夏休み最後の日に思うこと

最近「宿題代行」の話題が、世間を賑わせています。「宿題を代行するなんてけしからん!」と多くの方が思っているようです。

私もその一人。子どもの宿題を代行するなんて良い訳が無いと思います。私自身、夏休みの宿題は最後の日になって慌ててやるような子どもでありましたから、「宿題を真面目にやらなければ自分の力にならない」などと大それたことは申せません。

が、しかし、「自分のことは自分でやる」という習慣が身に付かなければ、社会生活をしていくことが大変難しくなってしまうと思います。仕事も代行してくれるのか、結婚、子育て、家事も代行してくれるのか。そんな訳はありません。

何でも自分のことは自分でする。ごく当たり前なことですが、とても大切なことだと思います。仮に宿題を忘れれば、当然本人が怒られる。私自身、学校の先生にどれ程怒られたことがあったのか、数え切れません。

しかし、そういった経験から、怒られるという結果は自分の怠けが原因なのだということを、身に染みて感じることが出来るのだと思います。(その失敗を繰り返してばかりなのですが・・・)

原因があるから結果がある。良い結果は良い原因によるものであります。そして、良い結果を得るためには、やはり相応の努力精進が必要なのです。

世の中には、たくさんの代行業が存在します。運転代行、買い物代行、結婚式出席代行、お墓参り代行などなど。

必要としている人がいるから、代行業者も成り立つ。代行が必要な時代となっているのだと思いますが、代行して良いものと悪いものがあるのではないかと、今回の宿題代行の騒ぎで感じた次第です。

※ご信心に代行はありません。後になって後悔することの無いよう、今生で沢山の功徳がいただけるよう、毎日の口唱信行に励むことが肝心です。

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共通点

近頃、自分の性格や内面性といったものの中に、両親との共通点を発見することが多々ある。 

これまで私は、心のどこかで自分は自分、決して親のようにはならないぞと意地を張ってきたつもり…。ところが近年、ふとした瞬間に、自分の考え方や行動などを省みると「俺ってば父親そのものじゃない」と気付いて苦笑いしてしまう瞬間がある…。

「血は争えない」とか「蛙の子は蛙」なんていうけどホントだなと痛感する時、自分の行く末をリアルに垣間見るようで、何だか複雑な気持ちになってしまう…。

まー普通に考えたって、両親のDNAを半分ずつ引き継いでいるわけだから、外見も似れば内面だって似ていて当然。ましてや、自分の幼少期に一番身近で強く影響を残したのは間違いなく両親。

「三つ子の魂百まで」ともいわれるし、その昔に子供の私を育てていたときの、「両親の性質」がそのまま「私の性質」となって、魂の奥深くに根付いてしまっているのかも知れない。

自分という固定観念を離れて、家族という価値観に視点を変えてみると、今まで見えなかった過去の繋がりが見えてくるもの。きっと両親の性格や特徴なども、お爺さんお婆さんの影響を受けているだろう。その前には曽祖父と曽祖母の影響があるはず。

こういった考えをさらに突き詰めてみると、天文学的な影響が、私を支配しているように感じられる。すると、そもそも独自的な個性なんてものがあるのか?或いは血族特有の個性しかないのか?何だか分かったものではない…。

そのように、私という個人の中に善くいえば過去の遺産、悪くいえば過去の怨念が蓄積されているわけだ。現在の自分の存在は、遠い過去の集積であり、遙か過去の集大成が今ここにあるといえるだろう。

もちろん、凡人の私などには遙か遠い過去を知るのは無理なこと。だから、両親の存在を自己の中に認めるくらいのことしかできない。でもきっと、人は鋭敏であればあるほど心が透き通っていればいるほど、過去の存在を直視することができてくるはず。その最たる人がみ仏であって、永遠の過去を知るという。そこには一体何が見えてくるというのか…。

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噂「好事門を出でず悪事千里を行く」とことわざにありますように、良い行いは中々広まりませんが、悪事はあっという間に広まってしまうものです。

「ここだけの話」がここだけに収まらず、また次の場所での「ここだけの話」となり、更にその次へと続いていきます。


私自身の会話の内容を振り返りますと、やはり人のうわさ話や悪事についてのことが多々含まれているものだなあと反省するばかりです。そういった悪事に対する話をして、何かの得になるになるのかと考えますと、ほとんどの話は無益なものであると感じます。

しかし、そういった噂話は何故か面白いと感じるもので、無意識の内に口から出てしまうものでもあります。また反対に、人の噂話に自分のことが挙がっていないか不安に感じ、周りの目を必要以上に気にしてしまうということもあります。

最近では、「ライン」「フェイスブック」「ツイッター」といったものが活用され、その結果、様々なニュースが一瞬で広まる、良いか悪いかは別としても、リアルタイムでの情報の拡散が当たり前の時代となっています。

そのため、「悪事千里を走る」というスピードも、昔に比べて格段に速くなっていますから、例え真実ではなくても、一つの噂が本当のことであるかのように広がってしまい、後々になって大変な問題になってしまうということも現実に起こっています。

こういった時代であるからこそ、その時代の流れに身を任せるのではなく、”噂に流されずに情報を正しく判断する”、”人の欠点・失敗をやたらに広めず好事に目を向ける”、このように努めていく必要があると思います。

因果の道理は間違いなく、全てのものに流れているものです。人の欠点や失敗話ばかりに耳を傾けてそれを広めれば、自分自身が噂に左右をされる、身に覚えのない噂話を流されるといった目に遭うことになってしまいます。

反対に、人の良い点を称え、良い行いを回りに広めようと努めれば、自分自身の気持ちも良い方向に進んで行き、良い行動が出来るようになる。周りからの信頼を得られるということに繋がります。

新聞やテレビでは、人の目を引くような話題が大々的に報じられています。良いニュースよりも悪事の方が目に付き易く、我々の関心を引くものであります。だからといって、そういった悪事の話ばかりに興味を引くようでは、心の中もすさんだものになってしまいます。

良い行い、良い点に目を向ける、少しの努力を心がけていきたいものです。

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THE日本人

私たち日本人は、海外からどのような民族であると思われているのでしょうか?

あるアンケートの代表的な回答には…
①礼儀正しくきちんと挨拶をする。
②キレイ好きで清潔感がある。
③仕事が丁寧で的確。
④時間や約束を守る。
⑤貯金が好きで倹約意識が高い。
など大変好意的に捉えられている点も多くあるようです。

反面では…
⑥自己主張や自己表現が苦手(奥ゆかしいとも言いたいところですが…)
⑦危機管理が甘い(それだけ治安が安全な国ということなんでしょうが…)
⑧過度に集団行動を好む(周囲との和を尊んでいるんです…)
などなど手厳しいご意見もあります。

特に⑧「過度に集団行動を好む」という点について、日本人の民族性を示しているような興味深い譬え話(エスニックジョーク)がございます。

◎様々な民族の人が乗った豪華客船が、海の上で沈没しそうになりました。各国の乗客を、それぞれ誘導し海へ飛び込ませる為には、どのような声をかければ良いのか、国別に紹介致します。

ロシア人には「海の上にウォッカの瓶が流れていますよ!」
アメリカ人には「今飛び込めば貴方はヒーローになれるでしょう!」
ドイツ人には「規則ですから飛び込んで下さい!」
イギリス人には「こういう時にこそ、紳士は海に飛び込むものです!」
イタリア人には「海で絶世の美女が泳いでますよ!」
など、なるほどな~!と国民性を上手に捉えたものばかりです。

それでは、私たち日本人には、どのような言葉を掛ければ良いと海外で思われているのでしょうか?日本人には「もう、みんな飛び込んでいますよ!」とのことでした。

うむむ!確かに「みんな~やっている。」、「みんな~やっていない。」など、周囲をひとくくりにしてしまう表現を、私たち日本人は大変好み日常生活の中でごくごく自然に多用しているように思います。

例えば、商品購入を迷っている時に「他の皆様にも大変ご好評頂いていますよ」と言われると、何故か安心して商品を購入しまった経験はなかったでしょうか?

お店を探す時やモノを選ぶ時も、周囲の「口コミ」や「評価」を過剰に気にしていることはなかったでしょうか?

「全米が泣いた!」というキャッチフレーズを聞くと何故か無性に胸が熱くなる人はいませんでしょうか?

余談ですが、私も小学生の頃、両親にモノをねだる時は、決まって「クラスのみんなが持っているもん!」だったように思います。まあ、実際にはクラスメートの2~3人も持っていないんで、「みんなって誰?名前を挙げてごらん!」と言われ、返答に窮する経験を何度も繰り返しておりました(笑)

古くから、日本文化を揶揄する表現の一つに「付和雷同」という譬えが用いられます。付和雷同=「自分自身にしっかりした意見がなく、他人の意見や行動に軽々しく同調すること」という意味ですが、集団行動が人々の意識に組み込まれてる日本では、物事の善悪、正非はそっちのけで、「みんな」という見えない他人に同調することを良しとしてしまう暗黙の空気がございます。

極端な譬えかも知れませんが、「みんなやっている」からという根拠のない甘い言葉に誘われて、軽い気持ちで、麻薬など犯罪に手を染めてしまうようなケースも少なくないと思われます。

私たちが暮らす日本には、数多くの世界に誇るべき文化があります。非常に調和を大切にする文化ですから、周囲と同調出来ることは、仕事の効率を高めたり、多くの人々と価値観を共有出来ることなど決して悪いことばかりではありません。

しかしながら「みんなやっているから」(やった方が良いのかな。。)、「みんなやっていないから」(やらなくても大丈夫かも。。)という集団の心理に流されて、易きに流されたり、物事の真実から目を背け、本質を曲げてしまうことがあっては非常に勿体無いことだと思います。

私たちの日常生活の中で何気なく溢れる、この「みんなが…」という言葉を、もっと注意深く、慎重に受け止めてみては如何でしょうか?というちょっとした提言です。

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親父ギャグ

私の仲間に、実に巧みな『親父ギャグ』を連発する友人がいる。 時々あまりにも高度なギャグの為、その意味が判らずに首をかしげてしまう時もあるが、そんな時は、それを彼に感じ取られては悪いと思って、私も判ったふりして、おもしろおかしく笑っている。しかし、これが案外つらいものである。

以前、大変厳しい先輩が一言彼に言った。「廊下に立ってなさい。」

それでも、彼はめげずに相変わらず「おやじギャグ」を連発していた。

しかし、その彼も、この酷暑のせいか、最近そのギャグを言わなくなってしまった。恐らく私が考える所、今新作を考案中なのだなぁと思うのだが、この秋一番の新作が出たら、皆さんにも是非ご披露させていただきたいと思う!

P.S. あまり期待しないで待っていてください!

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世田谷別院掲示板②

ありがとうございます。
前回に引き続き、世田谷別院正門横の掲示板に掲示した文面を紹介させて頂きます。

② 「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる。」

過去に起こった出来事は、どんなにがんばっても変えようがありません。また、何か他人に対してこうしてほしいと望んでも、なかなか望み通りにはならないものです。

けれども、私たちは、過去を変えられなくても、今から努力していけば、未来を変えていくことはできます。そして、他人はいきなり変えられなくても、まず自分を変えていくことは可能です。

本門佛立宗のご信心は、未来と自分をより良い方向へと変えていく最高の方法です。今日からお寺へお参りし、御題目を唱え重ね、尊い御教えを伺って、明るい未来と生き生きした自分を手に入れましょう。
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夏期参詣が終わって

先日、7月から1ヶ月間にわたる、夏期参詣が無事終了いたしました。

乗泉寺の夏期参詣は通常の朝参詣より開始時間が30分早くなり、6時から朝参詣がはじまります。夏期参詣の御宝前のお給仕の開始時間は、朝参詣の1時間前の5時からで、30分早く、朝起きなければなりません。

昼や夜の30分と朝の30分とは同じ時間と思えないほど朝の30分は貴重で、やはり眠くて起きるのがつらく感じます。ですから1ヶ月間無事に寝坊することなく終わるとホッとします。

毎日の朝参詣をみますと、朝早くからお参詣される方、仕事の前にお参詣をされる方、暑い中つえをつきながらお参詣をされる方とさまざまな方がおられます。そういった方々は、毎日自分の睡眠時間を30分、1時間も削ってお寺にお参詣をされているのだと思うと、ほんとうに尊敬をしてしまいます。

もし、自分が教務ではなくご信者だったら、会社に出勤する前にお寺にお参詣をしていただろうか、休みの日に朝参詣をしていただろうか、そんなことを考えるといつも頭が下がる思いでいます。

夏期参詣後も毎日毎日続く朝参詣ですが、これからも気を引き締めて精進をさせていただきたいと思います。

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お土産話

匂袋
皆さんは匂袋というものはご存知でしょうか?私は最近、友人へのちょっとした京都お土産を考え迷っておりました。


京都には有名なお菓子や食べ物等数々ありますが、「渡したことあるから」「この時期食べ物は…」「ちょっといつもと違うモノがいいな」と思い、先輩お講師に伺うと、「こういうのはいいんじゃない」と初めて匂袋という存在を知りました。


またお店も江戸時代から続く伝統あるお店を紹介して頂き、匂袋を求め初めてのお買い物(笑)。内心ドキドキしながら入店、まあー回りをキョロキョロしますよね。この行動を察してか店員さんの声がかかり、親切な対応を受け即購入。最後にメンバーズカード作成。以上匂袋購入記(笑)

はい、僕の行動はさておき肝心の匂袋ですが、種類が豊富で、巾着型(そっとバッグにしのばせたり、さり気ない香りの演出)、掛香(洋服箪笥やクローゼット等に、また車やお部屋の飾りとしてもほのかに香りが広がります)、酔香(お着物の袂、箪笥)、防虫香(洋服箪笥やクローゼットに)、ストラップ(携帯電話にそっと良い香り)等、他にも種類が豊富にあります。

大きさ薄さといろいろな種類があり、また匂いの基となる香木は普段身近に求められるお香や、アロマ等の匂いと違い、THE和ませる和の香りと感じれるものです。皆さんも用途に応じた匂袋を試してみてはいかがでしょうか?

暑い日が続きますこの時期、清潔感を意識していても、おさまることのない発汗の匂いというものは気になってきますよね。私も毎日の御奉公等、また猊下への御給仕の際は特に気を配っておりますが、エチケットとして袂(たもと)に巾着型の匂袋をしのばせて愛用しております。

京都には沢山の有名なお土産がありますが、この匂袋は、値段がお手頃で香りがとても落ち着きます。是非お世話になっている方、友人へのお土産にお勧めですよ。

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災厄(さいやく)

長刀鉾先月京都では祇園祭が開催され、日本全国のみならず世界各国からも多くの観光客が訪れました。今年はこれまで廃止されていた後祭が49年ぶりに復活した事もあり、例年に増すにぎわいを見せたそうです。

そもそもこの祇園祭は平安時代、病気や災厄を払う事を目的に始まったものと伝えられています。これと同様、十月に開催される鞍馬の火祭も、災厄を鎮めるため、内裏に祀られていた神様を北方に遷した事がはじまりと伺いました。

これらのお祭りは、平和な暮らしへの祈りから生まれたもので、人々の切なる願いが込められたものに違いありません。かし、こうした宗教行事と当宗のご信心との違いをあえて申せば、そこに「罪障消滅」という考えがあるかないか、という事です。

 

生まれ変わり死に変わりを繰り返す我々凡夫は、過去世において様々な罪障を積み重ね、この世に生まれて参りました。ですから一生の間にこの罪障を少しで消滅する事が大切であるわけです。

そのためには法華経本門八品において唯一最高の久遠本仏が、上行菩薩(日蓮大士)にお手渡しになられた御題目をお唱えし、他の人にもお勧めする事。一人でも多くの悩める方をこの御題目の御力でお救いし、生まれ変わっても人助けの菩薩行に励む事。

これこそが我々人間が目指す真の生き方であり、全世界の人々にこうした思いを伝え、実行に移していただく、それが当宗の目的とするところです。したがって自己の行動を振り返り、改める事なくして、神様に厄払いのみを頼む考え方を当宗では用いません。

宗旨によりさまざまな考え方がある事を一概に否定はできません。しかし自分の命が今生限りのものではなく、過去や未来と結びついている、と考えれば、現在の境遇をいたずらに悲観することはなくなり、未来に向けて現在の暮らしを少しでも有意義な価値あるものにしようと思えるはずです。こうした考えをもっと多くの方に知っていただきたいと思います。

日々のニュースを見れば、凄惨な事件が後を絶たず、刹那的で向こう見ずな生き方の人がますます増えているように思われます。一人でも多くの方が、当宗のご信心に理解を示し、また実践していただく事を願うばかりです。

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納涼祭・バンド紹介2

今年の納涼祭では「comSo」というバンドで私もステージに立たせて頂きます。

そもそも友人が一年ぐらい前にバンドを結成して、色んなキッカケがあって私も仲間に加えて頂いたのですが、実は今回のライブが「comSo」の初ライブということで、その記念すべきライブが世田谷の納涼祭になったことを、とてもうれしく思っております。

Earthsound_Kalimba
comSoの特色をちょっと紹介させて頂きますと、演奏に使われるエレキカリンバはメンバー手作りの楽器です。

カリンバというのは親指ピアノともよばれていて、箱に並んだ細い金属棒を弾いて演奏するアフリカの楽器ですが、友人が作ったカリンバはピックアップ付きの電気的増幅可能なタイプです。

納涼祭では高音と低音の二種類のエレキカリンバを使い分けます。それぞれにエフェクターをつかって、色んな音のカラーをつくりだしていくと、音の渦がグルグルグルグルグルグル動き出してきてます。その音の渦に、尺八、ギター、和太鼓などの和音を重ねていくと、色んな音が混ざり合っちゃってカオスになる、というようなイメージでしょうか…。

自分でもどういう風に表現すれば正しいのかよく分かっていませんが、とにかく気持ちの良い音楽であることは間違いありません。

メンバーは自然が大好きという人ばかりで、自然界の美しい音色をモチーフにして曲作りされています。山や、谷や、風や、滝や、雨音や、木の葉の揺れる音とか、動物や昆虫の鳴き声など、やっぱり自然の音って素晴らしい魅力がありますし、受け止め方によってはスゴイ癒し効果もあるわけで、それを楽器で表現して人にも伝えたいというのが、comSoの理念というかメンバーの目標です。

ですから納涼祭でも、自分たちが音楽をナテュラルに楽しみながら、お客さんとも一緒に気持ちよくなれるよう心がけたいと思っています。自然の中でリラックスするような感じで音楽そのものに溶けこんで楽~に聴いていただきたいと、そんな風に願っております。

comSoのライブを聴いてみて、皆さんがどうお感じになられるか気になるところですが、もしもお気に召すようであれば、今後、8/24(日)奥日光中禅寺湖畔でライブ、9/13(土)渋谷乗泉寺の敬老お祝い式でライブをさせて頂くことになっておりますので、ぜひそちらにも来て頂けたらうれしく思います!

練習風景演奏に関して、私自身はズブの素人ですが、友人たちの後押しをいただいて、音楽の楽しさとか美しさというものを、ちょっとずつ学ばせて頂いております。
当日のライブを心から楽しめるよう、もっとしっかり練習しなきゃと、自分を鼓舞している今日この頃です。

出演時間:3:45~4:15
バンド名:comSo

下写真:中禅寺湖畔
撮影:comSo member T.A

comso ポスター

 

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自業自得感

蓮先日あるご信者のご主人が、病気で入院されました。私が励まそうと、そのご信者に声をかけると次のように答えてくださいました。

 

「主人が入院したのは、私達家族で開門参詣しなかったからです。私達は家からお寺まで歩いて数分の所に住んでいるにもかかわらず、お寺参詣を甘く考えていました。これからは開門参詣に励みます。」とお話してくださいました。

 

普通の人なら自分の家族が病気になったら「なんでこんなことになってしまったのだろう」とただ漠然と考えるところを、このご信者は「これもご宝前からのお叱りなのだ。自分に必ず落ち度があるからこうなったのだ。」と素直に自分の信心改良を決定なされました。

お互いも自分の身の上になにかあった時、自分の家族になにかあった時、まずは自分の信心前をよく見直すことが大切です。嫌なことがあるとつい「人のせい」にしてごまかしてしまうところがお互いにありますから、さまざまなことが起きてもそれをうやむやにせず、素直に「自分の信心前を改良しよう」と心がけることが大切です。

佛立宗のご信心は「人のせいにしない」教えです。 

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