肝心要

「肝心要」という語源は色々な説がございますが、とかく全体の中で極めて重要な位置や役割にあるさまをあらわし、絶体に欠かせない等とても大切な意味で使われます。

世間一般に肝心要といわれるものには、例えばスポーツの野球において、キャッチャーというポジションは、守りの要と言われます。

私は小さい頃から野球をしておりましたが、最初は一番目立つ花形のピッチャーの良し悪しこそ試合を作っていく上で重要なポジションであると思ってました。

しかし、そのピッチャーの状態を常に把握し、調子をいかに引き出すか、また相手バッターとの駆け引き、守備位置の確認等キャッチャーは広い視野で味方に指示をだすなど、試合をする上で中心となるのがキャッチャーなのでございます。
一見あまり目のいかないところではありますが、決して軽視できない重要なポジションでございます。

ご信心に於いても同じことがいえます。仏様はこの世の一切衆生をお救いになるために八万四千といわれる莫大な教えをお説きになられましたが、
その教えの中にも肝心要の教えがあるのでございます。

野球におけるキャッチャーのように、仏様は移りゆく時代に合わせ教えを説く相手の能力に応じて、末法の状態をよく把握した上で、仏道修行の仕方を臨機応変に変えられるのでございます。

そうしたご配慮のもと、現代に生きる私たちが気持ちよくご信心に打ち込めるように、上行所伝のお題目を口に唱え重ねる修行をお残し下されたのでございます。

ところが世の中の多くの宗旨では、仏様の教えの肝心である御題目だけでは物足りなく感じるのか、法華経を読誦する修行が中心となったり、難業苦行という修行の方が目立って好まれる傾向があります。

しかし、仏様は過去・現在・未来と三世にわたる大きな視野をもって、末法に生きる私達へ肝心要となる御題目をお残しくだされたのですから、その中心をないがしろにするようなことではいけないのでございます。

 

ですから、佛立宗のご信心では仏様の教えをそのまま頂戴して、どこまでも御題目口唱を中心とした信心修行に励まさせていただいているのでございます。

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