自分探し

ここ数年、自分探しの一人旅をする人が増加しているそうです。今までの自分の生き方を見直そうと、行ったことのない場所に一人で旅に出るそうですが、自分を探すとはいったいどういうことなのでしょうか。見知らぬ土地に旅に出ると自分の性格や行動パターン、長所や短所がわかるようになるのでしょうか。 

自分探しという訳ではありませんが、昔四国や九州を一人で旅行したことがあります。友達にお世話になったり、地元の人に親切にしてもらい、人は一人で生きていけないと気づかされました。しかしながら自分の長所や短所はわかりませんでした。 

以前、あるテレビ番組で心理学者の植木理恵さんが「一人で自分を探せはしない。」といっていました。様々な人と出会い、触れ合って、自分とはどういうものなのかが分かるそうです。「自分は、こう言われた時はこういうふうに思う」とか「自分は、この時はこういう対応をしている」というのは、人に指摘されることによって、はじめて欠点や性格に気づかされるらしいのです。私達は自分で自分の長所や短所が分からない。ひとり旅をして自分探しの旅をしていると言うけど、結局はひとり旅で自分探しをするのは難しいと言っていました。 

仏教には宗旨によって様々な修行があり、中には自力で悟りを開こうとする修行があります。「難行苦行」という、一人で山に隠ったり、断食したりする修行に勤めたり、「観念観法」といって座禅を組んで自分の心を探る修行があります。果たしてそれらの修行で自分というものを今の人達に見つけられるのか?私には疑問に思います。 

当宗では、みんなで他人の長所・短所を指摘しあって、共々に自分の心を見直そうといたします。その実践修行を「折伏」といいますが、人から注意や指摘をされることで本当の自分の心、性格、我、というものに気づかされます。 

しかし、自分を知るというのは結構つらいことです。乗泉寺では本堂のお給仕をさせて頂と、全員が本堂の脇にそろってから最後のお清めの切り火をさせて頂きます。しかし、私は一人の後輩が脇に戻って来る途中に少し先走って切り火をしてしましました。すると「君は全員がそろうまでの10秒を待てないのか。」とお折伏を頂きました。

そのお言葉を聞きまして、自分はせっかちになってたんだな。後輩に対する思いやりに欠けていたんだな。お給仕が早く終わればいいという心が現れたんだと反省しました。とてもはずかしく耳が痛く感じましたが、言って貰えたからこそ自分の欠点に気づかさせて頂けました。 

私達は、自分に迷い、自身が分からなくなってしまうこともあるでしょう。そんな時には乗泉寺にお参りしご信心を介して自分というものを見つけてみてはいかがでしょう。

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断捨離

ケーキある小学校で出題された算数の問題です。「10個のケーキを5人で割ると、1人はいくつ食べられますか?」

これは割り算の問題なので、10÷5で答えは2こづつが正解です。 

ところが、一人の少年がこう答えました。「5人の人は1つづつ食べて、残った5つは貧しい人にあげる」 

10個のケーキが目の前にあれば、どれが一番大きいかを盗み見るような少年であった私は、清らかなこの少年の逸話を本で読み、シュンとさせられました。またみんながこうした気持ちで暮らしていけたら、きっとこの世には争いがなくなり、みんなが笑って暮らせる社会になるに違いない、とも思いました。 

ところがいざ社会に出てみれば、生き馬の目を抜くきびしさで、この少年のような純心を保ち続けることは難しく、優しさがあだになることもあるものです。現実には一つのケーキを血まなこで奪い合うがごとく、みにくい争いの連続です。自分の家族や生活を守るための小さな競争は誰しも免れないものでしょうが、それが高じて、分不相応なまでの贅沢を望むことは不幸の始まりです。 

幸か不幸か私には経験のないことですが、お金の持つある種の中毒作用にあてられ、通帳に0が増えていくのが無上の快楽だという人がありました。こうなりますと、お金を使っているやら、こちらが使われているやらまったくあべこべで、もはやお金の番人に堕した観があります。このように私たちは少しの豊かさで満足できず、あまつさえ欲望を膨らませていく性質を持っています。 

蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘ると聞きますが、自分の体より大きな穴を掘りすぎて、出られなくなるのは蟹よりもむしろ人間のようです。 

「少欲知足」(欲少ウシテ足ルコトヲ知レ)―これは法華経普賢菩薩勧発品第二十八をはじめとする経典に見られる言葉です。少欲とは物を追い求めようとしない心。知足とは少ししか得られなくても悔やんだり恨んだりしない心。つまりは物や金に執着をしない、という事で、言い換えれば貪りの感情に囚われない自由な心ともいえましょう。 

「断捨離」、これはおととしごろから、特に大掃除のころ、はやり言葉のように聞かれたものです。手放すことで得られる幸福。これが不要な家財のみならず、わが身の欲にも適応できればしめたものです。

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手ぐすね引いて

わらじ半年ぶりくらいで弓を引いてきました。 

行くにあたって、前回引いた時に弦(つる)を切ってしまったのでおニューの弦を準備します。弦とは、只引っかかっていればいいというものではありませんで使える様にするには諸々の手順があります。 

先ずは上側の輪っかの位置を調整して長さ張り具合を決めます。で、新品の弦に着いている蝋(ろう)を剥がし角をとらなかければなりません。 

その蝋を剥がすときに使うのが、我々がわらじと呼んでいる切れた古い弦で編み込まれたものです。そのわらじで新品の弦を擦って、蝋を剥がします。

そのわらじも現役以来20年ぶりで編みました。腕が憶えているもんですねぇ。なかなか良い出来だとおもいます。 

弓・握り・矢次に’中仕掛け’という矢を番(つが)える部分をつくります。ほぐした麻をまいて木工ボンドで固めながら太くしていきます。 

なんだかんだで小一時間かかりました。お陰といってはおかしいですが、弓も握りも矢も、弦までも赤で揃えられました。ちなみに弓は直心、まさに私の為の弓ではないか。ウィヒヒw 激しく自己満足です。 

最後にカビ臭かった道着を洗濯して準備完了。準備万端で道場に向かうわけです。 

準備万端の意で手ぐすねを引くという言葉があります。手薬煉と書きまして弓の言葉です。薬練とは松ヤニを煮て練って作ったもので麻の弦の補強と弓を持つ手の滑り止めに用いるものです。現代の弓道に於いてはあまり使われません。 

先に申した様に弓を引くのには手間がかかるものでその準備を怠ってはいざという時に役に立たない事も。戦国時代の合戦場に於いては命を落とすやもしれない一大事です。 

弓道弦を切ってしまった。」とは準備不足であり、私の鍛錬不足なればこそ、「切れた」ではなく「切った」となるのです。万全の準備と鍛錬があってこそ事を成ずるものです。

なんとなくで出来る事もありますが、それはそれなりの物でしかありません。一生懸命やるからこそ、そこから得る物も多く貴く、なにより楽しいのです。 

やるからには全身全霊全力で楽しむ。仕事も趣味も、もちろんご奉公もこうありましょう。

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射倖をご存知ですか

ギャンブル「しゃこう」と読みます。「偶然に得られる利益や成功を当てにする事」を意味します。 

世の中、不景気になったり、運に見放され何をするにもうまくいかなくなったりすると、一発当ててやろうとなるのは人情です。

これが又、不幸の始まり、ドロ沼に入る始まりになります。 

つい最近、四国の中堅製紙会社の御曹子が160億円も、マカオのカジノでお金を失い連日、マスコミに報道されました。皆様もなんてバカなことをと、あきれになったことでしょう。 

マカオはラスベガスをぬいて、世界一のカジノになったそうで、売上げは、日本円にして1兆9千億円に過ぎないとのこと。現実はもっと厳しく、世界一のギャンブル大国は日本で、パチンコ業界全体の売上が約20兆円で、マカオの10倍もあり、おどろき以外なにもありません。 

失われた20年といわれる、この20年で、パチンコに費やしたお金は、なんと540兆円。競輪、競馬、ボートにオート、宝くじにサッカーくじ。世界一のカジノ、パチンコというわけで、世界一のギャンブル大国だそうです。 

自己責任、本人の自覚は、現実を知らない者の無責任という所で、依存症患者は数百万人もいるそうで、様々な犯罪の影に、ギャンブル依存がからんでいるようです。ちょっとしたことから深みにはまり、悪縁にあうと、この世で地獄を見ることになります。御用心、御用心。

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随喜転教

伝えるさて、怒り、悲しみ、楽しみと人間の心には様々な感情がありますが、中でも喜びという感情は、心をはずませ人を笑顔にし周囲の人も明るく楽しくさせます。ですから、私たちは、喜ばしいことがありましたら自然と誰かに伝えたくなるものです。 

例えば、身内の結婚式や親戚の出産などのお祝い事。あるいはもっと身近なことですと、スーパーの安売りで商品を見つけたときなど、日常生活において喜びを感じるときはたくさんあります。

ですが、自分一人でこの幸せを感じているのはもったいなく、家族や隣近所の人たちに伝えたくなります。半分は自慢したいという感情があるのかもしれませんが、それでもその情報を聞いた人に損はありませんし、喜びの出来事はどんどん人に伝えるべきです。 

法華経の随喜功徳品には「五十展転随喜の功徳」という教えが説かれてあります。仏様から法華経の御法門を聴聞し、随喜した人が次々に他人に語り伝え、50人目になっても、なおその随喜の念は残り、伝え始めた人の功徳の深いことが説かれております。 

普通の話なら次から次に語り伝えていき50人目ともなると、喜び、感激、感動といった感情やその話の真実性は薄らいでいくのが当然の道理であります。しかし、法華経を聴聞したことによる法悦というのは、喜びの中でも最たるものでありますから、50人目にしてもその随喜が残っているというのです。 

仏様が御入滅になられてから千年以上が過ぎた今末法という時代では、上行所伝の御題目の有り難さを伝えることで法悦を感じる時です。医者が手を尽くしたけれども治らなかった病気が御題目口唱に励み、お供水を頂いたおかげで治ったという話や、御祈願がかなったという話を人に伝えると、人は疑うかもしれませんが、心のどこかで自分もやってみようかしらという気持ちが起こるものです。 

お互いは、日々ご信心をさせて頂きご利益を頂いているのですから、その喜びを宗外の人にもお伝えさせて頂き、共々にご信心の喜びを体感させて頂きましょう。

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佛立健康法

言うまでもなく健康な身体であるからこそ、仕事や勉強もでき、また趣味などを楽しむこともできるわけで、人間生活において健康は幸せのおおもとだといえ、だれもが求める所です。昨今では、この健康ということがブームになっており、テレビを付ければ身体にいい食べ物を毎日のように紹介していますし、街中にいけば、フィットネスクラブという運動施設も結構、目に付くものです。 

ところが、昔から「医者の不養生」という言葉があるように、私達人間は、健康は大事だと知りながらも、なかなか実行できないものです。運動をしてみるものの長続きしなかったり、ストレスによって、つい暴飲暴食をしてしまうなど、自分の身体なのだからどうしようと勝手だと、欲望の赴くままの生活をつい送ってしまうものではないでしょうか。 

そこで、どうしたら健康を保つことができるのか、それはご信心を通じなければ分からない二つの方法というものがあります。 

まず一つ目は、御法門では御信心を第一に考え、身体をまず御奉公のために使わせて頂くことを教わります。たとえば朝参詣をさせていただくためには、前日のお酒もほどほどにして、早くに就寝しなければいけない。お寺に間に合うように早起きをしなければいけない。などと考え自然と夜更かしなどの不養生を控えるものです。また、他の御奉公においても、御奉公を第一と考えることで、自分勝手な生活をだんだんと改めることができてくるものです。 

確かに人それぞれの生活状況に違いはありますが、要は日常の中に御信心の時間を取り入れることが大事で、それによって、心身のバランスがとれ、健康な身体が養われていくのです。中には、御奉公は大変、身体の負担になるなどと言われる方もおられますが、実は、御奉公をさせていただいているからこそ、健康のお計らいを頂いているということを再認識することが大切です。 

二つ目は、「法は人によりて弘まる」と教わりますように、いくら有り難い御信心でも、御法が勝手に弘まっていくのではなく、私達ご信者が伝えなければ弘まることはありません。つまり私達は、凡夫の身の上であっても、実は仏様の変わりに法を説く尊い身体なのです。 

これは以前、お二人のご信者から次のようなお話をお聞きしました。一人目のご信者は、この方はスキーをされるのですが、『ご信心をしているから、急な斜面を滑っても、きっと守っていただける。だから、多少の無茶をしても平気ですよ』とのお話でした。二人目のご信者は、自転車でお参詣されている方で、帰り道に急な坂道があるのですが、『お参詣の帰り道に何かあったら、なぜご信心をしているのにと、周りの方に疑いの思いを抱かせてしまう。だから、ゆっくりと坂道を下るように心がけています。』とのお話でした。 

御法様に守られているから、このくらいなら大丈夫と考えるのではなく、御法にお仕えするからこそ、自分の身体を大事にしなければいけないと考えることが大切です。 

お互いに、これら二つを心掛けて、健康な身体を保ち、明るい毎日を送らせていただきましょう。

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清風寺参詣記

5月5日 清風寺のこどもおえしきにあわせて交流参詣させて頂きました。前日入りし、寝屋川別院、生駒別院を見学させて頂きました。生駒別院に於いては、生駒と法華経の縁や新本堂用地の購入に際するお計らいなど建立の縁由をお伺いさせて頂きました。 

第一部明けてこどもおえしきの様子です。第一部御看経 参詣優秀会員表彰・ジュニアリーダー認証書下付・企画部リーダー辞令下付・新小学一年生お祝い式の式典がありました。

御看経中祈願言上にて、「薫化会総祈願」の言上があり、「平成二十五年、薫化会創立百周年を目指して 薫化会・あゆみ会・ジュニアリーダークラブは」 

一、薫化会員としてお友だちを誘い、一緒にお参りします。

一、御講にお参りし、御法門をしっかりと聴聞し、佛立の心を学び育てます。

一、人の悩みや苦しみが喜びに変わるように御題目をお唱えします。

どうか、これらの目標が達成できるよう御宝前のお力添えをお願いします。願主 清風寺薫化会員一同並びに薫化会参詣誓願 

一、毎月の薫化会御講に会員175名を目標に 年間延べ2078名お参詣いただけるよう将引に励みます。

一、夏期修行参詣に会員一日116名 十五日間延べ2025名お参詣いただけるよう将引を徹底します。願主 清風寺薫化会役員一同 

薫化会の総祈願をたててご奉公指針を持つてご奉公させて頂くのは素晴らしい、参考にさせて頂きたいです。

第二部①第二部は寺内と隣りの公園を使っての模擬店、かく連合・教養会毎に出店し、各々の趣向を凝らしたゲームに子ども達も大喜びで楽しんでいるのが感じられました。 

 

合を上げての薫化会の育成ご奉公であり、次世代育成の大事をお寺を上げてご奉公されているんだなぁと随喜申し上げました。 

第二部②第二部③

 

 

 

 

御礼の御看経に行われました抽選会には、御住職、教講の御有志による豪華景品等が並べられて大盛りあがりでした。 参詣人数は薫化会員194名一般その他551名計745名でした。 

乗泉寺の子どもお会式以上の積み上げてきた歴史と経験、教講共に教養会員育成の御奉公に取り組む姿勢が拝見できました。諸々参考に頂いてに帰れた思いです。今後の乗泉寺子どもお会式等に生かせれば幸いです。

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アドバイス

ひらめき先日本屋に立ち寄り、本を2冊購入しようとしたのだが、その時の店員が横柄な態度で接客してきた。「なんなんだこの店員は、お客に対する態度とちゃうやろ」と思い、こちらも強気な態度をみせ、腹の中では「冗談じゃない」と思いながら店をあとにした。 

お寺に帰って早速先輩にその話をしてみると、「そういう時はこちらが頭にきて対応しては駄目だよ。そういう店員に会った時こそ反対に丁寧に対応してみたら。ひょっとすると相手の対応が変わるかもしれないよ。」とアドバイスを頂いた。なるほど、「押して駄目なら引いてみろ」で、お互いが張り合ってはなにもならないのだなあと、気づかせて下さった。 

乗泉寺には現在21師の教務が在籍しており、下っ端の私は毎日先輩からご指導を頂いている。特に、教区のご奉公はわからないケースが沢山あり、戸惑うことも多々あるが、その都度先輩からアドバイスを頂くことで、少しずつご奉公の精度が上がってきたと思う。 

「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」の諺どおり、ご奉公上で判らないことがあれば恥ずかしがらず積極的に先輩に質問することがやはり大切であると思う。

「教務は一生勉強」と御導師が仰られているとおり、どこまでいっても自分の判断が正しいと思って、勝手な行動をしては駄目だということを「本屋の店員」をとおしてで気づかせてもらった。

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人財育成

人財育成は恐らく、どんな会社でも課題になることの一つであると思います。私共の本門佛立宗でも、信行相続や育成御奉公という問題と真剣に向き合って行かなくてはいけない時期であると考えます。 

先日、「9割がバイトでも最高のスタッフに育つディズニーの教え方」(福島文二郎著)という書籍を読みました。著者本人が、1983年、第一期の正社員としてオリエンタルランドに入社し、以来、人材養成を中心に現在でも様々な分野で活躍されておられます。 

「ディズニーの教育研修やしくみの背景にある基本的な考え方は、規模や業種・業態を問わず、すべての会社・組織に共通するもの」という理念との言葉通り、なるほど、佛立宗の育成御奉公にも概ね直結出来るようなヒントがいくつもありました。 

表紙に[「素質」は問わない。チーム全員がリーダーになる法則]とあります。どの組織においても課題でありますが、まさに私たちが目指していることでもあります。そんな意味で、本書をご信心の場面に置き換えてみますと、「そうだなー」と思うなことばかりです。 

◇「叱る」というコミュニケーション能力を徹底的に指導している。

基本姿勢としては、①叱る前に褒める。②叱った後、フォローする。プライバシーとか、個人主義の時代と表現される時代ですから、改善点を目にしても、耳にしても、ついつい面と向かって注意は出来にくいものですよね。そこで、メールで相手に注意するようなこともあるかも知れませんが、文章というのは、取りようによっては誤解を生んでしまうものです。 

ディズニーでは、まず「①現場で、②面と向かって、③具体的に注意する」ことを徹底しているそうです。「叱る」が「お折伏」という意味だけではありませんが、このスキルは、佛立宗としても大切なポイントになりますから、出来得れば具体的に身に付けるにこしたことはありません。

◇「教える喜びを感じない」と後輩は育たない。

ディズニーでは、後輩の指導に「トレーナー」と呼ばれるアルバイトが担当します。トレーナーになっても、給料が上がるなどの金銭的な対価はないそうです。それよりもトレーナー達は「自分がトレーニングすることによって成長していく後輩の姿を見ることが嬉しい」と云います。そしてその後輩も、次なる後輩へ伝える、という良いサイクルが生まれているのです。 

ポイントとして、①教える内容や教え方が具体的で論理的であることだそうです。確かに上司や先輩に教えられた通りに行動したところ無駄があちこちで出てしまえば、後輩に不信感を与えかねません。また、②相手の心理状態もしっかり配慮をすること、③熱意をもって相手に指導するという三点が人材養成の大きなポイントだそうです。どれも育成の現場では必要不可欠なことと感じました。 

◇「人は自分が扱われたように、人を扱う」

①ゲスト(お客様)対して接するように、後輩を迎え入れる。②親しみを込めた笑顔で後輩に挨拶する。③先輩の姿勢が暗黙のメッセージになり、後輩には無意識に伝わってしまう。④所作振る舞いを通して仕事をするべき時のあるべき姿をみせる。⑤自然な笑顔や挨拶により後輩がよりスムーズにディズニーの世界へ入ることが出来る。 

私も含めて、後輩は、上司や先輩の姿をよく見ています。当然ですが、先輩が良い手本や模範とならせて頂かなければなりません。と、ごくごく当たり前のことのようで、つい私も含めて、偉ぶったり、ぞんざいな態度や姿勢を見せてしまうことがあります。「人は自分が扱われたように、人を扱う」という言葉を、良い意味で「反面教師」とさせて頂き、上記5項目を、育成の現場で活用させて頂きたいです。

◇「見て覚えろ」では後輩は育たない。

どのような組織でも、新人の育成には問題点を抱えているようですが、私も「見て覚えろ」、「目で盗め」という指導を、アルバイトをしていた学生時代から、よく聞かされました。今でも伝統的な職業程、何故かこうした指導を重んじているように思います。しかし、ディズニーでは、こうした指導方法を、①顧客満足度の低下、②後輩のやる気を下げる。③後輩が先輩になった時に、自分の後輩を上手く育てることが出来ない。と嫌います。

 

確かに、こうした指導方法が功を奏することもあるでしょうが、一般的には「先輩は何もしてくれなかった」と思われるかも知れません。ディズニーでは、後輩の働きがい、やる気を持たせることに重点を置いていますから、オープン以来、試行錯誤を繰り返しながら、徹底的に精査された後輩を育成する為の論理的で、合理的なトレーニングプログラムを確立をしているとのことです。

 

特に、こうした指導プログラムの必要性を感じております。口伝などが多い世界ですし、「(あの人は)言った、言わない・(今までは)やっていた、やってない」なんて土台から、脱することが出来ないのも勿体ない話です。(よくわからないかも知れませんが)

 

ご信心は目に見えないこともお伝えしていかなくてはなりません。ですから、しっかりと相手によって順を追い、まずは目に見えた部分からの指導、育成方法を確立すべきではないかと思います。

 

そんなことも踏まえつつ、ディズニーの指導プログラムは、大きな改良のヒントになりうるのではと感じております。まだまだ、奥が深いんですが、国語力不足の為、まだ半分もまとめ切れておりません。また自分の為にも改めて書評を述べさせて頂きたいです。

 

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祖母からのメッセージ

先日のある晩、私の夢の中に25年前に亡くなった父方の祖母が突然現われた。そしてその夢は小さいときの私と共に一緒に御看経をしている夢であった。 

私の祖母は祖父と共に大森でそば屋を営んでいたのであるが、若い頃から体が弱く、晩年は胃ガンに冒された。しかし信心は強く、いつもこの祖母と一緒にお看経していたのを今でもよく覚えている。私が率先して、お看経や御宝前のお給仕などをさせて頂くと、とても喜び褒めてくれ、それがうれしくてうれしくてたまらなかったものである。その祖母が突然私の夢に現われた。何か意味があるのだろうかと考えた。するとある一つの祖母との思い出が頭をよぎったのである。 

それは祖母が亡くなる一年くらい前のある日のことである。祖母と幼い私は二人で家の留守番をしていた。するとそこへ隣のおばさんが尋ねてきて、「お土産にもらったおまんじゅうなんですけどいかがですか」とお裾分けしてくれたのである。この時、祖母は胃ガンの手術を済ませたばかりで食事制限があり、決められた時間に決められた量しか物を口にしてはいけない状態であった。 

しかし無類の甘い物好きの祖母は少しだけならとその頂いたおまんじゅうを口にしてしまったのである。すると、祖母は突然おなかを抱えて苦しみだしたのである。その時、救急車を呼ぶにも、仕事に出ている両親にも連絡の術を知らない幼い私はあわてふためきながらも何をしたかというと、御宝前の前に座りお題目を唱え必死に「御法様、ばあちゃんを助けて下さい。」とお願いしたのであった。 

その後自力で祖母はなんとか電話で私の母親に連絡し、その連絡で家に戻った母親と祖母と私でかかりつけの大学病院へ向かったのである。病院に着き、受付で担当の医師を呼んでもらうと、その先生は今、学会の会議に出席中で今すぐには出られないので、少しお待ち下さいとの返事で、仕方なく受付のソファーに座り、会議が終わるのを待つことにしたのである。 

しかし祖母はますます顔色が悪くなり、苦しそうである。とその時後ろから「どうしたの?」と声をかけられた。振り向くとそこには学会の会議に出席しているはずの担当の医師が立っていた。ちょうど会議が休憩時間になって外に出てきたところだったのである。さっそく事情を説明すると、すぐさま診察をしてくれ応急処置をしてくれたのである。 

後でその医師から母親が聞いたところによると、「もう少し処置が遅れていたら大変なことになっていた。本当に良かった。」と話していたという。病室に移された祖母のところに行き私が声をかけると、「あんたがあの時、御法様にお看経してくれたお陰で御法様がおばちゃんを助けてくれたんだよ。ホントにありがとう。」と涙を浮かべながら私に言ってくれた。 

我々信者は常に「御法様は生きてましますということを心から信じなさい。」と教わる。しかし、それを実際に感じる為にはそこに御利益というものがないとその事を我々は信じられないのである。御利益を頂くからこそ御法様は本当に生きてましますということを実感出来るのである。私が人生で初めて「御法様は生きてまします。」ということを心の底から実感したのはこの時の祖母と共に頂いた御利益なのである。 

最近の自分を振り返ると、目の前のことに右往左往し、日々のお看経も御奉公も精一杯やっているつもりなのだがどこか形だけで心が伴っていないような感じがする。そんな私に、祖母が夢に出てきて、「あの時の素直な信心、お看経はどこへ行ってしまったの?あの時をもう一度思い出して信行御奉公に頑張ってちょうだい。」と初心を忘れるなという祖母からのメッセージ、お折伏だったのかもしれない。初心をもう一度思い出して、心機一転御弘通の御奉公をさせて頂こうと思う。 

ばあちゃん、ありがとう。

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運動雑感

ストレッチこの間、ギックリ腰になった。運動不足で筋力が衰えての腰痛なら仕方がないが、毎日ストレッチをし、ダンベルで身体を鍛えていた我身としては、ショックであった。 

5月に健康診断があるので逆三角形の肉体を見せようとハリキリ過ぎた。そのことを同僚に話をしたら、「それって笑えますよネ」とほめられた。

(中年でそんな事を考えるとはスゴイことらしい。)額面通りにいただいた。 

あとで新聞で読んだ記事にこんなことが書いてあった。「昔とった杵柄は良くないらしい。過信して無理をするそうだ。」 

歌手の西城秀樹さんが48歳の時、身体を鍛えようと無理をしたそうです。そのことで脳梗塞になった記事もあった。アイドル歌手、運動能力抜群の人でさえ、無理は禁物。当方はそれより十歳以上、年である。 

反省反省。皆さん、老化防止の為には、運動は必要ですが無理はいけません。

「昔とった杵柄」は弊害があっても益なしです。自分自身の体験から一言申し上げさせて頂きました。

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