暑気払い

浅草演芸ホール去る8月29日、青年教務会の暑気払いに参加させて頂きました。当日はお昼から浅草演芸ホールにて落語や大喜利などを見て夕方から屋形船で食事をさせて頂きました。 

私は、関西で生まれ育ったので、お笑いと言えばなんとなく漫才になじみが深く、落語と言えば日曜の夕方に放送されている「笑点」の他に見たことがありませんでした。

しかし、今回青年教務会の催しに参加させて頂き、初めて生の落語を拝見し、そのおもしろさに魅了されました。 

噺家かが一人で何人もの役を使い分け、扇子やハンカチなどの手持ちの小道具を巧みに使い、箸や暖簾のようにみせる。特に三笑亭笑三というベテランの噺家のお話は情景が頭に思い浮かび、自分も話のなかに引き込まれるようで、落語のすばらしさを体験致しました。

先輩から伺った話ですが、佛立第十五世日晨上人も「落語は観た方がいいよ」とおっしゃったそうで、そのお心は御法門の勉強になる事をお伝えされていたと拝察いたします。教務さんは、みなさん御法門を説かせて頂くのですが、得度年数、年齢によって御法門の説き方や内容は様々です。 

若手教務は、御題目口唱、お参詣、御法門聴聞に関する御法門を起承転結をつけて簡潔にまとめることに重点を置いて基本通りに御法門を説くといったことが多いのですが、ベテランのお教務さんともなると、自分の御奉公経験や人生経験を織り交ぜて心にしみるような御法門を説かれます。しかし、どちらの御法門にしても話すスピード、目の配り方といった努力はとても大切な事だと思っております。 

誰の耳にも伝わるようにゆっくりと話し、ご信者さん達が少しでも耳を傾けてくださるよう心がけることを教わり、御法門を説かせていただいているのですが、いざ御法門台に立ち、御宝前を背中に仏様のみ教えを説かせて頂くとなると、どうしても緊張してしまい、焦って拝読ミスをしてしまったり、読み上げることに頭がいっぱいで御法門帳だけに目がいって前を向けなかったり、気持ちが入っていなかったりと反省することが多くあります。 

そういった点をふまえて落語のことを考えると、人を引きつけるような話し方。話の間の取り方。目の配り方や表情などはとても勉強になりました。御法門と落語とでは全く違うものではありますが、人になにかを伝えるという点では、共通するものがあると思います。落語を見させていただき、まだまだ学ぶ所は沢山あると感じました。プライベートでも寄席を見に行きたいと思います。

屋形船の報告はまた後日…。

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勇気が大切

先日、受持の九十五歳になるご信者さんから次のお話を伺いました。 

春のお会式の翌日、桜咲く暖かい晴れた日でした。日頃お世話になっている方の家に伺うことになりました。初めてお伺いするので、住所を確かめ電話番号の書かれたメモを持参して出かけました。しかし、どこでどう間違えたのか、道に迷ってしまいました。 

どこまで歩いても高い塀に囲まれた邸宅が立ち並ぶ屋敷町をさ迷い歩き、先方へ電話する方法はないものかと考えながら歩きました。公衆電話、そして今、自分が居る場所がハッキリ伝えられる所。 

すると、「小学校北口」という十字路に文具店を見つけました。「助かった」とお店に飛び込むと、子ども連れの若い女性の方が会計をしているところでしたので、終わるのを待って、「すいません、道に迷ってしまったのですが、お電話をお借りできませんでしょうか」とお願いすると、「ダメだね。電話は奥にあるから」と冷たい返事が返ってきました。私は張り詰めていた糸がプツンと切れたようにがっかりしました。 

するとその時、私の背中、後ろの方から先ほどの女性が、「良かったら、私の電話を使って下さい。」と携帯電話を差し出してくれました。 

「地獄で仏」とはこの事、「ありがとうございます。」すがる思いで飛びつき息を吹き返しました。しかし私は、新しい電話機を使ったことがありません。「使ったことがないので誠に恐縮ですが、電話をかけてくださいませんでしょうか」と番号の書かれたメモを差し出すと、手際よくボタンを押して「はい、通じました」と電話機を渡してくれました。 

そして、先方の人のお声を聞いて「やれやれ」と安堵感が戻ってきました。そして私の今いる場所の説明を女性にお願いすると気持ちよく引き受けて下さいました。「本当に、ありがとうございました。助かりました。」迷い彷徨っている時から気分は一変し、感謝の気持ちがこみ上げてきて、女性に頭を下げたら涙がこぼれ落ちました。 

他人様が困っているとき「声をかける」という一言は大変勇気がいるものですが、こんなにも尊いもので、有難いことなのか、人の情け、喜んでもらう心がけ、お寺で拝聴する御法門で、他人にも喜んでもらうとはこのことかと、つくづく肝に銘じ反省しきりでございます。 

暗い話しや悲しい事件ばかり報道されますが、世の中には「幸せ」もいっぱい転がっている。ちょっとの「勇気」で人を幸せな気持ちにさせることが出来るのだと強く感じました。このようなお話を聞かせていただき、なんだか心が温かくなりました。 

最近、「親切」や「やさしさ」を見かけることが少なくなった気がします。お互いに勇気を出して世の中に転がっている「幸せ」を拾っていきましょう。

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はやとりち

アナウンス先日のことです。駅のホームで電車を待っていたら「○○駅での人差し指のため、電車の運転を見合わせております。」というアナウンスが入りました。 

なんということでしょう。乗客が電車のドアに人差し指を挟み、電車を止めてしまったというのでしょうか。

気の毒だな、と同情する一方、迷惑な、そそっかしい人だな、とあきれたものでした。 

しかし、そそっかしいのはこちらの方で、人差し指、と聞こえたのは「人立ち入り」、つまり線路内に人が立ち入った事が原因でした。

先日もアナウンスで「滝のおトイレ」と聞こえたので、「すごいな、駅のトイレもバカに出来ないな。昔の雅叙園みたいだな。とうとう駅のサービスもここまで来たか」と感心していたら、「多機能トイレ」が正解で、危うく恥をかくところでした。 

それにしても、「人立ち入り」とは、聞きなれない言葉です。しばらくすると案内表示にも「人立入」とテロップが流れてきましたから、どうやらこのところおなじみになっている言葉のようで、周囲の人たちも、特に疑問に思っている様子もありませんでした。 

別にこだわることもないのでしょうが、こうした場合、「線路内に人が立ち入ったため」とか「人が立ち入った影響で」といった方がわかりやすく、わざわざ言葉を縮めて、名詞に変えることもないのではないか、と思いました。 

私自身、普段の会話における言葉の遣い方が、はなはだ不明瞭、不正確なので、日本語の乱れ云々を語る資格はありませんが、どうか私のような「はやとちり」者にも配慮して、アナウンスを流してほしいものだ、とある人に語ったところ、「甘いですね御講師、外国ではそんな親切な案内などありません。駅名表示もない駅などザラです。」とピシリと言い返されてしまいました。 

どうやら日本はサービス過剰のようで、こうした国ですっかり甘やかされてしまった私などでは国際化する世相にはついていけそうにありません。その上、おっちょこちょいの早とちりとなると、さらに始末に負えません。外はまだまだ猛暑の日差し。せいぜい涼しい部屋でジッとしているほうが、恥をかかずに済みそうです。

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第5支庁支援助行

1月の仙台に続いて、8月11日に郡山・遠泉寺へ支援助行に行って来ました。バス等を準備して、教務4師とご信者30名の御奉公となりました。この日はお盆の入りで、全国的に帰省ラッシュ。東北方面も大変な渋滞となりました。 

予定より1時間遅れの午後2時過ぎに遠泉寺に到着し、さっそく布教区長・山本信得師が導師となって御看経を上げさせて頂きました。 

御看経の後、ご住職の栢森清洋師と福井事務局長からご挨拶並びにお話を伺いました。こちらからは乗泉寺と布教区からの義援金・お見舞い金を納めさせて頂きました。そして心温まるご接待を頂きました。正味1時間半という短い時間でしたが、何とかお助行の御奉公を成就させて頂きました。
お見舞い金贈呈仮本堂

遠泉寺の状況は、さすがに津波の影響はありませんが、地震の揺れによる建物の構造からの被災が甚大だったようであります。これを記している私は、昨年の秋にも行かさせていただきましたが、当時は二階建ての本堂でありました。二階にある本堂は柱が曲がり、物が壊れ大変な状態でした。併設されている庫裡も住めるような状態ではなく、一階入り口左にあるご信者の憩いの場所ロビーに、仮に御法前を用意され、御本尊・御尊像を御遷座されて御看経を上げさせて頂きました。 

栢森ご住職今回行かさせて頂きビックリしたのは、本堂が二階部分を取り払い、屋根を葺き、霊堂と本堂の建物の間に、立派な仮本堂が建立されてありました。 

ご住職の栢森清洋師は、何とかご信者皆と頑張って、一階建てでも本堂を再建されると、強い言葉でお話しされていらっしゃいました。

お寺の周辺も、パッと見ると震災の爪痕を感じられない穏やかな街並みでありますが、お話を伺うと、通り反対にあるマンションは解体しなければならないと行政の張り紙が貼られ、無人の建物でした。

遠泉寺集合写真郡山市内には、まだ解体撤去を待つ建物が大小数えると六千近くあるそうです。震災から1年半が経ちますが、まだまだ復興には時間がかかることを実感させられました。

栢森ご住職、福井事務局長をはじめ、当日御奉公をされていたご信者の皆様。本当にありがとうございます。一同、心より遠泉寺の復興を祈念させていただきます。

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リラクシンオールスターズ

明18日は、もうすっかり恒例となった、世田谷別院の「納涼祭」が行われます。私は普段は新座別院での御奉公なのですが、当日は応援で世田谷別院の方に伺って、ぜひ「音響関係」のお手伝いをさせていただこうと思っております。 

ちょっとだけ、この場をお借りして宣伝をさせていただきましょう。演し物の中の目玉中の目玉。トリを飾っていただくジャズのビックバンド「リラクシンオールスターズ」。これは本当にすごいです!!! 

数年前のライブの様子をちょっとだけご覧ください。 

いかがでしょうか?ちょっとこれだけのレベルの演奏は、そう簡単には聴けるものではありません!少し時間は前後するかもしれませんが、5時過ぎにご来寺いただければ確実です。

友人・知人・ご家族等お誘いあわせの上、楽しみにいらしていただければ幸いです。世田谷別院の場所は、当ホームページのアクセスよりご覧頂けます。皆様のお越しをお待ちしております。合掌

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希望のつくり方

希望のつくり方以前、佛立専門学校に在学中の時、先生から『希望のつくり方』(玄田有史著)という本を勧められました。先生は、最近「希望学」という研究が進んでいて、近年の若年層は希望を見失いつつあると教えて頂きました。 

そういえば、最近希望をもって何かに取り組んでいるだろうかと自分に問いかけてみると、なんだか反省しなければいけないような気がしました。

また、希望とは、そもそも一体何なのだろうか?希望を見失えばどうなるのか?希望のある人生と希望のない人生では、どちらが豊かな生活なのか?という疑問を抱きながらこの本を読んでみました。 

本の内容は、「第一章 希望とは何か」「第二章 希望はなぜ失われたか」「第三章 希望という物語」「第四章 希望を取り戻せ」という流れで解説されています。 

本文には『仕事につくことができなかったり、不安定な雇用状態にあったりする若者の多くに、共通して欠落している「何か」がある。ー中略ーその何かこそ、希望でした。ー中略ーただ考えてみると、希望が欠けているのは、なにも若者だけではありません。

毎晩やっても、やっても仕事が終わらず、長時間労働が慢性化している中高年のサラリーマン。人間関係の緊張にへとへとになり疲れ切って心身の調子を崩してしまった人たちも、年齢のちがいを超えて、たくさんいます。そんな人たちもまた、働くこと、生きることに希望を失いつつあります。』

 『今、日本社会に生きる多くの人たちが、無意識のうちに、求めがちなのは「変わる」変化ではないか。けれど、今、本当に必要なのは、自分たちの手で「変える」変化のはず』

ということが書かれ、希望は4本の柱から成り立ち、希望をつくる8つのヒントが示されていたりと、参考になることがたくさん書かれていました。

自分に対する希望、働くことに対する希望、社会に対する希望など、人によって違いがあるとおもいますが、それらの希望を見失いそうになるときがあると思います。そんなときに御信心を中心とした生活を心がけていれば自ずと希望が湧いてくると思います。

御信心では、御祈願ということを教えて頂くのですが、この御祈願こそ希望という言葉に置き換えられるのではないでしょうか。例えば、志望の会社や学校に入れるように仏様に御祈願をする。或いは、自分や身の回りの人が病気にかかっている時に早く治るように御祈願をする。この様に切実な御祈願をたてて上行所伝の御題目をお唱えさせて頂くことによって、おのずとその希望が叶うように努力をすることで、人生に生きがいを見いだすことができます。

仏教は、希望を持つこと自体が欲を張ることだからいけないこと。欲を捨てることが大切だと世間的には考えられがちです。しかし、御経文には、今の末法という時代に欲望を捨て去ることは出来ないと明確に示されています。そもそも何も願わない人間などこの世の中にいるでしょうか。人間である以上より良い生活を願いますし、幸せを願いますし、突き詰めていえば成仏を願うことは最も素晴らしい希望なのです。

希望のない生活より希望に満ちた生活を営む方がよほど人生を明るく暮らせることをこの本の中から学ばせて貰い、希望を見失わないように日常信行に励まなければならないと反省した次第であります。

御教歌

願ふこと なしと思へば 怠りぬ  ありとおもへば すゝむ信行

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山椒たっぷり麻婆豆腐

四川風麻婆豆腐もう十年以上前のことになりますが、私は高校を卒業してすぐ中国へ行き、料理人を目指していた時期があります。 

小さな頃から食い意地だけは一人前でしたし、料理を作って人に食べて貰うのも好きでした。広東省に住む親戚の後押しもあったので、どうせ修行をするなら本場へ行こうと決意したのです。

中国語は全然しゃべれませんでしたし、料理の世界も未経験でしたので、厨房で先輩の手つきを真似して下働きをするだけ、お給料などは貰えない見習いのような存在でした。

中華料理の世界は何といっても素材の新鮮さが重要です。私が勤めていたレストランでも、店頭に水槽がズラーッと並び魚介類が泳ぎ回っていて、それは鮮やかなモノでした。

またお店の先にカゴがいっぱい並んでいて、その中に生きた鶏などの食用動物や爬虫類やら、見たこともない昆虫類がたくさんいて、その下処理などをするのが私の仕事でした。詳しいことは想像にお任せしますが、それこそ何でも調理しました。

最初の頃は言葉がしゃべれないため失敗ばかりしていましたが、自分の手が空いているときには先輩の手つきをじっと見て、調理の手順をおぼえるのに必死でした。お店で使っている調味料の種類なども記憶しておき、仕事のないときに市場へ行って買い物をします。住まいには自由に使えるキッチンがあったので、記憶を頼りに試食品を作ったりしていました。

結局、広東省のレストランには一年ちょっと勤めて辞めてしまいましたが、帰国前に中国国内を旅させてもらい、その時に他の地方の料理を食べて歩きました。ご存じのように、中国の国土は日本の何十倍もありますから、それぞれの地方によって調理法や食材が全く異なります。日本では中華料理を大きく一つに括って認識していますが、中国では四大料理とか八大料理といって各地方の料理を別物として呼び分けています。

日本でも一番なじみ深いのは、激辛というイメージの四川料理でしょうか?私が中学生ぐらいの頃に「料理の鉄人」というテレビ番組がやっていて、陳建一さんという料理人がいらっしゃいましたが、その人の作る料理が四川料理です。

私も四川省の省都である成都へ行き、本場の激辛料理を食べたのですが、だいぶ想像とは違っていてビックリした記憶があります。通常、私達がイメージする激辛料理とは、唐辛子の入った真っ赤な料理ではないですかね?でも四川料理の辛さはそれとは違って、中国山椒がたっぷりと利いている辛さです。

厳密には…辛いというよりも、痺れるって感じが近いかな?本場で麻婆豆腐などを一口食べると、口の中がビーンと痺れて感覚がなくなり、身体に冷や水をかけたみたいな感じになります。そして時間が経つと共に…、徐々に熱くなってきて汗がジワジワっとにじみ出てくるのです。

その強烈なイメージがワタシの中に残っていて、今でもたまに作ったりするのですが、刺激が大好きという人には大好評を頂いているつもりです!

その麻婆豆腐を、世田谷の納涼祭で、出品いたします!8月18日(土)1時から19時です。どうぞ我こそは刺激好き、激辛だ~い好きという方は、ぜひ一度お試しあれ!数量に限りがありますので、お好きな方はお早めに!

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生まれてきた意味

自分をえらんで生まれてきたよ2012年5月、りお君の9歳までの言葉を綴った『自分をえらんで生まれてきたよ』(サンマーク出版刊)が出版され話題を呼んでいます。 

本のタイトルや校正も、りお君自らが決めたそうです。早速手にとって読んでみましたm(_ _)m 

「病気で生まれてきたから、ぼくはいろいろな体験ができる。ママもいろいろな体験ができる。だからママは喜んでいいよ」大人びた口調で語る、りお君こと印鑰理生(いんやく りお・10歳)くんを母の紀子さん(40歳)はいつも優しいまなざしで見守っています。 

りお君は、2001年、不整脈が原因で34週目に緊急帝王切開となり東京で生まれました。4種類の不整脈、慢性肺疾患、重症ぜんそく、気胸などを含め、9つの難病を患い、これまで入院は30回以上、のべ2年に渉る過酷な治療を受けて来たそうです。 

紀子さんはこう振りかえります。 「私は『ちゃんと産んであげられなかった』と自分を責め続けていました。でもりおは、どれほどつらい治療や痛みにも、ひとしきり泣くとその後は『ハッピー!』と笑みを浮かべるんです。

そんなりおと生きる中、『ごめんね』と思い続けるのは息子に対して失礼なことだと気付いたんです。」、「4歳のころ、英語のビデオを見るのが好きだったりおに『英語好きだね?』と聞くと、『ぼくはここに来る前、お空の上にいたよ。アメリカもここも同じお空でしょ?』と、いきなり生まれる前のことを語りはじめたので驚きました。 

それ以来、病気のこと、心について不思議なことを片言で話しはじめたのです。最初は、闘病日記に服薬・発作状況など記録の延長で、りおの言葉を書き留めました。」と紀子さんは、りお君の不思議な言葉に気づくようになります。 

『ぼくは、病気を選んで、生まれてきた。希望をもって、生まれてきた。心を感じることで、勇気が出る。それがつまり、希望のことなんだ』、『病気はそれを克服することで、もっと大きな幸せをえるため」、「僕のことをわかってくれるから、お母さんのところで生まれることにした」』 などなど、一つ一つの言葉がとても純粋で、哲学的でもあり、前世の記憶や中間生、輪廻転生のことなど、りお君の言葉で語られております。 

私達が人間として生まれてきた意味、そして両親のもとに生まれてきたことには確かな意味があり、過去世の因縁というものを引き継ぎ今の自分がある。単なる偶然ではなく、そこに生まれた意味があるのです。 

まれに人と生まれ、仏様のみ教えにお会いできることがいかに素晴らしいことなのか。こうしてご信心にお出会いさせていただける喜びをもっともっと深く感じなければならないのではないのではないでしょうか。

私達は生まれてきた境遇も違えば、顔立ちや身体的能力など、なぜ同じ人間なのに、こうも皆と違って生まれてのかと他と比較をし、時には嘆き悲しむこともあります。 

ご信心をさせていただいておりましても、思い通りにいかないことや辛いこともあれば、苦しさも味合うことも多くあります。 

しかし、その一つ一つが自分を成長させてくれるものと気づかせて頂ける時が必ずやって来るはずです。と同時に、仏様が説かれるように、過去世における自らの罪を消滅させていただいていることと前向きに受け止めさせていただきましょう。

したがって、人間として生まれたことは、実はとても尊いことです。誰の命であっても、命には意味があり伝えるべきメッセージがあることを仏様は教えて下されているのです。 

私達の生きる意味とは一体なんなのでしょうか。生まれてきた理由とは一体なんなのでしょうか。伝えるべきメッセージはなんでしょうか。御題目をお唱えして、仏様に教えていただきましょう。

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とりもつ

とりもつ私が以前、料理男子という題名でブログを書きましたが、新座別院で鳥もつ煮にも挑戦しました。鳥もつ煮といっても甲府のものではなく、私の母が作っていたものです。 

コンニャクが多めの一風変わった鳥もつ煮なのですが、味は絶品。母の味が恋しくなり、作って見ようと思い立ったのです。

母に電話をし、材料と量、もつの処理の仕方、味付けなどを教えてもらい、早速もつを買いました。もつを触るのは初めてで、母に電話で聞いたものの分らない所があり、インターネットやyoutubeなどに処理の仕方が載っていたので、それを見ながらの下処理です。特に砂肝の薄皮を剥ぐのにかなり苦労しました。また、コンニャクは手でちぎるので、これも労力を要しました。

それでもなんとか作り終えて、皆さんに食してもらうと、お世辞だと思いますが、皆一様に美味しいと言っていただけました。自分でも美味しいと感じ、結構センスがあるかもと自画自賛です。調子にのって、今度の納涼祭でも作ってみよう思っています。

実はその試作を先日作りまして、50人前を作ろうと思ったのですが、量を間違えて100人分の材料を買ってきてしまい、仕込みに4時間ほど掛かってしまいました(汗)でも、味は問題なかったので、やはりセンスはあるのかぁ・・・(笑)

拙い料理ですが今月の18日に世田谷別院で行わる納涼祭にもお出ししますので、もしよければ一度食べてみてください。美味しかったら是非ご家庭でも作ってみてください。

下記にレシピを紹介します。

鳥もつ煮 ~母、直伝~

◎材料  鳥のかわ、砂肝、レバー、ハツ、コンニャク

*材料の比率は、鳥かわ4に対して、砂肝2、レバー1、ハツ1、コンニャク約12。

もし、鳥かわ500gの場合、砂肝250g、レバーとハツは各125グラム、コンニャク1600gとなります。(大体15人前)

◎調味料  酒(多め)、醤油、さとう(適量、味はお好みで) 

◎手順

1、コンニャクは食べ易い大きさに手でちぎり軽く下ゆでし、ざるにあける。

2、砂肝(薄皮はそぐ)、レバー、ハツ、皮も食べ易い大きさに切り軽く下ゆでをし、アクをとり、ざるにあける。(皮は最後にゆでる)

3、まず鍋にコンニャクを入れ、酒、醤油、さとうを入れる。(酒多め)

4、軽く味をみて、もつ類をすべて入れる。

5、あとは、味をみながら煮込むだけ。(レバーが少しくずれるくらいまで煮込むと美味しいと思います)

*水は一切使いません。水分はコンニャクから出てきますが足りなければ、調味料で調整してください。

*砂肝のそいだ薄皮は捨てないで、塩コショウなどで味をつけ、片栗粉をまぶし油で揚げると美味しくいただけました。 

ちなみにこの秋、私は結婚することになりまして、嫁さんのために作ってあげられればと思っていたのですが、なんのことはありません、嫁さんはもつを食べれないのでした。チャンチャン♪

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世界で捨てられる食料13億トン

ごみこの記事を読んだ。しかし、13億トンの実感がわかない。ところがである。

これは、アフリカ大陸の国々が1年間に生産する食料にほぼ等しいというのである。

それが毎年捨てられているのである。驚きである。

日本で言えばどうか。実に1兆円以上に当たる食品が捨てられているというのである。トヨタ自動車が1兆円企業になったと騒がれた。その金額以上に当たる食料が捨てられている。それも食べられなくなった物はなく、賞味期限前の物というから驚きである。

なぜ、日本人はそんな勿体ない人間になってしまったのか。戦前の話しをすると恐縮だが「勝つまではほしがりません」と全国民がガマンをしてきた国民である。それが戦後60年あまりでこうも変わってきてしまった。しかも日本の食料自給率は39%しかないのである。食料全体の60%は輸入に頼っているのである。 

先月はお盆の月だった。お盆の故事によると、目蓮尊者の母君が慳貪(ものおしみ)の業にて死後、餓鬼界に落ちて苦しんでいる。そこで仏様のお智慧を頂いて、7月15日に修行が明ける僧侶にできるだけの供養をした。その功徳によって餓鬼界からの苦しみから逃れられた。というのである。 

私共の日本人の行く末は、こうならないことを願う。つつましく、無駄なく食べものを大事にしよう。

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