貧乏神と福の神

貧乏神というのは、各地方によって諸説あるようですが、だいたい囲炉裏にまつわる神様です。昔の囲炉裏はいわば家庭の台所、毎度の食事にも困って炭をおこすこともままならない、そんな家を好んで住みつくのが貧乏神です。貧乏神と聞いても、現代人にとっては単なる迷信でしょうと思われるかも知れませんが、実はそうとも言いきれません。現代でも貧乏神に取りつかれた人はたくさんいます。

貧乏神に取り憑かれた人の特徴として、とにかく「無い無い」を連呼するようです。お金がない、時間がない、余裕がない、解らない、出来ない、信じない、治らない、等々、いつも否定的なことばかりを言って不足の念にとらわれていると、貧乏神に取りつかれている一つの証拠なのです。

お互いに自らの言動をふりかえってみるといかがでしょう?ひょっとすると、自分でも気づかないうちに貧乏神に取り憑かれて、不平不満を訴えたり、周囲に愚痴をこぼしたり、自分の思い通りいかないことに腹を立て、マイナス思考に陥ってしまうことがあるものです。

だいたい私達みたいな凡人は、心の欲求に切りがありません。食欲ということ一つを取ってみても、美味しいものを食べた時の満足感も、数時間も経てばまたお腹が減ってきて元通り。ましてや、一度美味しいご飯を食べると、次はもっと美味しいものが食べたくなり、食事量もだんだん増えてしまう。

人間の欲というのは一事が万事その調子ですから、睡眠欲にしても財産欲にしても名誉欲にしても全て同じことなのです。我々の欲求が満たされるのはたった一瞬のことでしかないわけで、不足の念に取りつかれると、ナイナイ尽くめの不満ばかりがこみ上げてきます。

上を見て、不足不満をいっていたらキリがないのですから、ある程度のところで満足をして、ほどほどのところで感謝する。こんなにしてもらえて、自分のようなモノには勿体ない、有り難いことだと喜びをかみしめる。そうやって、自分が受けている恩恵とか恵みというモノに、一々感謝して、心から喜べる人には、満足の神様、福の神が舞い降りてきます。

ありがたいありがたいと口癖のように感謝して、おかげさまでおかげさまでと喜びに包まれている。これこそが正しい人間の真心ではないでしょうか?そういう感謝の念に包まれて生活している人を見ると、その尊いお心にふれて、周囲の者でさえも幸せな気持ちにさせていただけるものです。

お互いに、一日一日の生活の中に満足感や充実感を持つことが、福の神を呼び寄せる秘訣と心得させていただいて、心豊かに暮らしたいモノであります。

 

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