本尊の意義

世界で一番宗教団体の多い国はどこかというと、実は日本なのだそうです。しかもその数は国内だけで十八万という膨大な数に及ぶそうです。これだけの宗教団体があるのですから、信仰の対象となる本尊の種類も、同じように数多くあるはずです。

そう考えますと、はたしてどれが良いのか正しいのか、一般の人は判断する基準も分からないでしょうから、宗教というのは紛らわしくて怪しいモノだと、そんな風に感じてしまう人も多いのではないでしょうか。

以前、ある人がこんなことを言っていました。「宗教というのは結局のところ自分の心を満たす為にするのでしょう?だったら、いわば宗教は人生のアクセサリーのようなもの。自分の好みにあった宗教を選択して、それで満足できるなら何でも良いじゃない?」というのであります。

確かに今の時代は、宗教を選択するのも個人の自由意志によりますが、果たしてそれで平気なのでしょうか。多少は善意の残った宗派があるとしても、悪意に満ちた宗教も実際に多いわけで、むしろ、危ない思想を持った集団こそ、人を煽動することにたけているといえますから、やはりいくら信仰を選ぶのは自由といっても、宗教をアクセサリー程度に考えるのは、余りにも軽はずみな考え方といえそうです。

そもそも宗教というのは、私達の心や身体、自分の未来や家族の将来にまで、幅広く影響を及ぼす重大な選択と申せます。ですから、宗教の正邪というモノをよくわきまえて、正しい御本尊をお持ちしなかったら本当に大変なことであります。

その点、仏教の教えというのは理論が徹底していて、御本尊の正当性とか優位性などを立証する方法が昔からキチンと確立しているのでご紹介したいと思います。その法則というのは「本尊の三義」と申しまして、正しいご本尊とは、三つの意義を兼ね備えたモノでなければならないと教えられております。

一つには「根本尊崇」といって、本尊とは、誰もがあがめるにふさわしく、比べることが出来ないほど尊いモノでなければいけない。

二つには「本来尊重」といって、本尊とは、いつの時代においても変わらず、永遠に尊いモノでなければいけない。

三つには「本有尊形」といって、本尊とは、どこかの誰かが作った模造品ではなく、本から尊い姿を持ってなければいけない。

ご本尊これら三つの観点から考察して、世界中で最も尊いもの。時空を超えて永遠に尊いもの。あらゆる仏神の源であり元初から尊いもの。それは果たして何であろうかと、こういう検証をくりかえしていくと、全てに符合するご本尊というのが、法華経本門八品に説かれた上行所伝の御題目なのです。

当たり前のことですが、全ての宗教があやしいというわけではありません。正しい見識をもって仏教の教えに近づいてもらいたいと願っております。

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貧乏神と福の神

貧乏神というのは、各地方によって諸説あるようですが、だいたい囲炉裏にまつわる神様です。昔の囲炉裏はいわば家庭の台所、毎度の食事にも困って炭をおこすこともままならない、そんな家を好んで住みつくのが貧乏神です。貧乏神と聞いても、現代人にとっては単なる迷信でしょうと思われるかも知れませんが、実はそうとも言いきれません。現代でも貧乏神に取りつかれた人はたくさんいます。

貧乏神に取り憑かれた人の特徴として、とにかく「無い無い」を連呼するようです。お金がない、時間がない、余裕がない、解らない、出来ない、信じない、治らない、等々、いつも否定的なことばかりを言って不足の念にとらわれていると、貧乏神に取りつかれている一つの証拠なのです。

お互いに自らの言動をふりかえってみるといかがでしょう?ひょっとすると、自分でも気づかないうちに貧乏神に取り憑かれて、不平不満を訴えたり、周囲に愚痴をこぼしたり、自分の思い通りいかないことに腹を立て、マイナス思考に陥ってしまうことがあるものです。

だいたい私達みたいな凡人は、心の欲求に切りがありません。食欲ということ一つを取ってみても、美味しいものを食べた時の満足感も、数時間も経てばまたお腹が減ってきて元通り。ましてや、一度美味しいご飯を食べると、次はもっと美味しいものが食べたくなり、食事量もだんだん増えてしまう。

人間の欲というのは一事が万事その調子ですから、睡眠欲にしても財産欲にしても名誉欲にしても全て同じことなのです。我々の欲求が満たされるのはたった一瞬のことでしかないわけで、不足の念に取りつかれると、ナイナイ尽くめの不満ばかりがこみ上げてきます。

上を見て、不足不満をいっていたらキリがないのですから、ある程度のところで満足をして、ほどほどのところで感謝する。こんなにしてもらえて、自分のようなモノには勿体ない、有り難いことだと喜びをかみしめる。そうやって、自分が受けている恩恵とか恵みというモノに、一々感謝して、心から喜べる人には、満足の神様、福の神が舞い降りてきます。

ありがたいありがたいと口癖のように感謝して、おかげさまでおかげさまでと喜びに包まれている。これこそが正しい人間の真心ではないでしょうか?そういう感謝の念に包まれて生活している人を見ると、その尊いお心にふれて、周囲の者でさえも幸せな気持ちにさせていただけるものです。

お互いに、一日一日の生活の中に満足感や充実感を持つことが、福の神を呼び寄せる秘訣と心得させていただいて、心豊かに暮らしたいモノであります。

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初心に帰る

    今年から、本堂水屋(本堂裏にある水場。そこで御宝前にお供えする食物を用意したり、使用する仏具を洗ったりする場所)のご奉公をさせていただくことになりました。

 このご奉公は、教務さんになる前の見習い期間に覚えて身に付けなければならない、大切なご奉公の一つです。このご奉公ができなければ教務さんにはなれない、いわば登竜門というべきご奉公なのであります。

 具体的なご奉公内容を申し上げますと、御宝前裏の水屋や廊下の拭き掃除、本堂前方にある教務座周辺の掃除機かけ、水屋で使用した布巾やタオルの洗浄、水屋の水場シンク磨きなど。。色々とあります。また、お布巾やタオルの洗い方は全て手洗いで、布巾の種類によって洗う順番が決まっています。洗った布巾やタオルは物干しに掛けて、扇風機を当てて乾燥させます。水屋ご奉公は、様々なルールの中、させていただくのです。

 昨年は、もう一人教務見習いさんが入寺されたため、助手としてのご奉公に専念しておりました。

 その教務見習いさんも無事に得度され、今年から助手としてご奉公されるようになったため、水屋のご奉公は数名で毎日交代しながらさせていただくことになり、私もそのメンバーとなったのです。

 約9ヶ月ぶりのご奉公でしたので、はじめ少々不安がありましたが、意外と覚えているもので何とかご奉公させていただいております。

 布巾洗いや拭き掃除をしながら、教務見習いであった日々を思い出しました。当時は、毎日先輩方に叱られながら、一日中ご奉公させていただいておりました。寒い日も暑い日も、気持ちの乗らない時や体調が芳しくない時も、毎日水屋のご奉公はありました。どんなに辛い中でも絶対に負けないぞと必死になっていた自分が目に浮かんできました。

 入寺して約2年。現在の生活にも慣れ、多少心の余裕も出てきました。今こそ、当時の気持ちを思い起こして、御弘通ご奉公に精進しなければと思う今日この頃です。

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