さんげ

開導聖人御教歌
「さんげせば心の罪や消えぬらん 身におひきつるおも荷おろして」

私たちは、何か悪しき行いをした時、それを隠そうとするものです。
幼い頃であれば、家の”もの”を壊したとき、親に隠そうとするものです。

しかしながら、隠していることが段々と苦しくなり、気分が落ち込むようになります。最終的には、親に真実を話して、その時は叱られますが、心の中はすっきりとするものです。

誰しも、このような経験があるものかと思いますが、ちょっとした悪事を告白し、罪の意識から開放される心境が「身ににおひきつるおも荷おろして」ということになります。

ちょっとした嘘、陰口悪口、仕事上での些細なミスなど、大人になりましても隠しておきたいことは多々あるものです。放っておけば、分からないということでも、後々になって支障をきたすことも多々あります。

小さな悪事も放っておかず、迷惑をかけた人に対して誠実に対処をすることが大切です。

また、御教歌には「さんげ」とありますが、これは罪を告白することだけで良いとするものではありません。悪事を告白し、二度と繰り返さないように誓い、行いを正すことが「さんげ」なのです。

「すいません」とあやまって、それでよしとして、行いを正さなければ、本質的には何も変わりません。過去を反省したあと、行動を改めていくことが肝心なのです。

学校や会社に遅刻をしたのであれば、前日の夜、少し早く寝て早起きをするよう改善する。上司からの頼まれごとを忘れてしまったのであれば、すぐにメモを取って見直すくせをつける。お金をあっという間に使ってしまうのであれば、まず最初に貯金をする。

など、ちょっとしたことの改善の積み重ねが、自分自身の成長に繋がるのです。

自分の行いを見つめなおし、悪かった点があれば非を認め、行いを正すことが大切です。

ましてお互い、遠い過去世から今生に至るまで、御法を謗る悪事を行ってきたのでありますから、教え通りの信心修行につとめる「さんげ」行をさせていただくことが大事です。

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雪の中で思うこと

1月18日、未明より降り始めた雪によって、東京の交通網は大混乱となりました。18日の朝、お給仕前に表を見たところ、思わぬ積雪に大2年前の雪模様変驚きました。

 

 

 

 

 

 

その日は、地域外のご信者がおられる埼玉県の鶴ヶ島方面に向かう予定でした。降雪は朝のうちに雨に変わりましたので、雪解けを期待して10時に出発。ところが、首都高から関越自動車道にかけて通行止めとなっており、同時に一般道も激しく混雑していたため、予定よりも大幅に時間がかかってしまいました。

無事に御奉公をさせていただくことはできましたが、雪に弱い都会のもろさを実感しました。

また、ニュースなどで見ますと、首都圏各地の電車も大変混乱していたようでした。世田谷、渋谷近辺も三軒茶屋駅や下北沢駅でホームに入れない人が大勢いらっしゃったようです。

寒参詣(1月6日~2月4日6:00開門)の期間中、一度や二度降雪に見舞われることがあります。そのような中でも、開門よりお参詣をされている方の姿を拝見いたしますと、頭が下がる思いです。

もちろん、交通機関の影響でお参詣ができないという方もおられますが、そういった時には夕刻にお参詣をされる方もいらっしゃり、皆さん寒参詣を一生懸命勤められているのだなと、随喜の念がこみ上げてまいります。

今年の寒参詣、現在も期間中ですが、昨年11月に入信をされた方が毎日お参詣をされております。お母様から勧められて入信をされた方なのですが、自分が抱えている問題の解決をご祈願され、お参詣に勤められております。

お参詣をする、ご信心に励む、口唱に励むなど、思い切ってさせていただきますと、不思議とご利益を感得できるのが、当宗のご信心の有り難いところです。寒い中、朝早い中のお参詣は辛く厳しいものですが、そういったところをお参詣することで、たくさんの功徳を積むことができます。

寒参詣の期間はもちろん、普段からのお寺参詣に励ませていただきましょう。そして、今年に入ってまだお参詣をされていない方は、是非お寺お参詣をさせていただきましょう。

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悔いなく

2015年女子サッカーワールドカップも幕を閉じました。

日本チームは、予選リーグから調子を上げ、最終的には準優勝という素晴らしい結果でした。(決勝での敗戦は悔しいものでしたが・・・)

その日本チームの選手では、やはり澤選手の活躍に感動をしました。澤選手は前回のワールドカップでは、中心選手として攻守にわたる活躍で、大会MVPを獲得。年間最優秀選手にも輝きました。

今大会では控えに回り、試合途中からの出場でしたが、それでも随所に素晴らしいプレーを見せてくれました。

その澤選手は大会後、「悔いなくやりきった」とコメントをされていました。

その「悔いのなく」とは、試合に出ている時だけでなく、控え選手としてスタメン選手のサポートも全力でする。試合中もベンチから試合に出場している選手にアドバイスを送り続ける。

自分ができることを、試合中でもそれ以外のことにおいても、全てに対してやりきったということなのだなあと感じました。

澤選手ほどのトップ選手ともなれば、控えに回ることは受け入れがたいことなのではないかと思います。そんな中でも、自分の置かれている状況の中で、できることを精一杯勤める。

自分の信念を貫かれた澤選手の姿に、試合結果以上に大変感銘を受けた次第です。

無駄に時間を使ってばかりいる自分自身、反省改良をしていきたいところです。

  

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思いやり

ゾーン30先日、テレビのニュースで自動車運転に関する報道がされていました。道幅の狭い道路や区域に「ゾーン30」という制度を設けるということでした。

警視庁のホームページには、『ゾーン30は、生活道路における歩行者や自転車の安全な通行を確保することを目的とした交通安全対策の一つです。区域(ゾーン)を定めて時速30キロの速度規制を実施するとともに、その他の安全対策を必要に応じて組み合わせ、ゾーン内におけるクルマの走行速度や通り抜けを抑制します。』とあります。

 

狭い路地や住宅密集地に、この制度を導入し、指定区域では自動車は時速30km以下の走行に制限されるとのことです。

乗泉寺世田谷別院も、周辺が住宅密集地が多くありますので、私も普段から歩行者の方に注意をし、交差点でも慎重に運転するよう心がけています。

ゾーン30-2

 

しかしながら、結構なスピードで走行する車も多数見かけるのも事実です。それも、小学生や買い物がえりの方が多く歩いている夕方に、猛スピードで狭い道路を走行する車を何台も見かけます。

「自分が歩行者だったら」「自分が歩行をしている小学生の親であったら」と考えれば、自然と速度を落として走行をするかと思うのですが、実際、車に乗っている自分のことしか考えていないと思われるような運転をしている方が多いのが現実かとも思います。

 

そういった中で、「ゾーン30」という取り組みは、車を運転する我々にとって守らなければならないことだと感じます。むしろ、そういった警視庁からの規制ではなく、自発的な取り組み、車の運転に対する考え方が必要だとも思います。

車に乗っていますと、歩いている歩行者の方や走行する自転車が「邪魔である」と思ってしまうものです。しかし、車を運転しているからといって、歩行者を邪魔者にしていいはずがありません。何事にも通じることですが、「相手の方に対して思いやりの心を持つ」という心のゆとりを持つことが大事と感じました。

車の事故は、いくら気をつけていても起きてしまうこともありますが、出来る限りの配慮を心がけるよう、努めていかなければならないと改めて感じました。

警視庁ホームページ
http://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kotu/zone30/top.htm

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型空手には型というものがあります。私自身空手の経験はありませんが、経験者の演技をテレビなどで見ますと、その素晴らしさを見て感じることができます。

私達、佛立僧侶にも型というものがあります。御給仕の仕方、御奉公の仕方、お看経の仕方など、お寺の流れはありますが、それぞれに型があります。

その型は先輩から教わるのですが、手取り足取り教えていただけるというわけではありません。先輩の姿を見て覚える。うろ覚えでやってみて、怒られながら、そこでまた覚えるというように、動きの中で一つひとつ覚えていくものであります。

 

そうした、積み重ねの中で、少しずつ動きが身に付いてきますと、今度は、「何でこのような御奉公をしなければならないのか」ということが分かってくるものです。やってみて、始めて御奉公の意義というものが分かるのです。

仕事などの場面では、仕事の流れを一つひとつ丁寧に教わるということもあるかと思います。また、何故その作業をしなければならないのかという、道理から教わる場合もあるかと思います。

しかしながら、経験を積んで来られた先輩方の動きの中に、必要性や重要性など全てが含まれているのですから、どんどんと見て吸収しようと心がけることで、それが必ず自分の成長へと繋がっていくものであると思います。

反対に、「教わったことだけやれば良い」という考えや、「教わっていないから自分には関係がない」という考えは、自分の成長に全くプラスになりません。また、「他人から教わる必要など何もない。自分の知識と経験で向かっていくだけだ」という考えも、自分の力量を広げることには繋がりません。

型にはまるということを、何か悪いようなイメージで捉えてしまうこともありますが、シッカリとした型が身に付けば、仕事でもスポーツでも、応用力に幅が出てくるものかと思います。

自分流というものを見つける際、まずはシッカリとした土台を作る。その土台となる型作りの大事を感じた次第です。

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法灯相続の大切さ

先日、ご回向の御奉公をさせていただいた時の話です。

弔主の方は、自営業をしているため、あまりお寺参詣ができないとのこと。御家族の方も、仕事の手伝いなどのため、お参詣、御奉公には中々顔を出されません。

弔主のお母様が、熱心な仏立信者さんであったため、弔主の方はその後を引き継いで御本尊を護持されております。

墓前でのご回向の際、弔主の方、御家族の方ともに御題目をお唱えする声がほとんど聞こえませんでしたので、ご回向の後、「お墓参りの際には、お題目をお唱えすることが一番大事ですよ」とお話をさせていただきました。

すると、お話をしたすぐ後に、弔主の方が改めてお墓に手を合わせ、大きな声で「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えされました。それに引き続き、御家族の方もお題目をお唱えされたのです。御題目口唱の大事をお話しても、このようにすぐさまお唱えされる方は、あまりおられませんので、有り難いことだと感じました。

その後、御供養の席にて弔主の方とお話をしたところ、幼い頃、母親と一緒に寒参詣、夏期参詣にと乗泉寺にお参りをされていたとのことで、「餅粥のご供養の味は、今でも忘れません」と仰られておりました。

なるほど、その幼い時のお寺参詣、御題目口唱の思い出があったからこそ、今回お題目をすぐさまお唱えすることができたのだと感じました。

幼いころにお唱えした御題目の種、これが心の中に植えつけられていたからこそ、素直にご信心を受け入れられたのだと思います。

やはり大切なことは、子どもさんやお孫さんに、日頃から御題目口唱の大事を教えること。そして、一緒にお参詣、一緒にお唱えすること、手を引っ張って実践させることだと感じた次第です。「いつかご信心のことは分ってくれるだろう」、「うちの子は大丈夫」このように思っていて、ご信心に対して何も伝えず、何も実践させようとしなければ、ご信心の有り難さを感じることはできません。それでは、ご信心を後になって「迷惑なこと」と感じてしまうことにもなりかねません。

日頃から、家族の方にもご信心をすすめること、それも手を引っ張って教えていくことが大事なことで、そういった意味でも、11月8日(土)、9日(日)の乗泉寺高祖会には、御家族皆さんでお参詣させていただきましょう。

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北海道団参にて

9月末に北海道の寺院へ2日間、お導師の随行御奉公をさせていただきました。台風が接近との情報もありましたが、そんな不安は全く問題なく、両日とも晴天のお計らいをいただきました。

北海道での移動は、御信者さんの車での移動となりました。その車の運転をされていた、御信者さんのお話が印象に残りましたので、紹介させていただきます。

その方は、60年以上前の10代前半の頃に、親御さんが入信されたことをきっかけに、お寺参詣をするようになったそうです。20代の頃結婚をされ、奥さんにもご信心を勧めましたが、なかなか良い返事がもらえなかったとのことでした。

そんな時、ご本人が勤務されていた会社が倒産し、職を失ってしまいました。何とかお計らいで乗り越えたいと決定され、それからお線香100本の御祈願をされたところ、すぐさまお計らいをいただき、再就職をされたとのことでした。

その現証を御覧になられた奥さんが、ご信心をされるようになられ、それから毎日1万遍以上の御看経を、奥さんがされるようになったとのこと。さらに、特別な御祈願がある時には、夜通し掛けて御題目を唱え続け、3日間での100本祈願を何回もされたとのことでした。

その奥さんは、10年ほど前に他界されましたが、ご本人は退職後の現在も、毎日一万遍の口唱を欠かさないとのことでした。

そのようなお話をお伺いして、信心第一で毎日を生活されている方の強い思いに感銘を受けました。また、必ず現証御利益がいただけるご信心の有難さを再認識するとともに、現証を見せることによって、他の人にも必ずご信心が沸き起こるのだと強く感じた次第です。

信心第一、口唱第一がいかに大事なことなのか、あらためて感じた次第です。

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臨終の夕べ

先日、NHKスペシャルにて、「人間の死について」の話題が取り上げられており、興味深く視聴させていただきました。

番組では作家の立花隆さんが、自ら病を患い死を間近に感じるようになったということで、以前より取材を続けてきた死後の世界にあらためて興味を抱かれ、死を迎えた時に人間の脳はどのような状態になるのか等、いろいろな分野の研究者に最新の研究内容を聞かれていました。

その中で、臨死体験の研究についても取り上げられており、死を迎える直前の人間の脳の状態がどのようになっているのかということが取り上げられていました。

臨死体験を経験した方の多くは、現世で味わったことの無いような幸福感に包まれる言われていました。何でも、人間の脳が死を迎える直前に幸福感を味わうことができるよう、設定(上手く表現できないのですが・・・)されているとのことでした。

また、別の見方では、臨死体験は生前の記憶などが見えたもの、つまり夢を見ているようなものと解釈をしている研究者もいるそうです。はっきりとした結論は出ていないということではありましたが、私たちはどこから来たのか、死後どこへ行くのか、といった疑問について、科学的なアプローチの一端を見ることができました。

お祖師様・日蓮聖人は、「先(まず)臨終の事を習て後に他事を習べし」と仰せられております。ですから、現世ばかりに気を取られるのではなく、過去世・現世・未来世と流れる因果を見渡さなくてはならないのです。

しかしながら、私たち凡夫には、三世を見渡すことなど到底できるものではありません。そこで、私たちは三世を見渡された仏様の御智慧をいただく、つまりお悟りの全てがこめられた上行所伝の御題目をお唱えさせていただくことが肝心なのでございます。

死後どうなっていくのか、自分の浅知恵では何もわかりません。それどころか、不安ばかりを感じてしまい、ついには絶望感になってしまうことにもなってしまいます。また、「死後のことなどどうでもいい」と考え、現世ばかりのことに捉われて、好き勝手な振る舞いばかりをしていては、因果の道理から考えても、来世はろくなことになりません。

やはり、素直な心でご信心をさせていただき、仏様の御智慧に寄り添っていくことが大切です。そして、先の世までも御守護をいただけるという幸福感を持って、臨終の夕べを迎えられるよう、勤めていきたいものです。

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夏休み最後の日に思うこと

最近「宿題代行」の話題が、世間を賑わせています。「宿題を代行するなんてけしからん!」と多くの方が思っているようです。

私もその一人。子どもの宿題を代行するなんて良い訳が無いと思います。私自身、夏休みの宿題は最後の日になって慌ててやるような子どもでありましたから、「宿題を真面目にやらなければ自分の力にならない」などと大それたことは申せません。

が、しかし、「自分のことは自分でやる」という習慣が身に付かなければ、社会生活をしていくことが大変難しくなってしまうと思います。仕事も代行してくれるのか、結婚、子育て、家事も代行してくれるのか。そんな訳はありません。

何でも自分のことは自分でする。ごく当たり前なことですが、とても大切なことだと思います。仮に宿題を忘れれば、当然本人が怒られる。私自身、学校の先生にどれ程怒られたことがあったのか、数え切れません。

しかし、そういった経験から、怒られるという結果は自分の怠けが原因なのだということを、身に染みて感じることが出来るのだと思います。(その失敗を繰り返してばかりなのですが・・・)

原因があるから結果がある。良い結果は良い原因によるものであります。そして、良い結果を得るためには、やはり相応の努力精進が必要なのです。

世の中には、たくさんの代行業が存在します。運転代行、買い物代行、結婚式出席代行、お墓参り代行などなど。

必要としている人がいるから、代行業者も成り立つ。代行が必要な時代となっているのだと思いますが、代行して良いものと悪いものがあるのではないかと、今回の宿題代行の騒ぎで感じた次第です。

※ご信心に代行はありません。後になって後悔することの無いよう、今生で沢山の功徳がいただけるよう、毎日の口唱信行に励むことが肝心です。

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噂「好事門を出でず悪事千里を行く」とことわざにありますように、良い行いは中々広まりませんが、悪事はあっという間に広まってしまうものです。

「ここだけの話」がここだけに収まらず、また次の場所での「ここだけの話」となり、更にその次へと続いていきます。


私自身の会話の内容を振り返りますと、やはり人のうわさ話や悪事についてのことが多々含まれているものだなあと反省するばかりです。そういった悪事に対する話をして、何かの得になるになるのかと考えますと、ほとんどの話は無益なものであると感じます。

しかし、そういった噂話は何故か面白いと感じるもので、無意識の内に口から出てしまうものでもあります。また反対に、人の噂話に自分のことが挙がっていないか不安に感じ、周りの目を必要以上に気にしてしまうということもあります。

最近では、「ライン」「フェイスブック」「ツイッター」といったものが活用され、その結果、様々なニュースが一瞬で広まる、良いか悪いかは別としても、リアルタイムでの情報の拡散が当たり前の時代となっています。

そのため、「悪事千里を走る」というスピードも、昔に比べて格段に速くなっていますから、例え真実ではなくても、一つの噂が本当のことであるかのように広がってしまい、後々になって大変な問題になってしまうということも現実に起こっています。

こういった時代であるからこそ、その時代の流れに身を任せるのではなく、”噂に流されずに情報を正しく判断する”、”人の欠点・失敗をやたらに広めず好事に目を向ける”、このように努めていく必要があると思います。

因果の道理は間違いなく、全てのものに流れているものです。人の欠点や失敗話ばかりに耳を傾けてそれを広めれば、自分自身が噂に左右をされる、身に覚えのない噂話を流されるといった目に遭うことになってしまいます。

反対に、人の良い点を称え、良い行いを回りに広めようと努めれば、自分自身の気持ちも良い方向に進んで行き、良い行動が出来るようになる。周りからの信頼を得られるということに繋がります。

新聞やテレビでは、人の目を引くような話題が大々的に報じられています。良いニュースよりも悪事の方が目に付き易く、我々の関心を引くものであります。だからといって、そういった悪事の話ばかりに興味を引くようでは、心の中もすさんだものになってしまいます。

良い行い、良い点に目を向ける、少しの努力を心がけていきたいものです。

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JSK御奉公

7月25日から27日までの3日間、大阪清風寺へJSK(乗泉寺・清風寺交流)御奉公に行って参りました。大阪はとにかく暑い。新幹線で新大阪に降り立ったときの蒸し暑さは、東京とはまた別の凄まじい暑さでした。

今回の御奉公では、清風寺さんの開導会を見学、接待・行道御奉公などをさせていただきました。やはり、東京の御奉公とは勝手が違うところが多々ありましたので、大変勉強になりました。

接待の御奉公は、他寺院の御導師・お講師の出座準備をする御奉公でしたが、そこで御奉公をされていた青年会の方の御奉公ぶりに目を引かれました。 

その方は、着替え場所の大広間まで玄関より案内をする係だったのですが、大変落ち着いており、御導師方に対する振る舞いの丁寧なものでした。何回も御奉公をされていたように思いますので、繰り返しの経験がなせるものだと思いました。

そして、大広間からは私たち教務がカバンを受け取り、お着替えの準備をさせていただく流れでしたが、その受け渡しも丁寧にして下さいました。

また、お帰りの際は、大広間より御導師方のおカバンをその青年会の方に我々が渡すことになるのですが、その時も、「させて頂きます。」と率先してこちらに声をかけられ、テキパキと御奉公をされていました。

その御奉公姿勢に驚きと感動を覚えた次第です。接待の御奉公では、数人の青年会員が婦人会の方と一緒に御奉公をされていましたが、どの方も基本動作がきっちりとできており、御奉公レベルの高さに感心させていただきました。

他寺院の御導師方やお講師の接待は、私たち教務でも緊張する御奉公です。そういった御奉公は、若い人には任せられないと思ってしまいやすいモノですが、思い切って御奉公いただくと、その人の成長に繋がるものでもあるのだなあと思いました。

その他、今回の交流を通じて学んだことを、日頃の御奉公にもいかしていきたいと思います。

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弱点の克服

先日、「プロフェショナル仕事の流儀」という番組で、サッカーW杯日本代表、本田圭佑選手の特集が放送されていました。本田選手はみなさんもご存知のとおり、日本代表の中心選手で前回の南アフリカW杯でも大活躍をしました。

番組の内容は、主に本田選手の日頃のトレーニングに密着したものでありましたが、自分の弱点を見つめてその弱点の克服に取り組む、その真剣な姿勢に大変感銘を受けました。また、番組の中で本田選手は、「自分はメッシやクリスティアーノロナウドとは違う。唯の凡人です。だから練習するんです。」と言われていました。

本田 圭佑本田選手は、日本代表や海外のサッカークラブでの試合を見る限り、自身に満ち溢れ、プレッシャーも全く感じないというような姿で試合をしています。当然、自分にも大変な自信を持っているのだろうと思っていましたが、先の言葉を聞いたとき、それは慢心といった類ものではなく、大変な努力に裏付けされた自信なのだということが分かりました。

番組では、90分間のサッカーの試合中、最後まで走り切る体力をつけようと、現役の陸上選手と一緒にトレーニングをしていました。体力が人よりも劣るという弱点を克服するためだそうです。すぐには体力を付けることは難しいことですが、そのトレーニングで得たヒントを日常の練習にも取り入れて実行する、そうすることで弱点を克服するのだと本田選手は話していました。

弱点を克服し成長をする、その第一歩は自分の弱点を逃げ出さずに見つめる、そしてその弱点の克服に努める。私自身、自分の弱点というものが時として分かることがあります。そういった時、その弱点を克服しようと努めているのか。ほとんどの場合、「まあいいか、仕方がない」と逃げ出しているように思います。

より前に進もうと努める本田選手に、是非ともブラジルW杯でも活躍をしていただきたい。そして、私自身も一歩また一歩と前進できるよう、弱点の克服に努めていきたいと思います。
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ベテランvs若手

先日、世界卓球東京大会をテレビで観戦させていただきました。卓球は普段見る機会がないためか、はじめは見ていてもあまり興奮しませんでしたが、段々と白熱した試合展開に興奮を覚えました。

男子の試合では、サーブの回転のかけ方、またスマッシュの迫力に驚きました。ラリーが続く場面では、とても目が追いつかず、どうなっているのか分からないくらいでしたが、それでも、ぎりぎりのコースを打っては返す場面では、選手の技術の素晴らしさに驚くばかりでした。

卓球女子の試合は、ダブルス準々決勝の日本対オランダの試合をテレビで観戦しました。福原愛選手が怪我のため、出場していないとのことで、どうなるのかと思いましたが、代わりに出場した石垣選手の試合には感動しました。

 

 

カットマンと呼ばれる、相手の打球をひたすら返し続ける戦法で戦う姿は、何かひたむきさというか、耐え続ける姿というか、悲壮感のようなものを感じ、応援にも熱が入りました。

その石垣選手の試合は、相手の選手もカットマン戦法を取る選手であったため、試合途中から「促進ルール」なるものが採用され、そこから一気に石垣選手が主導権を握り、見事勝利しました。

また、そのオランダ戦の中で、オランダチームの一員として戦う、中国からの帰化選手、リー選手活躍も記憶に残るものでした。リー選手は41才で元中国代表選手。世界選手権でのタイトルも取っている選手だそうです。(テレビ中継の紹介より)

そのリー選手は、とにかく強い。技術もさることながら、追い込まれても平然と相手のボールを打ち返すという精神的な強さに感動しました。そこには、普段からの並々ならぬ練習の裏付けと、豊富な国際大会での経験があったからではないかと思います。

残念ながら、リー選手には、日本のエースの石川選手もあと一歩のところで敗れてしまいましたが、世界の強豪選手と互角以上に戦う石川選手の姿にも、大変感動しました。

スポーツやその他いろいろなことにおいて、「ベテランの技術や経験」と「若い選手の勢いやパワー」との対決の構図があるものです。どちらが良い悪いということではなく、どちらにも良い面があるものだと思います。

特に若い側としては、とにかく勢いで押し切ろうとして、手痛い失敗をしてしまうことが多々あるものです。(わたしも失敗ばかりですが)

そこは、豊富な経験を持つベテランの方々のお力をお借りしようという、謙虚な姿勢を持つことで、良いアイディアが生まれる場合もありますから、ベテランの技術や経験を学ぶこと、また盗むことも大事であるのだなぁと思うところです。

 
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食事の躾け

先日、御講席でお伺いした方のことですが、その方は息子さん夫婦と同居をしておられまして、また、息子さんには2人お子さん、席主から見ますとお孫さんがおられます。

さらに、ご自宅の近くには娘さん夫婦もお住まいとのことで、娘さん夫婦にも3人のお子さんがおられますので、席主の方は合計5人のお孫さんがおられることになります。

そして、ほぼ毎日、息子さん夫婦、娘さん夫婦また5人のお孫さんと夕ご飯を食べられているとのことでした。

食事「2世帯の家族、また5人のお孫さんのご飯の支度をするのは大変ではないですか」、とお伺いすると、「大変と感じたことはないです。毎日何を作ろうかと楽しんでいます」とのお返事をいただきました。

席主のエネルギーには、唯々感服するばかりでありますが、そればかりでなく、お孫さんへの食育に関しても参考になる話しが多々ありました。

 

その一つに、「料理を作ってくれた人のことを考えて、食事をいただく」ということでした。一番上のお孫さんは、おばあちゃんが作ってくれた食事に対して「こんな料理たべたくない。」とわがままを言うこともあるそうです。

そんな時、「作ってもらえることに感謝をしなさい。食べたくなければ、外で食べてきなさい。給食でも作ってくれる人のことを思って、ありがたくいただきなさい。」と厳しく叱るそうです。また、ご飯粒がお茶碗に残っている時も、「ご飯が可哀想ね」と叱るとのことでした。

このような厳しい躾けもありながら、お孫さんは元気に成長していっているそうです。

また、ご家族一同、それぞれ仕事や学業がありながらも、都合を付けてお寺参詣にも励まれておられます。門祖会も、家族総出でお参詣をしていただけるということです。

時には厳しく、そして家族みんなでご信心に励まれている方のお姿、私自身も見習っていきたいと思います。

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笑って幸せ

笑顔1当山の御導師がよく、「幸せだから笑うのではなく、笑うから幸せになれる」と仰せになられます。

先日、人の脳に関する本を読んだところ、同じようなことが書いてありました。なんでも、ある研究の中で、「人はストレスを感じた後、笑うと心拍数が下がる」ということが実証されているのだそうです。

また、その笑顔が心底楽しいというものでなくても、笑うという行為自体がストレスを軽減させるということも分っているとのことです。

笑顔2ですから、とにかく思いっきり笑ってみましょう。何か嫌なことがあった後、気分はどうあっても無理やりにでも笑顔をつくってみましょう。

そうすれば、心が落ち着き、嫌なことをいつまでもくよくよと考え込まなくなる、ポジティブな考えへと変わっていくはずです。

当宗の教えでも、”心はどうあっても、まずは姿かたちから”と教えられます。御法様のお力を心底信じることができなくても、思い切ってやってみる。御題目をお唱えする、お寺参詣に励む、率先して御奉公をさせて頂くことが大事で、そうすれば、必ずいろいろな場面でお力添えが頂け、信じる心が芽生えてくるのであります。

ご信心もまずはやってみる。また、嫌なことがあった時には、思い切って笑いましょう。幸せになること間違い無しです。

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