チロリ

先日「ベイリー」という題でセラピードッグに関する記事を書かせて頂きました。セラピードッグとは、長い入院生活や大きな手術を余儀なくされた患者の不安を取り除き、治療に対する意欲を高めるために特殊な訓練を受けた医療に携わる、いわばエリート犬です。

しかし、セラピードッグの事を調べていると、日本での最初のセラピードッグはエリート犬どころか不幸な境遇に生まれた雑種の捨て犬だった事を知りました。 

1992年、大木トオル氏は、ある廃墟村を通りがかると、何かを取り囲む子ども達に遭遇します。そこには捨てられた母犬と5匹の子犬をがおりました。子ども達に「チロリ」という名前をつけられた母犬は以前の飼い主に受けた虐待の傷跡がいくつもあります。

大木氏は仕事の合間を縫って捨て犬の里親を探し、その努力が実り次々に子犬の飼い主はみつかるのですが、最後に残されたチロリは、子ども達が目を離したすきに動物保護センターの職員に連行されてしまいました。保健所では、捕獲された動物を引き取り手が無ければ5日後に殺処分することが決められており、その事実を知ったのは4日目の夜。つまり翌朝には処分されてしまうのです。 

大木氏は懸命にチロリを捜索した末に、なんとか探し出すことができ、ひとつの命をつなぎ止めることが出来ました。その後、チロリはセラピードッグセンターに預けられ苦難の末に日本初のセラピードッグとして活躍し、たくさんの人達の治療に貢献し亡くなりました。チロリは、人間に虐待を受け、捨てられ決して恵まれた一生では無かったように思います。しかし、そんな環境でもたくさんの人を笑顔にし、勇気と希望を与えたというお話です。大木氏はチロリと出会ってから保健所で殺処分間際の犬を引き取り、セラピードッグに育てるための訓練を続けているそうです。

私はこの話を知り、雑種の捨て犬が立派に人の命を救うことに感動したと共に、いったい日本ではどれほどの犬や猫が人間のエゴによって捨てられ殺処分を受けているのだろうかと疑問を抱きました。 

インターネットで調べてみると、ここ数年で殺処分される犬猫は減ったそうですが、2006年のデータでは年間で犬が約12万匹、猫が約24万匹。犬猫をあわせて一日に約900匹以上の命が奪われているのです。そして驚くことに、その多くは捨てられた犬猫ではなく、飼い主が直接保健所に持ち込み殺処分を希望するのだそうです。 

なぜこんな事態が起きているのかというと、ペットの売り手と買い手双方の意識に問題があるとされています。日本人は流行の犬種を好むのですが、いったんブームが過ぎ去ると人気のあった動物達は、えさ代がかかる、スペースをとるといった理由から行き場を無くし、保健所へと運び込まれるのです。そして犬や猫たちはどうして処分されるのかというと1匹あたりにかけられる税金が78円と限られているため安楽死どころか二酸化炭素の呼吸困難によって苦しみながら窒息死するのです。 

動物愛護の意識が高いイギリスでは犬や猫などをショーケースに陳列することや、商売目的で必要以上に動物を繁殖することが禁止されております。しかし日本の現状といえば、きらびやかな街のあちこちにペットショップがあり、ブリーダーと称して何度も出産をさせる繁殖屋が無意味に命を生んだり殺したりしているのです。買い手側もただ可愛らしいという理由で飼ったものの、世話が大変とか家族の承認を得られなかったからと、軽い気持ちで捨ててしまうというのが動物愛護センターにはよくみられるそうです。

動物をモノと見るのではなく、一つの命として真剣に受け止めて、ペットを飼うのであればそれなりの責任が伴うことをしっかりと自覚をしなければなりません。 

私達人間に癒しをもたらしてくれるのがペットという存在ならば、そのペットに対して私達人間ももっと愛情をこめ大切に接してあげなければいけないのではないでしょうか。 

とにかく、いかに動物達と豊かな共存生活を営むことができるのか。そのために我々人間は知恵を絞らなければならないとチロリの話から強く心に思いました。

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打てば響く

法鼓「打てば響く」という言葉は、日常用語としても使われますが、どことなくさわやかなイメージがあります。 

太鼓とバチ、木琴と撞木など、打つモノと響くモノと、二つの条件がマッチすると気持ちの良い音が出ますし、どちらか一方に故障があれば、その不具合が音へ素直にあらわれます。 

太鼓の場合、皮がピーンと張っていれば、打つモノが何であれ一応の音はでますが、割り箸などで叩いても大して良い音が鳴りません。いくら立派な鳴り物を用意しても、バチの方が不揃いであると、音の響き方が全然違ってきます。 

また「太鼓も撥の当たりよう」で、打ち手の技量が伴わなかったり、打ち手が好き勝手に叩くようだと、的外れとなって良い音が出ません。最初はおっかなびっくり打って「トン」と音が鳴れば満足でも、段段コツを覚えてきて「ドーン」と大きな音を響かせれば、一層気持ちがよいモノです。 

み仏は私達のために「法の鼓」という打てば必ず響く、完璧な太鼓を用意して下されました。法の鼓は私達の打ち方によって、この上ない音を奏でますが、バチの使い方や選び方が悪かったり、イヤイヤとか迷い迷い打てば到底いい音が響きません。 

では、法の鼓を響かせるにはどうすればよいか。その秘訣は赤ん坊の泣き声にあります。赤ん坊はオギャーという泣き声で、お腹がすいた、おしめが濡れてる、身体が痛いなど、自分の願いを全て表現します。言葉を喋れなくてもいつだって真剣に、願いが叶うまで延々と泣き続けるのです。すると、親の方が泣き声から全てを理解し、求めに応じてくれるのです。 

つまり、赤ん坊は泣くことに必死なので、その願いが母親の心へと響くのです。ご信心も同様で、御題目をお唱えする声に真剣味をこめ、願いが叶うまで唱え続ければ宜しいわけです。 

本当は私なんかも偉そうなことは言えないのですが、体調の悪いときなどは御看経をしていても全然集中できませんし、つい考え事をしていて真剣味にかけていたり、ひょっとすると…早く時間が経たないかな~、なんて横着なことを考えてしまうこともしばしばです…。その都度にいけない、いけないと反省するモノの、理想とされるような無余念という心で、いつも真剣に御看経が出来ているわけではありません。 

しかし、雑念を払って一心不乱に御題目をお唱えすれば、み仏は私達の願いを必ず理解してくだされ、救いの手を差し伸べて頂けるのですから、お互いにいつでもご宝前と共鳴するような、良い御看経を心掛けたいモノです。 

即ち、御本尊をしっかり見つめ、姿勢を正して、大きな声でハッキリと、一遍でも多く、御弘通の思いを持って、以上のポイントを守ることで、妙法の大鼓を打つのに相応しい、一層大きなバチへ持ち替えることができるはずです。普段から良い御看経を心掛けていけば、一寸ずつでも理想に近づいていけるかな!お互いに頑張っていきましょう。

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アクシデント

以前友人から、流行りの街乗り自転車を譲りうけました。メンテナンスを済ませ、つい先日の事です。都内に住んでいる友人宅まで、整備万全の自転車を披露しに向かいました。 

天気は良好。体力十分。ギヤを無意味に変えてみたり、嬉しさと楽しさで気分良く、漕いでいました。ですが行きは順調に着きましたが、思わぬ事態が帰りにおきました。 

それは友人宅を出て数分たった時、チェーンが真っ二つにきれてしまったのです。思わぬアクシデントがおこり、勿論自分では直すことはできませんので、サイクリングから一転お寺まで都内ぶらり散歩旅になりました。 

私は歩くことは特に嫌いではありません。ですがまだ都内の道がよく把握していませんし、都内の道並みは複雑、方向音痴ぎみな自分にとっては不安になりましたが、自分の頼もしい味方、居場所を示してくれる携帯マップをフル活用して出発しました。 

一瞬お寺までの道のりを歩くとなると、時間と労力がかかり気が重くなりましたが、普段運動不足ぎみな自分にとって、歩くのも良い運動と気持ちを切り替え足を進めました。 

すると歩いている内に、仕事や勉強など何かに集中しているときとはちょっと違う感覚を覚えたのです。心にゆとりが生まれるというか、精神的にリッチなり、頭の中の状態は意外と無で、普段よりも感性が豊かになっているような… 

自分の中での迷いや悩みなど、抱えていたらなおさら、心の煮詰まった空気から開放され、外気の気持ちよさに触れた瞬間、色んなしがらみがはずれて、フレッシュな気持ちになり、物の見方・考え方も冷静に考えられるようになってきたのです。 

歩いている最中は、建物・標識・人の流れ、普段見慣れている景色を、一つ一つ観察するおもしろさ、そして無の状態で自分自身の今までの生活を冷静に考え、楽しかった事、反省すべき事などいろいろ頭によぎり、少し長い時間歩くことになりましたが、自分を見つめ直す良い時間であったと思います。 

このアクシデントから私は、歩く事は良い運動になるだけじゃなく、心にもよい影響を与えてくれることを学んだように思います。そういう意味で、新たな発見、体と心を成長させるぶらり散歩旅であったと感じました。

乗泉寺では今、夏期参詣中であります。皆さんも普段より気合いをいれてお参詣に気張られていると思います。その中で普段とは少し違う時間の使い方を意識して、いつもより早い時間に家を出てみる、交通手段などを変えてみてはいかがでしょうか。 

意外と心に余裕が生まれ、お寺に向かうまでの道のり、また本堂内のお参詣風景の中にも、いつもと違った視点で新たな発見を見つけられるかもしれません。

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人生とは

The Top Five Regrets of the Dying長年、オーストラリアで終末期ケアに携わってきた看護師のBronnie Wareさんによれば、死を覚悟した患者さんのほとんどが悔恨や反省の言葉を残すそうです。 

彼女は、患者さんたちが死の間際に語る言葉を聴きとり、一冊の本『The Top Five Regrets of the Dying』にまとめました。 

死を間近にした人たちはいったいどんな言葉を口にするのか? 多くの患者さんと接し、その統計の中でもトップ5を見てみると

◎ I wish I hadn’t worked so hard. ──「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」

◎ I wish I’d had the courage to live a life true to myself, not the life others expected of me. ──「自分自身に忠実に生きればよかった」

◎ I wish I’d had the courage to express my feelings. ──「もっと素直に気持ちを表す勇気を持てばよかった」

◎ I wish I had stayed in touch with my friends. ──「友人といい関係を続けていられればよかった」

◎ I wish that I had let myself be happier. ──「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

いかがでしょう? ピンとくるものはありますか?自分の最期を想像し、その時になって初めて振り返るであろう後悔のポイントを今から予想するのは容易ではないでしょう。私のようにまだ若い(と思っている?)20~30代の方なら尚更です。 

ですが、「あんなに一所懸命働かなくてもよかった」とか「友人といい関係を続けていられればよかった」と後悔する人が多いという指摘は、私たちが今後の人生を考える上で、とても示唆に富んでいるのではないでしょうか。 

ここで挙げられている後悔のポイントは、いわば多くの人にとって「過ごしてしまいがちな人生」ということでもあります。裏返してみれば、「そんなに一生懸命働かなくても、いい人生は送れる」、「友達といい関係を続けていれば、より良い人生を築ける」ということかも知れません。 

高祖日蓮大士御妙判『妙法尼御前御返事』                                                                       「日蓮、幼少の時より仏法を学び候しが、念願すらく、人の寿命は無常也。出る気は入る気を待つことなし。風の前の露、なお譬えにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも、定めなき習い也。さればまず臨終のことを習いて、のちに他事を習うべしと思いて、一代聖教の論師・人師の書釈、あらあら考え集めて、これを明鏡として、一切の諸人の死するときと、ならびに臨終の後とに引き向えて見候えば、少しも曇りなし」 

(現代語訳)                                                                                                                      「私(日蓮聖人)は幼少から佛法を学んできましたが、本当に人の命は無常です。いつ呼吸が止まるとも知れない儚さは、風に消える露に譬えるまでもありません。賢愚老若に関わらず、臨終の時は知れないのですから、いつ寿命が尽きても良いように、まず臨終のことを先に学ぼうと考えて、仏様の教えや先師の注釈を学び、人々の臨終の姿と比べてみると、まるで鏡に映すように少しの曇りもなく、それは一致します」 

確かに「常に自分の死を意識して人生を過ごしましょう」と言っても無理があるとは思いますが、道に迷った時は「もしも明日、人生が終わるとしたら」と考えてみるのも悪くはないかも知れません。この御妙判(日蓮聖人のお手紙)や5つの言葉から、自分の人生において本当は何を大切にしなければならないのか、今生きるヒントが見つかるかも知れません。

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御恩返し

濱田真由選手テコンドーのロンドンオリンピック日本代表選手に濱田真由選手がおります。 

濱田さんは、小学校の頃に日本一になるなど、才能豊かな選手として注目されておりましたが、経済的な理由で今から4年前にテコンドーを諦めようと考えたそうです。 

しかし彼女は、テコンドーもこれで最後と臨んだ大会で現在のコーチと運命的な出会いをしたのです。コーチとは同じ佐賀県出身ということもあり、話しがとんとん拍子に進みテコンドーを続けることができるようになったというのです。 

濱田選手はテレビの取材で、「今のコーチに会えなかったら私はテコンドーをやめてました。今は大好きなテコンドーができることに喜びを感じ、ロンドンではコーチや地元の方に少しでも恩返しができるよう精一杯闘ってきます。」と力強くコメントしておりました。 

お世話になった方への恩返しの大切さを改めて、浜田選手の話しから教えていただき、私も濱田さんのようにお世話になった人に恩返しができるよう努力せねばと思いました。 

御恩返しの御奉公として開導聖人は御指南に、「希に人間に生れ。此の要法に値奉るその身の果報出世の思い出大信力決定心堅固にして一生怠らず御法の為に身を労し。それを大恩報謝の御奉公として口唱信行を楽しむべき也」(一講一紙要談抄・扇全8巻93頁)とお示しです。 

人間に生れ、佛立宗のご信心にお出会いさせて頂いた大果報を喜び、固く決定してこの生涯怠らずに御奉公させていただきなさい。これが御法様の大恩に報いる御奉公です。毎日の口唱行、折伏行を楽しみとしなさいと教えていただきます。私も毎日のお給仕、お看経を怠らないよう続けさせて頂き、御法様の御恩に報いることのできる教務となれるよう精進させていただきます。 

皆さんも、御恩返しの御奉公は毎日の信心修行を怠らないことであると心得て、特に今月はお盆の月でもありますから、先祖回向の思いも込めて御奉公に励ませていただきましょう。

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ベイリー

空前のペットブームですが、医療関係でもペットの与える癒し効果に着目し、セラピードッグという特殊な訓練を受けた犬を患者さんのメンタルケアに生かしている病院が出てきたそうです。 

神奈川県立こども医療センターには重度の病に悩まされ、辛い治療や長い入院生活を余儀なくされた幼い子ども達が生活をしています。こういった難病を患った子ども達は、毎日をどういった気持ちで過ごしているのでしょう。ストレスの多い病院で、毎日注射を打たなければならなかったり、何度も大手術を受けなければならないとなると、その恐怖心から不安でたまらないんだろうと思います。 

そこに、この7月よりセラピードッグの「ベイリー」という名前の四歳のゴールデンレトリバーが常駐勤務としてやってきました。ベイリーは、オーストラリアで生まれハワイで特別な訓練を受けた後、静岡県立こども病院で2年間ほど子ども達に接し、医療に役立ってきた成果を上げています。 

看護師がいくら説得しても治療をいやがったり、薬を飲もうとしなかった子どもが、ベイリーが応援にくると素直に治療を受けることもあります。長い入院生活で明るさを無くし、言葉が無くなり、笑顔を見せなくなった子がベイリーが来た途端に、元気になり声を上げて笑っている映像を見ると、セラピードッグの与える影響は大きなものだと関心致しました。

アメリカやイギリス、オーストラリア等では、セラピードッグの効果を十分に理解し、ずいぶん前から医療に取り入れているようですが、日本の医療では抵抗も多くあったようです。病院は清潔を第一に考えなければならないが、犬を連れ込んで衛生的に問題はないのか。患者が病気に感染しないのか。吠えたり、走ったりしないのかという戸惑いの声もあり、今に到るまでの苦労もあったことでしょう。 

しかし今となっては、ベイリーは子ども達に勇気と元気と笑顔を与え、他の看護師からスタッフの一員として認められ、たくさんの子ども達の命を救っています。 

ペットを飼っている人なら分かると思いますが、動物の与える影響力は大きなものです。私が得度を決心した理由の一つにも愛犬の死が要因の一つとなってることを考えると動物は人間の心を開く天性的な何かを持っているのかもしれません。 

日本の医療ではあまり認知されていないセラピードッグですが、これからも子ども達を元気づけ、希望を与えるためにもベイリーに頑張って欲しいと思いました。

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会議は踊る

会議は踊るフランス革命とヨーロッパ全域を巻き込んだナポレオン・ボナパルトによるナポレオン戦争の終結後、ヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として1814年にウィーンで会議が開催された。各国は利害を異にしているので、駆け引きと策謀をめぐらし、数ヶ月を経ても遅々として進展せず、なかなか会議の座につくことが出来ない。 

夜ごと、舞踏会や饗宴に明け暮れしているうちに、エルバ島に流刑されていたナポレオンは島を脱出し、再び攻撃を受けるという事態になってしまった。

危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。 

オーストリアの侯爵シャルル・ジョゼフの言葉「会議は舞踏会ばかりで、先には進まない」。舞踏では一般にステップを踏みながら円を描くように動き、決してA点からB点に位置を移動するようには動かないことを、実際に外交交渉よりも連夜の舞踏会の方が目立った会議に言葉をかけている。 

戦前1931年、ドイツで『会議は踊る』というオペレッタの映画が制作され、題名を侯爵シャルル・ジョゼフの言葉から借りている。内容は、長引く会議の隙を縫った、ロシア皇帝・アレクサンドル1世とウィーンの街娘との夢のような逢瀬を描いている。日本では1934年、輸入・配給されていた。 

会議も自説に固持すると、何の合意も得られない。利口バカの集まりとなってしまう。何か、今の日本の国会を連想してしまう。各種法案はなかなか進展せず、話し合いさえストップの状態。国会議員は個人の思惑か?、党は分裂し「国民を第一」になんか考えてはいないようだ。 

近年、お寺でも会議が多くなった。私達は、御祖師様の御弟子として、ご信心という筋の通った会議を持たなくては成りません。どうすればよく御奉公ができ功徳が積めるか、というご信心の筋を踏み外してはなりません。「頭でっかちの足弱」がいくら得意に意見を述べても、「船頭多くして船山に上る」であります。自己反省も込めて。

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無事の有り難さ

先日、私の後輩の教務がめでたく結婚した。大変可愛がっている後輩の内の一人で、(実は私が無理に遊んでもらっているというのが事実のところかもしれない・・・。)お嫁さんも昔から親しくしていた人だったので大変うれしかった。披露宴にご招待頂き、大いに盛り上がったのであるが、事件はその披露宴の帰りに起ったのである。 

二次会も終わり、かなりの上機嫌で自宅に向かって歩いていた。あと少しで自宅の前という所でなんと私は道ばたの段差に気付かずその段差に足をとられ、年甲斐もなくその場に思いっきり転倒してしまったのである。その時少し左足をひねった感はあったが、あまり気にはならず、その日はサッサと布団に潜り込んだのである。 

そして、翌朝。あまりの足の痛さに飛び起きた。左足をみると、おもいっきり腫れているではないか。立ち上がってみるとかなり痛んで思うように歩けない。冷や汗が出た。朝の勤行の時間もせまってきていたので、足をひきずり家を出ようとするのだが、足が痛くて靴が入らない。とにかくサンダルに履き替え、なんとかお寺に向かい、朝の勤行に出仕した。しかしお看経中も足はどんどん痛くなり、そこに座っているのがやっと、お看経どころではなかった。 

早速、朝の勤行修了後、自宅近くの病院に行き、診てもらった。幸いにも骨に異常は無かったのであるが、捻挫との診断。医者からは、あまり歩かないようにと注意を受け、湿布と痛み止めの薬を出してもらった。 

しかし、その週は御奉公の予定がビッシリ。特にある受持内のご信者さんが、ご親戚の方に長年ご信心をお勧めし続け、この度見事お教化となり、その奉安の御奉公も予定に入っていた。しかも、その奉安させて頂くお宅はなんと、兵庫県の甲子園・・・。しかし、長年苦労してやっとお教化となったのに、私の不注意から怪我をして、それで日にちを変更して下さいとはとても言えなかった。もう後は御宝前に御奉公成就のご祈願をするしかないと心に決め、お看経の時間を増やし、御宝前におすがりした。

奉安の当日、スーツにサンダルというとても失礼というか、おかしい格好で痛み止めの薬で痛みをごまかし、足を引きずりながら、新幹線に乗り、なんとか日帰りで奉安の御奉公をさせて頂くことが出来た。また、他の御奉公もご信者さんの協力でなんとか、させて頂くことが出来た。(ご信者のみなさん、本当にご迷惑をおかけしました。) 

本当に今回の事で「無事」ということが、いかに有難いかをつくづく感じた。「いつ、何が起るかわからない。」私達凡夫は日々何事もなく暮らせているということを当たり前に思ってしまい、無事の有り難さをすぐに忘れてしまう。しかし、無事ほど有難いものはないのである。無事であるからこそ、我々信者は御奉公させて頂くことが出来、罪障消滅させて頂け、功徳を積ませて頂く事が出来るのである。

今では足も完治し、不自由なく御奉公させて頂けている。日々、無事に御奉公させて頂けていることを、常に御宝前に御礼申し上げ、今後も無事の有り難さを忘れないよう自分に言い聞かせている、最近の私であります。

開導日扇聖人御教歌                                                                                                         今日も  また無事でくらせし  悦びに 五字を唱へて  御礼申せよ

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イエライシャン

イエライシャン夜来香という花をご存知でしょうか。

これは「イエライシャン」と読み、南方の暖かい地方に咲く花です。ほそい枝に星をちりばめたような白い小花。

いちばんの特徴はその香りにあります。その名のとおり夜になると馥郁とした甘い香りを漂わせるのです。 

私の実家にこの花が到来したのは、もう十年もまえになるでしょうか。近所の呉服屋さんから分けていただいたのですが、この呉服屋さんも知り合いの方から一枝を譲り受けたそうで、もとは稲取のみかん農家Yさんからたくさんの方の手に渡ったものの一つだそうです。

このYさんは戦時中ビルマ(現ミャンマー)に出兵しましたが、戦局は悪化、所属していた隊は全滅。傷だらけの体を引きずりさすらう中、ある村で一人のおじいさんに出会い、手当てを受け一命を取り留めました。そのことが連合軍に知られれば、一族はじめ村人たちにまで制裁が及びます。それでも人の気配がすればベッドの下へ、誰かが来れば物陰に隠し、家族からは「おじいさんのたからもの」といわれるほど、Yさんはおじいさんに大切にされ、半死半生だった体を回復させるに至ります。 

ある夜、おじいさんはYさんに一艘の筏をくれました。「これに乗って、川を下って逃げろ」というのです。Yさんはおじいさんと家族に別れを告げ、川を下り始めました。あたりは一面闇の中。心細いYさんは、ふと懐かしい香りに胸を衝かれました。それは故郷稲取のみかんの花に似た香りでした。Yさんはこの花の枝を数本折り取って旅を続けました。

やがてYさんは奇跡的にも再び日本の土を踏みましたが、その手にはビルマの川淵で手折った数本の枝が握られていました。「この枝は私がいのちをつないだ箸です」―入国の際にもYさんは必死に訴えました。甘い香りのその枝は孤独と絶望の中にあって、故郷への希望そのもので、手放すことのできないいとおしいものだったのです。

その後、その枝は伊豆高原の植物研究所で根を出してもらい、挿し木をして増やすことに成功しました。Yさんは夜来香という名のその枝を戦友たちの遺族に送り、それ以外にも欲しい人には誰でも分け与え、各地に弘まっていったのです。

Yさんの話には後日談があります。戦中当時、ビルマでYさんを助けてくれたおじいさんには娘がいました。この娘が結婚してまた娘さんが生まれ、成人して日本に留学に来ることになったのです。

しかし、かの地の民主化運動の余波でこの娘さんは帰郷が叶わず、日本に留まることを余儀なくされます。お母さんからはかつておじいさんが助けたイナトリの兵隊さんの話を聞いてはいたものの、その方を訪ね頼ることは慣れない異国の地にあって、まったく雲をつかむような話でした。それでもこの娘さんは「信じる気持ちがあればきっと逢える」という母の言葉を信じて、まだ見ぬYさんとの邂逅をひたすら夢見続けたのでした。

そして、その日はやってきました。Yさんはこの娘さんのことを人づてに聞き、まさかとは思いながらも会いに行ってみたところ、目の前の娘さんの面差しに、自分がはるか昔ビルマのおじいさんの家で見た娘(この娘さんにとってはお母さん)の面影を確かに認め、幾星霜を隔てた奇縁に涙を流したのでした。さて、今度はYさんが恩がえしをする番です。Yさんはこの娘さんに自分の住む伊豆に民宿を出すよう勧め、親代わりとなって助け、見守り続けたのです。

夜来香の花は、今日も我が家のベランダにひっそりとたたずんでいます。私はこの花を見るたびに、強い感慨に打たれずにはいられません。はるか昔命がけでYさんを助けたおじいさんのやさしさ。

おじいさんの恩を生涯忘れず、その思いに報いたYさんのやさしさ。時空を超えて生き続ける、縁というものの尊さ、不思議さ。

Yさんは近年、天寿を全うされましたが、この方が故郷への希望をつなぎ、はるかな海を渡った花は、いまも私の前でたしかに息づいています。

どんな時代の波にも、苦難の風にも消えることのない慈悲の思いを表すように、この花は今夜もベランダの片隅で、昔と変わらぬ甘い香りを静かに漂わせています。

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ふれあい回向

八王子別院

王子別院担当になって、半年が経過しました。

此処での御奉公の大半は法要の奉修ですが、渋谷の本寺ではあまりお見かけしたことのないような方と、ほんの二言三言でも、お話しできることもあります。 

先日は、幼稚園ぐらいの男の子が、キャンディーの包みを開けられないと言ってきたので、開けてあげたら、その子はうれしそうにキャンディーを手に取り、きれいな模様の付いた包み紙も、大事にしまっていました。何とも微笑ましく、私自身もうれしくなってしまいました。 

私は、八王子別院で法要が終わった後、お参詣された方々に、「渋谷のお寺にもいらして下さい。」「御会式にもお参りなさって下さい。」「夏期(寒)参詣にもお励み下さい。」等とお声をかけるようにしています。

本年度の乗泉寺年間総祈願には「ふれあい助行」という項目が掲げられております。勿論、お助行はとても大事な御奉公ですが、私は、ご回向を通じてのふれあいも大切にして、そこで出会った方々には少しでも声をかけ、僅かずつでもご信心にご縁を結んで行く、そのような御奉公で御弘通のお役に立たせて頂きたいと、思っています。

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本質

先日、NHKの「クローズアップ現代」という番組の中で、精神的な病と診断された幼い子が向精神薬を投与され、その副作用に悩んでいるという内容が放送されていた。 

ある子どもの例では、小学校に入学後、授業中に突然寝そべったり、動き回ったりと、ほとんど授業を受けることが出来なかったため、担任の先生より病院を紹介され受診。医者からは精神的な病と診断され、向精神薬を処方され服用を始めた。服用後は、授業もうけることができるようになったが、服用を続けた数年後、手足がけいれんを起こすなどの副作用が発生し、現在も悩み続けているとのことであった。 

番組の中では問題点として、文部科学省が精神的な病に対して、「早期発見、早期対応」という方針を掲げているからだという。学校の先生が、精神的な病の疑いがある子を見つけたら、早期に医者を紹介するなどの措置をとるそうだ。そのため、保護者も学校の進めを受けて受診をし、その結果、薬の早期投与につながるとのことである。

また、他の問題点として、「保護者が子供に寄り添ってあげることができていない」といったことや、「自分の子どもが周りの子と違うのではないか」という脅迫観念が働いて、薬を投与してでも通学させようという点なども挙げられていた。 

この番組を通して感じたことは、「普通とは違う」ということに対して、現代に生きる多くの人が過剰に反応しているのではないかということである。

「普通ではないから」ということで、必要かどうかが疑わしいような強力な作用のある薬を、小さな子どもさんに服用させる。「普通ではないから」ということで、過剰に反応をしてしまう保護者の方。

「普通でなくてならない」と大勢の人が考えているからこそ、先の番組で紹介されたような問題が起きるのではないかと感じた。 

「個性を尊重した教育を!」と口で教育論を唱えるのは簡単である。しかし、実際にはちょっとした立ち振舞いの違いに対して、我々は敏感に反応して遠ざけてしまうのではないだろうか。 

「何が普通なのかと」質問した時に、その答えを明確には示すことはできないのではないだろうか。それこそ、十人十色で答えは様々であると思う。そのような普通という曖昧な尺度を基準として、良し悪しを判断するところに、先の問題の本質があるように思う。 

御仏の御教えは、誰彼の別無しに説かれたものである。その教えを受け継ぐ我々は、自己の価値判断を御教えに依り従い、正しく物事の本質を捉えて対処することが大事で、社会生活の上でも世間の常識に流されずに進んでいくことが大切だと感じる。

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