御利益ということ

佛立開導日扇聖人御指南
「御利生の妙は水中の火 木中の花也」

妙法御題目の不思議さは、喩えていえば水の中で火を見るように非現実的なことであり、私達の常識で考えても分かりません。

また、木の上に花が咲くということも、当たり前のように感じますが、それだってよくよく考えてみると、木の中に花があるわけでもないのに、何で毎年同じように花が咲くのか、とても不思議なモノであります。

結局のところ自然界の道理というのは、人間には理解できない部分が多くあり、自然の摂理としてそうと決まっていることを、何だか分からないけれどもそういうモノなのだと、目に見える部分だけで納得するしかありません。
 
それでも、花が咲くのを実際に見れば、その美しさによって自然と心が癒やされるように、妙法の御利益を見れば御題目の不思議さに有り難みを感じて、自然と信心が起きてくるものです。

理屈として分からないことであっても、実行すればこそ答えがでて、目で見ればこそ心が変わってくる、そういう理屈を超えた実践行として、毎日の口唱行に励まなくては、妙法の貴さは分かってこないのです。

お互いに、御看経の徳は必ず目に見えてくるモノと心得、毎朝毎夕の御看経を真剣に真心こめてさせていただきましょう。

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生命(いのち)

生命はどこから来て、どこへ行くのだろうか。と言う本の見出しを以前見ました。普通私共が考える生命は、オギャー!と生まれて死ぬまでの間のことと思っています。 

しかし、佛さまは、生命というものは永遠につながっていると説かれています。永遠?ずっーと?つづいている?。今生きているのが現在。生まれる前の過去と死んでからの未来。つまり過去世、現世、未来世の三世観を説かれています。

そして、現在のあらゆる楽しみや苦しみの原因(もと)は過去世の行ないの結果といい、現在の行ないの結果が未来世に報うといいます。このように永遠とつながっているのです。

ですから、現在の境遇が他とくらべて恵まれていなくても、なげくことも悲しむこともありません。現在の種まき(行ない)を良くしていけば良く変わって来ると仰せ下されているからです。

そして、良くしていくと言う事ですが、良し悪しの判断を自分でつけると都合良く善悪が変わってしまいますから、ここは、佛さまの教えを定規にすることが大事です。

人に喜ばれることは善、人に嫌われることは悪と言えますが、善因善果、悪因悪果と佛さまはお示しです。何が善なのか、何が悪なのかをハッキリしめして下さっています。

どうぞ、私共が本当の幸せをにぎる唯一の方法は佛さまの教えを学ぶ、身につけることです。信じて行じていけば、たった今から私共の生命(運命)は変わってくるのです。

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初氷観測

IMG_20170116_082349数日前から寒さも一段と厳しくなり、空気が冷たいというより痛く感じるようになりました。早朝は暗くてよくわかりませんでしたが、9時くらいに妙証池を見てみると氷がはっていました。

東京では12日に初氷を観測と発表していました。例年より26日遅く、昨年より1日早い観測だそうです。妙証池では今日が初氷かと思うのですが…

そういえば氷で話題になったのが、渋谷にある東急百貨店本店の屋上。なんでもカーリングが楽しめるそうです。いろいろな試みをしてるのですね。さすがに妙証池ではできませんが(^^;

寒参詣も中盤に差し掛かるところです。寒さ対策はもちろん、凍結による転倒、事故などにはお互いに十分に気を付けて寒参詣に励みましょうo(^o^)o

 

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現代の交通手段

昨年までは地域の関係上、車での御奉公が多くありましたが、今年は電車での御奉公が多くなりそうです。先日、久しぶりに電車に乗り、やはり時刻通りに来るのは有り難いと感じる所です。

今では電車はなくてはならい交通手段ですが、その歴史は明治5年にさかのぼります。新橋駅から横浜駅を走る鉄道(汽車)が日本で初めて開業したといいます。

現在の東海道本線の前身でその後、大阪駅―神戸駅間が開業し、数回にわたる路線延長を経て明治22年に新橋駅―神戸駅間の全線が開業したそうです。

鉄道が通るまでは、馬や籠に乗り歩くなどして東京まで2週間ほどかかったのが一日で行けるようになったというのですから、当時の人々にとっては相当の驚きであったはずです。

時代を経て今では、新幹線、それより早いリニアモーターカーが開発されています。そうした現代社会において遠くの目的地に歩いて行こうとする人、また歩ける人も皆無と言っていいでしょう。

仏教においても、現代に適したみ教えというものがあります。釈尊ご入滅後二千年以上経過した現代を末法とよび、この末法の人々は、それ以前の人々より、仏道への志も薄く、修行を修められるだけの能力もないとされています。

難行苦行は今の人には、修められる人はいない。もし望むならば、それは東京から大阪まで歩くような無謀なことになる。今末法時代の仏道修行は、仏様の全ての功徳が納められた法を一筋に信じ、仏力経力をいただくことが大切だと教わります。

仏力経力という汽車に乗れば、幸せという目的地にたどりつけるのです。あとは信じて乗るだけです。

御教歌
東京へ一日でゆかん世の中に 氣車をきらひて ありくのはたれ

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