運動です。もちろんお看経は、早歩きのように、心を込めずに淡々と繰り返せばよいというわけではありませんが、お看経にもこうした癒し効果がある、ということがいえると思います。

項目2に関していえば、ご回向が当たるかもしれません。ご回向をさせていただくとき、とりわけ気の毒な亡くなりかたをした方のためにお看経をいただいているとき、自分に悩みがあっても、ふっと気持ちがご回向に集中し、心が落ち着きます。 

これも悲しい小説や映画で、他者の悲しみに共感するのと同様の作用が働くのだと思われます。ご回向はお看経の功徳を、亡き人へ回し向かわしめる働きがありますから、亡き人のためになります。そして少しは、自分の心にも良い効果をもたらすことになるのかもしれません。 

これらはほんの一例ですが、以前から私たちが日常信行の中で何気なくしてきたことが、別の分野や別の角度から見ても理に適っているようです。まだまだ、探せばこうした事例が見つかるかもしれません。 

体にも心にも充分なケアを心がけ、この厳しい冬を乗り越えましょう。

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インフルエンザ

病院正月明け早々、インフルエンザにかかってしまいました。 

咳が1週間ほど続いた後、38度をこえる発熱があり病院にいったところ、インフルエンザと診断されました。病院で処方された薬を服用し、2日間ほど休養したところ、無事に回復しました。 

予防接種を昨年の12月に受けましたので、まさかインフルエンザにかかるとは思っていませんでしたが、ウイルスの種類が違ったのか、見事にインフルエンザとなってしまいました。 

病院で受診した際、インフルエンザに感染しているかどうかを先生に尋ねたところ、「今現在はあまり流行っていないから、大丈夫じゃないかなあ」と言われましたが、念のため検査をして欲しい旨を伝え、検査したところ、インフルエンザの判定がでました。これには先生も驚かれていましたが、念のため検査をしていただいてよかったです。 

空気が乾燥している日が続くと、風邪やインフルエンザが流行しやすくなるそうです。皆さんもくれぐれもお気をつけ下さい。また、発熱などの症状がでましたら、念のため病院でインフルエンザの検査を受けられることをお勧めします。(発熱後、数時間経過しないと、例え陽性であっても検査結果に引っかからないそうなので、医師の指示に従って下さい。) 

薬局にて薬剤師の方より一言。                                                                                        

「年末年始に飲みすぎませんでしたか?肝臓が弱っていると、病気にかかり易くなりますよ。」

おっしゃるとおり。すみません。。。

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仏具問屋

いつでしたか、上野の仏具屋がズラッと並んで通りをなしているところを、御奉公の帰りに道すがら歩いたことがありました。黒檀とか紫檀の仏壇が何割引きとか、店頭に出ていて結構中年のご夫婦のような人がそれを見ているんです。中にはサービスに御本尊付きなんていうのもありました。どんな御本尊なのかと覗いてみると、金メッキの仏像です。どんな人が買って行くのかと考えてしまいました。 

「どうして佛立宗は御本尊が仏像じゃないのだろう。奈良や京都の有名なお寺は仏様なのに。どうして釈迦如来を御本尊としてまつらないのか。どうして文字の南無妙法蓮華経を御本尊としているのだろう。文字はあくまでも文字、御法門で生きてましますみ仏と言われても、ピンとこない。どこが…」と疑念を持たれたことがあるかも知れません。 

では、どうして仏様が御本尊としていついつまでもあがめられているのでしょうか。お身体が端正だったとか、人々を哀れみいつくしまれたとか、帰依者が大勢いたとか、というだけのことではありません。かりに仏様が何一つ教えを説かれなかったとしたなら、大変お徳の高いお方だったというくらいで、歴史の本の数行で終わっていたかもしれません。そう考えていきますと、お説き残された「教え」こそ仏様の生命(いのち)ということになります。その教えのもとを法・妙法というのであります。ですから、もし法がなければ、教えもなく、つまり仏もなっかったことでしょう。 

法華経法師品に「また舎利を安ずることをもちひず 所以は何ん 此の中には すでに如来の全身います」とあります。つまり、「私が滅っした後に、私(仏)の舎利(ご遺骨)を安置し、まつる必要はありません。なぜなら、私はいつも妙法蓮華経という<法>の中に住まっているのだから」と出ています。 

妙法蓮華経という法は不滅です。この不滅の妙法を体得なさり、一体となればこそ、仏様は永遠に滅びないお方となられたのであります。このようなことから、当宗では、南無妙法蓮華経と妙法五字を書きあらわして仏様とし、御本尊としているのであります。 

御題目を信じお唱えさせていただけば、御利益が顕れ、生きてましますみ仏を我が身に実感させていただけるものです。

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