和合の世界

社会の中で他人と共存して生きている私達は、周囲の人たちとどういった姿勢でお付き合いをするべきでしょう。

そもそも近代社会の風潮としては、人付き合いをさける傾向にあるようです。人付き合いなんて無い方が楽だと考えて、ご近所づきあいも希薄な関係になりつつあり、一歩踏み込んで人とお付き合いをすることがなくなってきています。

しかし、こういった傾向は何だか矛盾を含んでいるように思えます。そもそも孤独になりたいのであれば、何の為に社会の中で生きているのでしょう。人里離れた山奥なんかで一人っきりで生きていくには心細いから、わざわざ都会に集まって他人と一緒に生活をしているのです。それだったら、もっと前向きに人と交流していかなかったら、何の為に大都会で生活をしているのか分かりません。

平和だいたい、人と人が交わって生きていくのが社会なのです。社会というのは、人と人とが知り合い、助け合って、お互いのことを理解し合える場所のことです。そういう暖かみのある世界を目指して、少しでも我が身を献じていきませんと、いつまでたっても理想的な生活は送れないのです。

例えば、幼い子供が扇風機に手を伸ばして、隙間から指を入れようとしているとします。無邪気な子供はそれがどういった結果に繋がるのか、先のことをまるで考えていない場合が多いのです。いくら子供の遊びだからといっても、痛い思いをするのは可哀相だと思って、近くにいる大人が危ないから止めなさいと注意してあげる、これは当然の思いやりであります。

分別のつかない子供を守るには、無理矢理にでも危険から遠ざけなくてはならないわけです。痛い思いをするのは本人だから私は関係ないと無視したり、子供は何度言っても話を聞かないから面倒なので相手にしたくないと、もしもそんな風に考えるなら、まるで人の痛みを理解しない無慈悲な人といえるでしょう。

自分が守ってあげるべき人を大切に守り、伝えるべきことはしっかりと伝える、それを仏法では折伏行と申します。気ままな人間の危うい行為を無闇に放っておいたら、未来はどうなってしまうか分からないのですから、駄目なモノは駄目なんだと、人のあやまちを未然に防ぐことが本当の優しさであることを、私達は早く気づきたいものです。

子供に注意を与えるのとは違い、大人同士のつきあいは複雑だから、うるさいことは言わないで黙っていた方が得策だと思う、それが凡夫の考え違いであるということをお互いによく自覚して、折伏の決意を持って人助けに励みたいモノです。

お互いの良いところは吸収し合い、悪いところは戒めあってこそ、理想の社会に近づいていけるはずです。人付き合いをさけて通ったとしても、それは苦しい思いを先延ばしにしているだけなのですから、一時的に楽ができても本当の安心には繋がらない、そういったことを教えられているのが、仏教の教えなのです。その教えを全体の幸福の為に役立てていきたいモノです。

Share on Facebook

根っこの価値

「咲いた花見て喜ぶなら  咲かせた根っこの恩を知れ」

縁を受けて
桜の時季は過ぎましたが、日本では四季折々、花や木々が、私たちの目を楽しませてくれます。そんな綺麗な花や紅葉した木々につい目を奪われますが、地中に目を向けると、ただひたすら幹や茎を支え、栄養を吸収する存在がいます。「根っこ」です。

 

根っこ
根っこのお陰で、花や木々は綺麗な姿を見せてくれるのです。私たちの人生も同様です。この世に自分一人の力だけで生きている人などひとりもいないのです。誰でも多くの人たちに支えられ今があるのです。

 

光に溶けて
お互いは「お陰」を知ることが大切です。そういったお陰を感じ、その方々の幸せを祈るのが佛立宗です。

あなたにとっての「根っこ」の存在を考えてみてください。

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



 

Share on Facebook