国立教区を回って

今年より国立教区の御講に回らせていただいております。今回は日野市に行ってきました。日野市の駅周辺は「開けたきれいな町」という印象を受けました。色々と検索していきますと非常に優れた町である事に気付かされます。

 日野市と聞いて私が思い浮かべるのは、やはり日野自動車ですね。町を走っているバス・トラックは日野自動車製が多いのではないでしょうか?

 しかし、日野市は日野自動車を中心とする企業城下町であるだけでなく、農地の比率の多い農業の町でもあるそうです。工業と農業の両面でここまで優れた町は少ないと思います。いずれにしましても、日野市が有力な町である事は間違いありません。

 受持ちを頂いてまだ間もなく分からない事も多々ありますが、先輩方・ご信者の皆さんのご指導を頂き、一日も早く一人前になれる様に励ませて頂きますので、宜しくお願いいたします。

Share on Facebook

パプアニューギニア慰霊法要報告

過日に行われたパプアニューギニア(以下PNG)慰霊法要についてご報告させて頂きます。

成田出発前 成田荷物終戦70周年という節目の年にあたり、本年は宗門各寺院でも慰霊法要が営まれることと存じあげます。それに先立ち、第5支庁の有志により、この度慰霊団参が企画されました。

papua風景1papua風景2

 

 

 

 

 

1月17日より24日までの一週間、寒参詣中の団参という強行軍でしたが、宗内より7名、宗外者から1名の参加を頂きました。内、乗泉寺からは4B信徒・O.M氏、K.K師、私の三名が参加させて頂きました。

papua法要papua法要PNGは赤道のすぐ南に位置しており、日本から直行便で約6時間30分の距離にあります。オーストラリアのすぐ北にある、世界で2番目に大きな島、ニューギニア島の東半分をはじめとする600の島々からなります。国土面積は日本より若干ひろく、人口は約500万人といわれます。

papua法要PNGは1975年にオーストラリアより独立、常夏の島で四季はなく、雨期と乾期に分かれ、年間気温は21~32度で蒸し暑い。日差しがとても強く、現地人は黒人で、500を超える部族が、850以上の異なる言語を使物し、未開のジャングルの中で生活する人々も多いようです。物価は日本とほぼ同じぐらい。イモ類が主食で、海岸沿いは魚が豊富。バナナの木や椰子の木がそこら中に生えていて、陸地はほぼジャングルで緑一色。海辺は青空と相まって青一色。

南太平洋最後の楽園と言われるこの島が、第二次世界大戦中には激戦地となったのでした。こんなにも美しい島で戦争が行われていたとは…。大東亜戦争という捉え方は人それぞれ違うモノでしょうが、とにかく戦争によって悲惨な思いをした人がたくさんいらっしゃったわけで、戦争は絶対に許されないことだとあらためて痛感しました。

papua戦闘機パプア戦闘機

papua海岸法要

PNGに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかったそうです。今回の慰霊団参は、中でも多くの戦死者がでたウエワク、マダン、ラバウルの三カ所を中心に、25カ所をまわり21カ所で法要を執り行いました。

日本軍基地跡地法要飛行場跡

 

 

 

 

 

日本から御弘通御本尊をお供し、カメラの三脚を改造したお戒壇を設置、お線香とお蝋燭をお供えし、その前にお盛り物台を用意して、日本から持参したお酒やお煎餅、お茶菓子、団参者が握ったおむすび、お味噌汁など、飢えに苦しまれた兵隊さんへ、お供えしてまいりました。

おにぎりお供え物

 

 

 

 

 

また、第五支庁をはじめ、乗泉寺教講よりお申し込みを頂いた御塔婆は、法要の際に御宝前へお供えさせて頂き、その後、海中へ沈め、地中へ埋めることにより、当地の追善供養をさせて頂きました。皆様より多大なるお志を賜りましたこと、紙面をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。

お塔婆

 

 

 

 

 

私事ですが、私の祖父も戦時中ラバウルへ来ていました。出征前には日歓上人より「これで弾がよけていくよ」と懐中御本尊を賜っていたそうです。中国大陸を経てPNGへ赴き、マラリアや赤痢や飢餓に苦しみ、ラバウルにては所属する部隊が全滅する中、一命をとりとめられたとのことです。今回の慰霊団参では、その悲しみの地にも赴き、祖父の分まで戦友方の英霊にご回向をさせて頂けました。きっとお爺ちゃんも喜んでくれているだろうと思い、感慨深く、有り難いご奉公をさせて頂けました。

水塔婆

 

 

 

 

 

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



 

Share on Facebook

医は仁術

昨年の12月25日、激しい腹痛に耐えられず、救急車を呼んで大学病院へ行きました。検査の結果、ヘルニアのため腸閉塞を発症していることがわかり、夜中の2時頃から緊急手術を受けました。

その手術の前に、体内に溜まっている老廃物を外へ出すため、鼻から管を通さなければなりませんでした。その時、辛そうにしている私を見た看護婦さんから、「苦しいでしょうけど、我慢してくださいね。」と慰められました。また、手術室へ入る前にも看護婦さんが、「手術、頑張ってくださいね。」と励ましてくださいました。

そして、手術が無事に終了し、私の病状が良くなっていくにつれ、先生も看護婦さんも、「経過が順調でよかったですね。」と口々に言ってくださいました。このような暖かい言葉に、私はどれほど励まされたかわかりません。

お医者さん勿論、患者の病気を治すためには、医療的な技術が第一に不可欠です。しかし、それと同時に、「医は仁術」という言葉の重みを、この度の入院を通じて痛感いたしました。

少なくとも、今回私がお世話になった病院の先生や看護婦さんは、喜びも悲しみも患者と共にする共歓共苦の姿勢で、医療に当たっておられました。

これこそ正しく、私共佛立教講のあるべき姿ではないでしょうか。お互い、このような方々を見習って、一人でも多くの人と共に、喜びも苦悩も分かち合いながら、功徳の道を歩んでいく真の菩薩行に、日々邁進いたしましょう。

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

 

Share on Facebook

さらば青春の光

青春というのは大げさなのですが、思い出話を一つ。

2015年2月1日、渋谷にある「こどもの城」が閉館いたします。渋谷は青山にある、イメージ的には大きな大きな児童館。この「こどもの城」が、30年の歴史にピリオドをうち、閉館することとなりました。

何年か前から、施設維持が困難な為に閉館になる、という話は耳にしていたのですが、実際に閉館するとなるとなんだか感慨深いものがあるわけで。思い起こせば、小学生の時代、父親に連れて行って貰った記憶がよみがえります。

小さい頃から児童館が大好きで、地元の児童館にも入り浸っていた私です。もちろん、「こどもの城」に連れて行かれて、大喜びしないわけがありません。特に楽しみだったのが、「ビデオライブラリー」というコーナーで、ここでは数多くのビデオを視聴することができます。

今ではインターネットで映画を楽しめる時代ですが、30年前はまだビデオレンタルも余り普及していませんでした。TSU○AY○なんてなかったですもの(笑)テレビで放送される機会のないもの、レンタルビデオ店に入りづらいものも沢山ありました。

ビデオソフトが1万円を軽く越える時代、子供達にとっては夢の施設であったに違いありません。ちなみに、私が一番覚えているビデオは、「マジンガー○」です(笑)もちろん、身体を使って遊べるコーナーや、工作のコーナー、楽器で遊べるコーナーなどなど、その他の施設も盛りだくさん。

子供達の知育・体育にはもってこいの「こどもの城」です。無くなってしまうと聞いて、いてもたってもいられず…数十年ぶりに、行ってきました(笑)

いやはや、おかわりなく!!大人になった現在でも、「ああ、子供だったら、じっとしていられないな」と思わされること多々。というか、他人の視線が無ければ遊びに参加したいくらいでしたわ(笑)

ちなみに、同行した我が家の王子様は、閉館時間となって帰らざるを得なくなりましたら、大号泣してくれました(笑)

今の時代には、アナクロなのかもしれません。全てがデジタルになる時代の流れなのかもしれません。しかし、良いものは良い。書籍が全てデジタルにならないように、紙とペンが無くならないように、不朽のものも確かにあるのではないでしょうか。惜しい、実に惜しい。

されど、30年間、おつかれさまでした!「こどもの城」に育てられた子供が、今、大人になって、心からの感謝を贈ります。

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



Share on Facebook