法華経

本門仏立宗では法華経(妙法蓮華経)を根本経典としており、その法華経こそは仏教における最高聖典だといわれています。法華経が中国で翻訳されたとき、天台大師はそれこそ山ほどあったお経典の中で、一番優れているのはどれだろうと研究されました。

蓮華草それまで読まれてきた原始経典や、華厳経や般若経などの教えと、法華経の教えとを色んな角度から比べて、お経典の順位づけをなされた結果、法華経こそが諸経の中の王様であると判断なされたのです。

いわゆる天台法華哲学の教えは、やがて中国から日本へと伝わり、比叡山を中心として法華経の教えが弘められていきました。鎌倉新仏教の祖師と称せられる人人、法然さん、親鸞さん、道元さん、そしてお祖師様日蓮聖人もまた、叡山の学僧となって法華経にふれ、天台法華哲学を学ばれたのであります。

ただし天台法華の教理は非常に複雑なため、一部の出家だけが山籠もりで修行をし、現実の社会とはかけ離れたところにあって、一般庶民には殆ど縁の薄いモノでした。

人の社会

 

叡山での修行をへて、仏法と世法とが大きく距たっていることに疑問を持たれたお祖師様は、天台大師の理論を拠り所とされながらも、もっと現実に即した観点から法華経をご覧になられました。

 

つまり、より実践的で対社会的な布教活動に目を向けて、法華経の菩薩行を民衆の中へと促されたのであります。即ち、法華経の肝心である上行所伝の御題目を、信心で頂いて口唱に励むことが、末法における唯一成仏の方法であるという結論に到ったわけであります。

それまでの修行者のように、山へこもってひたすら法華経を読んだり、写経をしたり、頭に記憶するといった、非社会的な修行をいくらしても、万民を救うことは決して出来ません。ましてや、どんなに難しい理論を学んだり、覚えたとしても、それは机上の空論となりかねず、末法には相応しくない修行だといえます。

太陽例えば、宇宙に広がる満天の星々が私達の生活に何らの影響も及ぼさず、我々の銀河にあっては中心の太陽こそが地球生命にとってかけがえのない存在です。

同様に、世の中には色んな教えや学問があるとしても、人人の生活と直接関係しながら、命を正しい方へと導くことができるのは、諸経の中心ともいえる法華経のみ教えだけなのです。

太陽の光に浴してあらゆる生命が誕生していくように、法華経の光に浴することで凡夫の命が菩薩の命として生まれ変わることが叶うのです。いわば、法華経は菩薩をつくりだすために説かれている教えなのです。お互いに人として生まれたからには、菩薩行とは何ぞや?と、自らに答い続けていく必要があります。

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