佛立青年教務会・全ヵ寺助行②

1日目は、お昼に東京を出発。一路車で東北自動車道を北上。19時に今回の宿泊所としてお世話になった盛岡・廣宣寺さんに到着し、2日目からの御奉公内容を確認しました。 

応護寺・お助行2日目は、御奉公者9人を
Aグループ・東北・日本海側
(横手・応護寺、応護寺・大曲別院、応護寺・秋田別院、能代・能持寺)

Bグループ・東北・北部
(廣宣寺・八戸別院、青森・青松寺、弘前・安穏寺、応護寺・大館別院)

Cグループ・東北・太平洋側
(釜石・慈念寺、慈念寺・宮古別院、気仙沼・清護寺、一関・一乗寺)

と3つのグループに分け、それぞれ盛岡を朝5時に出発。(Bグループは距離の関係上、前日に八戸別院泊まり)1日かけて各寺院をお助行させて頂き、20時、全グループ盛岡・廣宣寺着。

3日目は全員で廣宣寺の朝参詣に出仕。その後東京へ向かう帰路の途中、古川・福寿寺さんへ全員でお助行させて頂き、17時半東京着の往復約1500キロのお助行御奉公でした。

激励①私は、Aグループの担当で秋田県のお寺をお助行させて頂きました。印象に残ったのは、秋田は日本海側の為、冬は雪で大変苦労されているということ。

その除雪で御奉公に出られない日もある。また、高齢化の為、除雪を外部に委託せねばならず、その除雪費用が結構かかってしまい費用の面でも苦労があることなどのお話を伺いました。

そしてご信者さんから、「今度は真冬の秋田へ来て下さい。こんな季節の良い時に来てもダメよ」とお叱りを頂いてしまいました。(笑)(必ず別の機会に真冬の秋田に御奉公に上がらせて頂きます!)

都会で御奉公している私には想像できない御苦労がある中、秋田のご信者さんは一生懸命御弘通御奉公に励まれています。また、こういう自然が厳しい所へ御題目を御弘通された、先師上人やご信者方の情熱、ご信心に頭が下がると同時に、都会でぬくぬく御奉公している自分を恥ずかしく思い、とても反省させられました。

そして、日頃なかなか一緒に御奉公する機会の少ない他寺院の教務さんと共に御奉公出来たことは、自分にとってとてもよい刺激になりました。また、太平洋側を廻った教務の中には、東日本大震災発生時、京都の佛立教育専門学校での勉学の為、支援御奉公等に参加出来ずにいた者がいたのですが、今回のお助行で日頃テレビ等では解らない現地の様子、津波の爪痕等を肌で感じ、被災された方々のお話などをお聞かせ頂いて、教務として大変勉強になったという者もおり、二泊三日という非常に短い期間ではありましたが、我々青年教務には大変有意義なお助行御奉公とすることが出来ました。

激励②

 

今回お助行を快くお受け下さり、また、笑顔でお迎え下された14ヵ寺のご住職方、ご信者方の皆様に心から御礼申し上げると共に、今後もまだまだ未熟な我々青年教務にご指導のほどよろしく御願い申し上げます。

 

全ヵ寺助行は始まったばかりですが、異体同心でこの記念御奉公が円成出来るよう更にがんばりたいと思います。

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佛立青年教務会・全ヵ寺助行

みなさん、「佛立青年教務会」をご存じですか?青年教務会とは宗門の40歳以下の教務(お講師)で構成されている宗門の外郭団体です。略して「青教」(せいきょう)と申しております。会の目的は、全国各地で御奉公に励む若手教務が、所属寺院・布教区・支庁の枠を超えて、全国のご信者のお役に立つ御奉公をさせて頂くこと、またその御奉公を通じて会員各自の教務としての成長をはかり、同世代の教務同士のつながりを作っていくことを目的としています。

私は現在その青教の本部役員の御奉公をさせて頂いているのですが、来年(平成26年)10月に青教は発足50年を迎えます。この節目の年を迎えるにあたり、今の青教に何が出来るかを本部役員で考えた結果、本門佛立宗の一つの特色であり、開導聖人が菩薩行の実践の場としてお遺しになった「お助行」という御奉公を通して、宗門各寺院の御弘通御奉公のお役に立つ御奉公をさせて頂くという結論に至りました。

そして、そのお助行も一部のごく数ヵ寺に限って御奉公させて頂くのではなく、国内にある全ての佛立寺院・教会・別院・親会場、約350ヵ所を、約120名の会員総出で廻り、平成25年度中に「全ヵ寺助行」完結を目標に御奉公させて頂くことを青教50周年記念御奉公とさせて頂くことと致しました。

また、宗務総長からのご依頼で今年から宗門の御奉公として始まっている、「佛立開導日扇聖人ご生誕200年慶讃・佛立開花運動」の推進を、全ヶ寺助行の御奉公の中で微力ながらお手伝いさせて頂くこととなりました。

具体的には、全国を東ブロック(静岡県から東)西ブロック(愛知から西)に分け、さらに各ブロックにそれぞれ4つの班を作り、合計8班で10人~20人を1班として、全国の会員で手分けをしてお助行させて頂こうというものです。

私が所属する東C班の担当は第7支庁(東北)と第5支庁(東京・千葉・茨城)の一部で合計40ヵ所が担当です。そしてその全ヵ寺助行御奉公のトップバッターとして東C班13人のうち、私も含め9人の班員が5月13日から15日の二泊三日で東北北部14ヵ所へお助行させて頂きました。(続きは明日アップします。)

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認知の歪みpart2

15日の続き「認知の歪み」の残り5つをご紹介させて頂きます。 

⑥誇大視と過小評価
この思考パターンに陥ると、双眼鏡を覗いた時のように、自分の短所や失敗を必要以上に大きくに捉えて、逆に長所や成功した時であっても、あまり自分を評価することが出来なくなってしまいます。

例えば、「小さなミス」を犯してしまったりすると、「なんてことだ!!これで自分の人生は台無しだ!!」と考えてしまい、すぐに一番悪い結果へ結びつけてしまうことです。客観的にみると何でもないことが、自分のことになると必要以上に大きく捉えてしまいます。 

⑦感情的決めつけ
自分の感情を根拠に、モノゴトを決め付けてしまう思考パターンです。私たちは、時に自分の感情が現実世界と直接結びついているような錯覚をしてしまいます。 

例えば「私は不安を感じている。だからこれは上手くはいかないはずだ。」「私はあの人が苦手だ。だから間違いなく私のことも嫌いだろう。」と答えをすぐに決め付けてしまうことがあります。 

私たちの心ほど不安定なモノはなく、「不安」「怒り」「悲しみ」「憎しみ」といった感情の変化で、目の前の景色も変わるのですから、飛躍的な決めつけをしないで現実の姿を見失わないよう注意しましょう。 

⑧すべき思考
何かやろうとする時に「~すべき]「~すべきでない」と考えることです。常に「~すべき」「~すべきでない」と考えると、極端な場合その基準に合わせようとして、なにかと自分自身を追い詰めてしまうことになります。勿論、自分自身を正しく律することでプラスに働くことは多くあります。 

しかし、一度大きな失敗をしたり、思い通りにならなかった場合は、出来なかった自分に対して大きな罪悪感が生まれてしまいます。 

特にこの「すべき思考」を他人や社会へ向けると、「親として~すべきでない」「◯◯(職業)だから~すべき」「人間として~すべきでない」「一般的に~すべき」など、こうあるべきだ、あるべきでないという縛りによって、常にイライラとした気持ちを抱えてしまうことになります。 

誰であっても完璧な人は存在しません。自分は勿論、人の失敗や過ちに対して寛容になりましょう。 

⑨レッテル貼り
日常の中でちょっとしたミスや失敗をした時に「自分は負け犬だ!」「私は本当に意気地なしだ!」などと自分自身にネガティブな「レッテル」を貼ってしまうことです。 

私たちはその場の感情に流されて、たった一度でも自分にマイナスなレッテル貼ってしまうと、以後こうしたマイナスのレッテルは中々剥がれることはありません。誰よりも自分を理解出来るのは自分だけですから、自分で自分を傷付けることがないように気をつけましょう。 

⑩自己関連づけ
自分に責任がないような場合でも、原因を自分に求めてしまうことです。「私のせいで雨が降ってしまった」というような極論も含まれます。何か良くないことが起こった場合、それを自分だけの責任と考えるよりは、どうすれば今直面している問題を解決出来るのだろうかと考えた方がより健全で大切なことでしょう。 

「自己関連づけ」の思考パターンを繰り返すと、結果として物事を客観的に判断出来なくなってしまいます。

以上、私たちの考え方のクセである「認知の歪み」として10種類のパターンをご紹介させて頂きました。 

お互いに「今」自分が直面をしている様々な諸問題を客観的に振り返ってみると、自分自身が「認知の歪み」を生み出してしまったり、いたづらに拡げてしまい、悩み苦しんでしまっている場合が案外多いものだと思います。

part1でも申し上げましたが、この「認知の歪み」は誰にでも例外なく起こり得ることです。日々の営みの中で、私たちの思考の偏りやクセを知っておく為のツールとして、この「認知の歪み」のパターンを頭に入れておくと、些細なストレスを抱えた時に、フッと我に返ることができるかもしれません。

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タケノコ

タケノコ5月も中旬を過ぎまして、なんだかジメジメした日が多くなってきたように思います。

ところで、この時期になると決まって乗泉寺の境内はあるニオイで充満いたします。そのニオイの発生源は、境内にある竹やぶです。

タケノコが地面を掘り起こして土っぽいニオイをたて、さらに皮がむけたタケノコから青臭いニオイが発生するようです。

鼻をつくこのニオイを嗅ぐと、もうすぐ梅雨入り間近か~鬱陶しいなと思う反面、そろそろ若竹煮が食べられるか~楽しみだなと、毎年こころがウキウキします(^^)

筍、土を掘り起こすしかし、今年は竹やぶの横にある幼稚園側の壁を工事しまして、作業の邪魔になる竹をだいぶ伐採したので、その影響からタケノコが生えないのではないかと危惧していました。

そこで先日、竹やぶの調査に行きましたら、ちゃんと生えておりました!


竹林

でも例年よりだいぶ本数が少ないし、なんだか幹も細いように思います。やっぱり工事で根っこをいじめてしまったから、エネルギーが不足しているのでしょうか
<(_ _)>

 

若竹煮


例年だと、間引きした乗泉寺産のタケノコを、教務食堂で若竹煮をご馳走になるのですが、さすがに今年は竹やぶに無理を強いたので、せっかく生えた数少ないタケノコを食べる気にはなれません(^_^;)

それから、数年前から乗泉寺にも分煙ブームが到来しまして、竹やぶの横にベンチが置かれて野外喫煙所が設置されました。この喫煙所がひそかに地元の人達から愛されているようです。

 

竹やぶを横に見て、正面には妙証池と霊堂、本堂をバックに豊かな樹木が立ち並ぶ、
こんな絶景ポイントでタバコを一服すれば、ひと味ちがって心も癒されるでしょうね(^o^)。o0

喫煙所喫煙所

 

竹やぶの場所は、普段みなさんがお参詣されるときには通らない場所なので、人通りも少なくゆっくり出来る空間でもあります。ちょっとだけ回り道をして竹やぶの風景を眺めながらマッタリするのも、乗泉寺へお参詣する際の一つの楽しみといえるかも知れません。

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記念法要の思い出

去る4月27日~29日の3日間にわたり、京都・本山において「門祖550回御遠諱記念大法要」が盛大に奉修され、日本全国はもとより世界各地から沢山の佛立信徒がお参詣されました。

この記念となる日を迎えるにあたり、宗門では平成22年度から3カ年にわたり「教務員増加」「助行達成者の増加」「正宗徒の増加」の報恩御奉公に励んでまいりました。

私もこの運動の際に入寺得度させて頂き、それまでまったくご信心に背いてた自分が、わずかながらもご信心の大事さに気づき、人生を大きく変えて頂いたことを感慨深く感じております。

そして、この3カ年にわたる報恩御奉公の間に得度をゆるされた教務が各座の前座御法門の拝読を任命され、わたくしも29日の一座目にお参詣させて頂き、本山の御宝前にて御法門を拝読させて頂くという栄誉を賜りました。

このお話を頂いたときは、私のような未熟者が本山の記念大法要で御法門を説かせて頂くなど、とても恐れ多いことだと思いましたが、先輩からこんなチャンスは滅多にないのだから、謹んでお受けして精一杯に拝読の練習をしなさいとご指導を頂きました。

私も初心に立ちかえるつもりで、3年前に乗泉寺で初御法門をさせて頂いた時のように、自分が出せる精一杯の声で「大きな声で、ゆっくり、ハッキリ、自信を持って」を心がけ、せめて私の必死な思いだけでも伝えることができるようにと、拝読の練習に励みました。

頂戴した御教歌は

何もよし 人と生まれて 要法に あひし縁しは 有難の身や

この御教歌は、妙法にお出値いした自分の幸せに気付き、感謝の出来る信者となることが大切で、私達佛立信者の挨拶「ありがとうございます」の心を教えて頂く御教歌でございます。

当日は沢山のご信者さんの前での拝読でした。乗泉寺で御法門を拝読させて頂くときも緊張いたしますが、特に今回は本山での初舞台でしたから、いつも以上に気を張ってのぞみました。おかげさまで何度も拝読を練習した成果が顕れたのでしょうか、何とか無事に御法門を拝ませて頂くことが出来たのではないかと思っております。

そして、一座が終了して本山をあとにする際には、お参詣ご奉公されていたご信者方から、励ましの声をかけて頂いたことが、何よりも嬉しかったです。

今回の記念すべき大法要で、京都・本山において、また全国の皆さんの前で、前座御法門をさせて頂けたことは、これからの人生の中でも一度あるかないかの貴重な体験をさせて頂けたと心から随喜しております。

これからもこの喜び、そして初心の気持ちを忘れることなく、次なる目標である平成29年の「佛立開導日扇聖人ご生誕200年」にむけて、「弘通の人づくり」のご奉公に精進してまいります。

また、今回本山にお参詣出来なかった方は、本庁のホームページより3日間にわたる各座ごとの法要奉修映像を視聴することができますので、是非ご覧にになって頂いて、新たな気持ちで御奉公をスタートして頂けたら幸いでございます。

https://www.youtube.com/user/HBSmuseum?feature=watch

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清風寺子どもお会式参詣記

御講風景
今月の5日にJSK(乗泉寺・清風寺教務部論)で清風寺の第百回目子どもお会式にお参詣させて頂きました。 

前日の夜に清風寺に入り、早速に役中御講にお参詣し、御講の法要式にも違いがありまして、よい経験をさせて頂きました。

なかでも教化の御祈願では、各誓願者がお参詣の度に祈願カードを持参して言上頂く、下種先発見のお願いから正法帰入へ、そして無事育成のお願いへと段階を進めて御祈願させて頂く様は、一度毎の御祈願をとても大切にしているように感じました。

通信を拝読したりお助行の予定、御奉公の確認などと乗泉寺の役中会に似ている部分もありました。また、寒参詣の皆参賞の伝達もありまして、1年皆参、5年連続皆参、さらに25年皆参、50年皆参と褒賞いただけるそうで複数年のモチベーションの維持になりますでしょうし、その管理もえらい事だと感じました。

大太鼓

 

さて、翌日は子どもお会式を見学させていただき、第1部は本堂で式典が行われました。昇堂の大太鼓は、大きな物を揃えたと聞いていましたので楽しみにしていました。

目の当たりにすると、でけえwとその大きさと音の迫力、そして思ったよりお手頃のお値段に驚きました。ちょっと欲しい…。

 


式典中の言上の薫化会参詣誓願に
「一、毎月の薫化会御講に会員162名を目標に年間延べ、1830名お参詣いただけるよう将引に励みます。一、夏期修行参詣に会員1日120名。
 一、5日間延べ1624名お参詣いただけるよう将引を徹底します。」とありました。  

月162名の参詣の御講とは如何様なものか是非とも見学に行かせて頂かなければと思います。 

子ども御会式風景12部の清興、模擬店も各連合の御信者さん方が趣向を凝らして子ども達が喜ぶようにとご奉公なされておりました。

部の抽選会にも沢山の子ども達が最後まで残り、御礼の御看経が上がっており、流石と百年の積み重ねだというおもいです。

 

子ども御会式風景2参詣数は薫化会218名。一般その他で645名で合計863名です。

教養会などの一部の組織で薫化会を盛り上げていると言うよりも、お寺のご信者さん一人一人が自分の御奉公として、積極的にされている姿勢が素晴らしく、私達乗泉寺も後続者育成の姿勢を学ばさせて頂かなければと強く感じました。

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認知のゆがみ part1

現代はストレス社会と言われて久しいですが、そもそもストレスが生み出される要因ってなんでしょうか?「原因は自分にあり!!」と言われてしまうと、私たちはますます落ち込んでしまったり、そんな相手に対して腹を立ててしまうものですが、とにかく自分を責めてばかりいては精神的にも辛くなってしまいます。

しかし、ストレスを感じてしまった時、心が晴れない時には、私たちの思い方、物事の受け止め方にも原因があるかも知れません。「認知のゆがみ」って言葉を聞いたことはありませんか?僕もつい先日遅まきながら新聞のコラムを読んで知りました。

「認知」とは、辞書で調べてみますと「外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のこと。」という意味があります。心理学では「言語化された思考」という意味があるそうです。そんな考え方のクセから私たちの思考回路に歪みが生じてしまうことがあるそうです。

心理学では、この「認知のゆがみ」は10種類に分類されるそうです。本日はその中より5つを紹介させて頂きます。(他の5つは後日ご紹介させていただきます。)

①「全か無か思考」
ほとんどの問題は, 白か黒かのどちらかに決めることは出来ません。灰色や赤色、黄色や青色が存在するように、全ての事実というものは、それらの中間にあるものです。しかし、物事を見るときに「良いか悪いか」、「好きか嫌いか」、「0か1か」という2つに1つのの見方をしてしまうことを「全か無か思考」といいます。

普段は一歩引いて客観的に色々なモノの見方が出来ている人でも、ストレスが掛かった状況が長く続くと、知らず知らず思考パターンが狭まってしまいやすいようです。

②「一般化のしすぎ」
自分の思い通りにならないことや失敗することが続くと、「いつも決まってこうだ」、「自分は上手くいったためしがない」、「結局はこうなんだ」などとマイナス思考で物事をとらえてしまうということです。

本来、失敗は誰でも多くするものですが、このような考え方になりますと、たった一つの物事でも、イヤなことが繰り返し繰り返し起こっているように感じて、ネガティブな考えしかできなくなってしまうようです。

③「心のフィルター」
たった1つの良くないことにこだわってクヨクヨと悩み、他のことが頭に入らなくなってしまうこと。このような思考になると、良い情報を無視して、悪い情報ばかりを選んで取り上げてしまいまい、何事もネガティブに見てしまいます。

④「マイナス化思考」
単に良いことが頭に残らないだけでなく、何でもない事や良い出来事であっても悪い出来事にすり替えてしまうこと。例えば自分は能力がないと考えている人が、仕事が上手くいっても「これは偶然だ」と考え、仕事が上手くいかない時は、「やっぱり自分はダメなんだ」と考えてしまうことです。

⑤「結論の飛躍」
特に確かな理由もないのに悲観的・自分は良くないんだ・悲しいというような結論を一気に出してしまうこと。根拠のない決め付け型。破局的な判断型に分類されるそうです。

a. 心の読みすぎ:ある人が自分に悪く反応したと早合点して、決めつけてしまうこと。
b. 先読みの誤り:今の様子は確実に将来悪くなると決めつけること。

例えば、重い病気を宣告された時に、「これで人生は終わりだ!」と判断してしまったり、一度や二度の失恋で「もう私は死んだ方が良い」と考えてしまう。また、同僚や同級生、上司との間で失敗をすると、「もう自分は嫌われている」と決めつけてしまうことです。

以上、本日は「認知のゆがみ」より以上の5つのパターンを紹介させて頂きましたが、もし、頭の中でモヤモヤとしている時やストレスを感じている時は、この「認知のゆがみ」という思い方のクセに原因があるのかも知れません。

確かに自分に原因があるとは誰でも思いたくないものですが、やはり自分の考え方を変えていけば日常で起こる失敗も成功も明るく受け取れるものだと思います。私もつい「全か無か思考」になりやすい所があり、自分自身にストレスを与えたように思います。むむむ、反省です(>_<)

常日頃からこうした「認知のゆがみ」と真摯に向き合えるようになれば、より広い視点で物事が見つめられるのではないかと感じました。
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生涯、一年生

早いもので、今年ももうゴールデンウイークが終わりました。 この春進学をした小学校、中学校、高校、そして大学の一年生たちも、新しい環境にすっかり慣れてきた頃でしょうか。

話は変わりますが、かつてJリーグで大活躍した三浦知良選手が昨年フットサルのチームに入団し、話題になりました。その三浦選手は、入団後初めてシュートをきめた時のインタビューで、「これで僕もやっと仲間に入れた、と実感しています。」と語っていました。自分は以前、プロのサッカー選手ではあったが、フットサル選手としては一年生、という謙虚な思いが伝わってくる言葉です。

乗泉寺の御住職川口日智上人は、「お互い佛立信者に卒業証書は無い。70歳は70歳の、80歳は80歳の一年生というつもりで、生涯御奉公に励んでいくことが大切」と、常々お教え下さっています。もとより、本門佛立宗の教えの拠り所である法華経本門八品において釈尊は、「私は久遠の昔から、御題目を唱え、そして他の人にも唱えることを勧める菩薩行を度重ねてきたのだ。」と仰せられ、釈尊の前世のお姿であった常不軽菩薩 は、街角で会う人ごとに、「あなたも菩薩の修行を重ねていけば、必ず成仏できますよ。」と、真の人助けとなる菩薩行を勧めておられます。

たとえ何十年ご信心を続けようと、私共佛立信徒の御奉公の基本は、御題目を一遍でも多く唱え、また一人でも多くの人に勧めることに変わりはありません。自力に限界のある私共は、「仏様、どうか本日も、お知恵をお授け下さい、お力をお貸し下さい。」と、毎日毎日御本尊に向かって御題目を唱え重ね、そして、子供たちが「○○ちゃん、一緒に遊ぼう。」と声をかけあうように、「あなたも御題目をお唱えしましょう。」とお勧めするのです。ご信心の年数を重ね、段々色々なことがわかってくるのも結構ですが、この菩薩行というご信者一年生の修行の姿は、生涯忘れてはなりません。

かくの如く申す私も、そろそろ古株教務になりつつあります。社会人が以前学校で習ったことをきれいさっぱり忘れてしまうように(そちらの方は、私もあまり覚えておりません)「ご信心の一年生」として一番大切な修行をおろそかにしてしまうことのないよう、自戒の念をこめて申し上げる次第です。

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妙証池のお客さん

まったりの鴨

今日、乗泉寺の妙証池に鴨がお参詣くださいました(^^)

いつも寄り添う姿から、きっと仲良し夫婦かな?

 

つがいの鴨


 

仲よく水面をたゆたう姿が、なんとも心いやされます。池の中にいれば安全だと思ったのか、こちらが横まで近づいてもほとんど警戒心がありません。

人になれているというか、野性味にかけているというか、都会の鴨はひと味違うのかな?

 

シンクロ鴨

 

ときおり水の入れ替えをしている妙証池には、エサになるような昆虫はいないと思うのですが、シンクロナイズドスイミングのように逆立ちして水中を物色中。  

 

すると、なにやら下心のありそうな猫ちゃんが登場。 視線の先にいる鴨も、少し慌て気味でした(^_^;)  

あわてる鴨視線の先に鴨

 

 

 

 

 

 

 

 

ほふく前進の猫

ほふく前進して池に近づきますが、ちょうど池の脇にある溝にはまってしまいました。

気持ちのそがれた猫ちゃんは マッタリして、今度はカメラ目線をくれました(^_^)v

 

溝にはまる猫渋谷という大都会の真ん中で、まるで外の喧噪が嘘のように、乗泉寺の境内は時の流れがゆるやかです。

きっと樹齢何百年と思われる立派な大木や、季節ごとに咲きほこる豊かな草花のはたらきによって、境内の空気が清浄にたもたれているのだと思います。


そんな自然豊かな乗泉寺には様々な動物や昆虫も住みついています。ちょっと前のことですが、タヌキやイタチがいたという目撃情報もありました。

みんな乗泉寺を愛してここを根城と決めたのでしょうか?かくいう私も乗泉寺の美しい自然が大好きな一人で、今日の出会いもまた楽しい一時でした(*^_^*)

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京都の味

にしんそば高校時代、修学旅行を目前に控えたときのことでした。先生から「向こうへ行ったら、ファーストフードやコンビニで安易に食事を済ましてはいけない。高いものでなくてもよいから、地元のおいしいものを食べてくるように」と教えられました。

「暮らしを支える衣食住の中で、変遷を免れない衣服や住まいに比べ、食べ物は形の上で最も残りやすい。だから、そこの名物を口にすれば、その土地の歴史を舌で感じる事になる。また食べ物は、その土地の人々の好みや気質を直裁に反映するものである。したがって土地のものを口にすれば、味を通じて地元の方と感覚を共有することができる」というのがその御説の骨子でした。 

英単語、微分積分いずれも記憶のかなたですが、こうした話は妙に印象に残るもので、いまも旅先においては実行している恩師の教えです。 

さて、所変われば品変わるもの。三十年以上関東の醤油味に慣れた舌には、この土地特有の塩出汁の味が新鮮に感じられます。

食堂のおかあさんの作ってくださる切り干し大根も、あっさりと白く、京都南座横の老舗「松葉」で頂いた「にしんそば」のお汁も、透き通って上品な色合いでした。一見さらりとしていますが、しっかりとコクがあるのが特徴です。

また名物の豆腐料理も、店先に豆乳や豆腐ヨーグルトなどを並べており、気軽におやつにできるのもうれしい事です。豆腐や油揚げも、おかずの中でさりげなく存在感を発揮しています。油揚げと人参の細切りを白和えにしたのや、歌舞伎「葛の葉」に由来する信太巻なども、この地方に根付いたお惣菜のようです。

勉強に来たのに、食べ物ばかりに目移りするのが凡夫のいやしさ情けなさですが、こんな事からでも、京都の息吹をみなさんに感じていただければ幸いです。

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奥深さ

英語2011年の4月から小学校5・6年生で、英語の授業が必修化になりましたが、先日もテレビで、英語しか使わないという幼稚園の特集をやっていました。

今後、私たち日本人にとって英語がさらに、身近なものになっていくのだなと感じました。

現在では、地球の公共言語となっている英語ですが、我々日本人にとっては大きな問題点もあるようです。その問題点とは、いつも何気なく使っている日本語が、英語に翻訳するとニュアンスが違ってしまったり、日本語から英語に翻訳することができない言葉がある、ということらしいのです。

例えば、「おかげさまで」という言葉、これは他人から受けた助力や親切に対して感謝の意をこめていう言葉ですが、その他に挨拶などでも用いられ、相手が自分に何かをしてくれたわけではない場合も使われています。

「お陰」という言葉には、神や仏の御加護、恩恵を示す意味があります。相手から受けている思いやりや気づかいに対して感謝すると同時に、順調なのは自分一人の力ではなく、神仏を含めた周りのみなさんの助けによって、という広い意味での感謝の意がこめられているのです。

しかし、英語では、相手が本当に何かしてくれた場合、感謝すべき結果をもたらした対象を明確にして、感謝を表わす表現しかないそうです。

その他にも、「もったいない」等、英語に翻訳できない日本ならではの素晴しい言葉がたくさんあります。英語や他の国の文化を勉強することによって、私たちが気づかなかった日本の良さを発見できるのは、素晴しいことだと思います。

ご信心は、たくさんの「おかげ」を学べる機会でもあります。「おかげさま」といった目には見えないものに感謝をする気持ちを、いつまで忘れないよう、改めてご信心の大切さも伝えていきたいと感じました。

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雪山童子

当宗では、お寺や御講席(ご信者宅)の法要の中で御法門というものが説かれます。この御法門とは、仏様のみ教えのことで、ご信心の仕方や功徳の積み方、そして御利益の頂き方などを教えていただける、とても有難いものです。

ですから、私達が本当の幸せになる道を進むためには、御法門を説かれる場所に出向き、真剣に耳を傾けることが大切なのです。

昔、雪山童子(せっせんどうじ)という仏道を志す一人の修行者がおりました。その姿をみていた仏法を護る神である帝釈天は、ほとんどの修行者は、わずかな困難に出会うと、すぐに退転してしまうので、雪山童子も同じ輩ではないかと疑っていました。

そこで、帝釈天は、雪山童子が修行を完成できるだけの人物であるかを試すことにし、見るも恐ろしい鬼に姿を変え、童子のもとに来て、過去の仏様が説かれた教えの半分を声高らかに唱えました。雪山童子は、大いに喜び、鬼にどこで聞いたのかを訪ね、そして、あともう半分を教えてくれるよう頼みました。

しかし、鬼は『私は非常に空腹である、お前の肉体と引き換えに教えてやろう』と言うのです。それでも童子は、迷うことなく自分の身を差し出すことを鬼に約束して、仏様の教えを求めたのです。

鬼は、約束通り、残り半分の教えを唱えました。童子は、後の人々のために壁や木などに、この仏様の教えを書き留めて、鬼にその身を差し出しました。

すると鬼は帝釈天の姿にもどり、童子にこう言いました。「あなた様は、すべての人々の幸せのために、自分の命も惜しまない、真の菩薩です。どうか私のしたことをお許しください。」と童子に対して帝釈天は、心から懺悔をしたというのです。実は、この雪山童子という方は、仏様の修行時代のお姿であり、このような菩薩行の功徳により、成仏の果報を得られたのでございます。

このように、仏様の教えである御法門は、何としてでもお聞きしたいと請い願うものなのです。そして、一言も聞き洩らさないよう集中して耳を傾け、大事な部分はメモをとり、そのみ教えを素直に実践させていただくことが大切なのです。

御法門を聞くことをしていませんと、どうしてもお互いは、自分本意な生き方になっていき、幸せの道からは遠のいてしまうものです。

お互いの幸せのためにより多くの御法門を聴聞させていただきましょう。

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