お引っ越し

冬景色

今年の12月は例年よりも寒いような気がしますが、皆さん風邪などをひかぬようお体を大切にして、明年も良いお年をお迎え下さいませ。

26日、教務部では年末の大移動がおこなわれました。

11月に辞令のでたお教務さんは、この日にそろってお引っ越しです。

今年は、K師が東北のお寺へ移籍をされました。やはり今まで一緒にご奉公していたお教務さんが乗泉寺から去ってしまうのは寂しいモノです。

私も以前に地方のお寺へ出向することがありました。教務の世界ではお師匠の命令によって色々なお寺に出向し、その土地土地によって様様な御奉公を体験させていただけるわけで、それが自分にとっての幅を広げる大事な修行になるものです。

お寺で数多の先師先輩から様様な指導を受け、その土地の伝統とかご奉公のすすめ方を学ばせて頂くことによって、自分のそれまでの価値観が打ち破られて、新しい目線を体感できるものです。

もちろんお互い凡夫ですから、意見の相違とか摩擦があるとしても、色んなご因縁をいただいて自分を成長させることが出来るわけですから、そういうことも含めれば実に有り難いことだと申せるのかもしれません。

仲間のお教務さんが新しい境遇の中にはいって、色々と苦労をされながらご奉公にあたっていることを思い、渋谷に残ったメンバーもますますご奉公に励んでまいりたいと思います。どうぞ来年もまた乗泉寺のHPをご覧いただけたら幸いに存じます。

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型空手には型というものがあります。私自身空手の経験はありませんが、経験者の演技をテレビなどで見ますと、その素晴らしさを見て感じることができます。

私達、佛立僧侶にも型というものがあります。御給仕の仕方、御奉公の仕方、お看経の仕方など、お寺の流れはありますが、それぞれに型があります。

その型は先輩から教わるのですが、手取り足取り教えていただけるというわけではありません。先輩の姿を見て覚える。うろ覚えでやってみて、怒られながら、そこでまた覚えるというように、動きの中で一つひとつ覚えていくものであります。

 

そうした、積み重ねの中で、少しずつ動きが身に付いてきますと、今度は、「何でこのような御奉公をしなければならないのか」ということが分かってくるものです。やってみて、始めて御奉公の意義というものが分かるのです。

仕事などの場面では、仕事の流れを一つひとつ丁寧に教わるということもあるかと思います。また、何故その作業をしなければならないのかという、道理から教わる場合もあるかと思います。

しかしながら、経験を積んで来られた先輩方の動きの中に、必要性や重要性など全てが含まれているのですから、どんどんと見て吸収しようと心がけることで、それが必ず自分の成長へと繋がっていくものであると思います。

反対に、「教わったことだけやれば良い」という考えや、「教わっていないから自分には関係がない」という考えは、自分の成長に全くプラスになりません。また、「他人から教わる必要など何もない。自分の知識と経験で向かっていくだけだ」という考えも、自分の力量を広げることには繋がりません。

型にはまるということを、何か悪いようなイメージで捉えてしまうこともありますが、シッカリとした型が身に付けば、仕事でもスポーツでも、応用力に幅が出てくるものかと思います。

自分流というものを見つける際、まずはシッカリとした土台を作る。その土台となる型作りの大事を感じた次第です。

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年末を迎えて

明治三年と推定されますが、開導聖人は、大阪玉江組の、秦 新蔵さんという強信者へ次のようなお手紙を出されています。

「最草年内余日もこれなく 京も皆々しまひ 講にて 又めでたき春をむかへてと存候  おかの様 お幸様 お良女 よし枝様 正 七ぬし等へも歳末の御祝儀申上たく候

    一とせの くるゝなげきに 引かへて
           春にちかつく よろこひもあり

来陽 めでたくと申納めまゐらせ候 かしこ
十二月十八日の夜 認」

お手紙の内容については、おわかりのここと存知ますが、「今年も早いもので、年内残り僅かとなりました。京都でも年末のお礼御講が、あちらこちらで勤まり、新春の良い年を迎えようとしています。他の皆様にも、歳末のご挨拶をお伝え下さい。」とお述べに成られ、この御教歌をお詠みになり、「良い年をお迎え下さい」と結ばれています。

乗泉寺でも、二十日が教区のご奉公納めですから、「しまい講」お礼御講があちらこちらで勤められ、「一年たつのは、早いわね。あっという間ね。本当に早いわね。」と云う声が交わされている今日、この頃であります。 

平成二十六年度、皆様におかれましては、どの様な一年で有りましたでしょうか、年末に当たり、今年を振り返り、良かった点は益々来年も伸ばしていく。悪い点は、懺悔・改良させていただきましょう。

年の瀬を迎え、何かと慌ただしい今日この頃でありますが、今日の一日も、一生の日数の中であります。一年が暮れていくのは寂しいものですが、新しい春を迎える喜びを持ち、明るく前向きに、一日々々を無駄に過ごすことなく、大切にすごしましょう。

開導聖人御教歌に
一とせの くるゝなげきに 引かへて
          春にちかづく よろこびもあり

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一年を振り返って

2014年も残りあとわずかになりました。最近では、今年の新語・流行語大賞が発表され、世間でも年末に向けいろんな形で今年の総括がされているようです。

先日京都の清水寺でも、年末の風物詩となった今年の世相をあらわす漢字一字が発表されました。今年で20回目になるそうで、財団法人日本漢字能力検定協会が日本全国から公募を行い、その中で最も応募数の多かった漢字一字が「今年の漢字」として発表されるそうです。

今年の流行漢字ちなみに今年は「税」でした。

私も個人的に今年の出来事を漢字一字で考えてみますと、「築」を挙げたいと思います。私は今年の四月に佛立専門学校へ入学させて頂き、本山宥清寺で御奉公をさせていただいております。宥清寺は佛立宗のご弘通の基盤が築かれたお寺です。本山での御奉公を通じて信心の基礎を築きあげ、学校での勉強を通じて宗学の基礎を築きあげ、行学二道に励むことで佛立教務としての素養を築きあげていく途上であります。

また、新しい環境の中での良き仲間との出会いもまた、大事な人間関係を築くことにつながりました。全国から集まった教務方と出会えたことで、いろいろと貴重な経験をさせていただけますし、お互い切磋琢磨しながら修行をつみ、自分自身を振り返り見つめなおす機会も増えました。それらによって、教務としての大事な土台を築きあげる為に、また一歩踏み出せた年であったなと思っております。

皆さんにとってこの一年は、どんな年でしたでしょうか??私生活や信行御奉公のなかで、苦しいことも楽しいことも色々あったものと思います。ですが、日々反省・改良が大事と教わりますように、自身を冷静に省みることはとても大事なことです。

諺にも「亀の甲より年の功」とありますように、年々いろんな経験を積み重ねていくことによって、自身をひとまわり大きく成長させることができるものです。自分の受けてきた様々な恩恵に目を向けることで、この世に生を受けてご信心をさせていただける「有り難さ」も、より深く実感できてくるものかと存じます。

私は今年感じた「築」を大切にして、来年はこの基盤をより強化できるよう、尚一層行学二道に励んでいきたいと思います。

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ほめる

ほめる

人はホメられれば単純に嬉しくなり、元気が出てモチベーションも上がりますが、反対に怒られてしまうと、気持ちがげんなりして、怒られている瞬間だけでなく、その後の生活にも何かしら影響が出やすいものです。

 

他人を口撃したり、裏で批難する話はなかなかつきないものです。やはり、人の良い点に目を向ける。自分のために相手をおだてるのではなく、相手のためにこちら側から積極的にホメることが、相手の心を良い方向へと突き動かすものだと感じます。

ホメてもらうことは、この上ない喜びです。これは子供に限らず大人も同じです。その中でも、ほめられることが少なくなったお年寄りの方がホメられる、今まで目も向けられることがなかったのに、誕生日のように注目されますと、たちまちそこに生きがいを感じて、今まで以上に生きる勇気元気が湧き出るものだいうことを、伺ったことがあります。

年をとると、孤独を感じるという場合が少なからずあるものだそうです。そして、孤独と感じた生活によって、気分が沈んでしまいますと、精神的な面ばかりでなく、身体的な面においても病気にもなってしまうものだと思います。

ですから、孤独感に襲われないためにも、お寺にお参詣をさせていただき、人とふれ合う機会を沢山つくることが大事であると感じます。そして、ご信者お互い、ホメあうということを実践することが大事であると思った次第です。

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世田谷別院掲示板④

ありがとうございます。
世田谷別院正門横の掲示板に掲示した文面を紹介させて頂きます。

④、「朝の来ない夜は無い。」

お互い、自分の身の上に、苦しいことや悲しいことが立て続けに起こってくると、一体この苦しみ、悲しみからいつ逃れることが出来るのだろうかと、悲観的になってしまいます。

苦悩のどん底にいる人にとっては、まさしく「この世は闇」としか思えないでしょう。 けれども、夜の後には必ず朝がやって来るように、どれほどつらいことがあっても、上行所伝の御題目を唱え重ねていけば、仏様の御力によって、やがて必ず道が開けてゆきます。

さあ、どうぞご一緒に、お寺へお参りして御題目を唱え、人生の荒波を乗り越えてまいりましょう。

【12月1日より掲示中】

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時期相応

子供の頃に比べて、今は四季を問わず、野菜や果物が一年中手に入るようになりました。昔でしたら、「○○は春が旬だから」「秋と言えば○○でしょう!」といった季節毎の風物詩というか、旬の食べ物を楽しむという季節感がありました。

ですが、それは本当に便利で有難いことなのでしょうか?

たとえばスイカ。子供の頃は、夏が本当に楽しみで、甘くて瑞々しくて美味しくて、心待ちにしていたものです。しかし今は、多少季節はずれていても、スイカは手に入ります。売っている場所は限られていますし、値段も張りますけれど。

ですが、本来の季節を外したスイカ、実はそれほど美味しくありません。むせかえるような甘い香りも、とろけるような甘さも、ありません。ただ、「種別:スイカ」というものを食べるようなもので、そこには感動もありません。

人の欲望が、自然本来の生態をねじ曲げ、人の都合のよいように作り替えていく。その結果が、季節外れの美味しくないスイカ、なのではないでしょうか。

たしかに果物でも、種が無ければ、皮ごと食べられるようになれば、楽で便利かもしれません。ですが、それは本当に良いことでしょうか?人は、自然本来の恵みを享受すれば良い、そう思えてしかたがないのです。

 時期相応。

 私たちのいただく御題目口唱の佛立信心も同じです。末法愚鈍の私たちには、南無妙法蓮華経の御題目様以外は適さず、他の教えは誤りとなります。赤ちゃんの口にお乳をあげなければならないように、ステーキを放り込んではダメなのです。それを、人の都合の良い解釈でねじ曲げてはならないということです。

便利だから、楽だから、そのような感情から変わっていった事は沢山あると思います。しかし、人が手に入れたのは良いことばかりだったでしょうか。安易な方向に流れるだけでは、本当に必要な事柄を見失ってしまうということもあるのだと。私たちは見直していかなければならないこともあるのではないでしょうか?

 …とか言いつつ、私は昔からブドウは巨峰よりデラウェア派なのですが、ね(笑)

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