心の栄養素となることに関心を持とう

私達は何歳になっても、生きている限り、何かすることがあるというとはとても有難いことだと思います。

生活の糧を得るために働く、それも大事な事です。けれども仕事を離れたところでも
自分の人生を充実させるような役割なり、趣味をもっていないと、心身共に衰えてしまいます。

そういう意味で常日頃から自分の人生を充実させるようなことに興味、関心を持つように心がけたいものです。私事になりますが、ドラムを演奏するのが趣味ですので時々、渋谷のスタジオに行ってドラムを叩きにいっております。

スタジオには高齢でバンドを組んでいる人もみかけますが、やっぱり趣味に講じている人は若々しいです!!

特に趣味などもってない方は何でもよいので自分の気に入った物や興味のある物に取り組んでみましょう、きっとイキイキ、ハツラツになります。

そして「心の栄養素」といえば御題目口唱は何よりの心の、そして体にとっても栄養素です。

寒参詣も残り後わずかですが、常日頃からお参詣して御題目をお唱えいたしましょう!!

Share on Facebook

若い力って凄い!

若い子は本当に飲み込みが早い、昨年の12月から毎週月曜日に薫化会の子に法鼓を教えているのですが、上達の速さにはビックリさせられます!!

法鼓よく自分は「細いねー」とか「よくその細さで太鼓が打てるねー」とか言われる。本当によく言われるんですが、薫化会のような小さいお子さんでも上手に太鼓を叩くことができます。

これには訳があるんですね。

筋肉はチューブの束のようなものなのですが、脱力していると細長くなります。そして緊張するとぐっと収縮して太く短くなる。

 

緩んでいるということは弛緩と収縮、脱力と緊張が自在だとここでは定義しますが、要するに緩んだ筋肉はいらんときに固く太くならないということなんです。

要するに多少の筋力は必要ですが太鼓を叩く時は筋肉の脱力を意識して叩くことが重要なんです。小さい子は自然とこれがよくできているように感じます。もちろん多少の筋力があることに越したことはないのですが、教えてきて思うことは今これだけ上手だったら、これからがさらに楽しみだなと思うことです。

練習するたびに自分も新たな発見があります、小さな子に負けないようにお互い研鑽していきたいな思います。

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



Share on Facebook

御奉公ってなんだろう?

私たち本門佛立宗のご信心をさせていただいている者は「御奉公のほどよろしくお願いします」とか「御奉公があります」といった具合によく「御奉公」という言葉を使います。

でも、御奉公ってなんだと問われるとちょっと説明しにくいですよね。そこで「御奉公」の意味合いをハッキリさせるためにまず、「ボランティア」という言葉と比べてみることにしましょう。

「ボランテイア」というのは自発的にという意味で、報酬を求めず好意で他のために何か役に立つことをすることです。佛立宗の「御奉公」もそういう意味ではボランティア活動と似ているところはありますが、ボランティアと大きな違いは、「敬い、感謝の気持ちを込めてお仕えさえていただく」という意味があります。

それと、ボランティア活動は自分の都合でやる、やらない、を決めることができますが、御奉公となるとそうはいきません。「奉公」とは「公に(おおやけに)奉る」というのですが、この「公」という字には我を押さえるという意味が込められています。「公」の「ハ」は蓋のことで「ム」とは私のことです。

つまり私の我に蓋をすることが「公」つまり自分の思惑や都合を優先させないで「奉る」つまり「させていただきます」というへりくだった気持ちが込められないと「御奉公」とはいえないのです。

自分の都合を優先させず私に蓋をして御奉公させていただくこと、これが肝心ですが、なかなか難しいですね。ですが前回のブログでも「御奉公させていただこう」という気持ちを日頃から持っていれば段々と変わっていくと言っていますが、常に前向き、ポジティブに生きる事!倒れるときは前のめり!

これが良いと思います。

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



Share on Facebook

即聞即行、いい事はすぐ実行

「即聞即行」というのは「これはいい事を聞いたな」と思ったら、すぐ実行に移しなさい、という意味です。そうではないと聞いたことになりません。

自分にとって身の為になることを教わっても、「自分には出来ない」と心に閂を入れてしまう人がいますが、こう言う人は私生活も暗くなりがちです。

自信を持って前向きに生きれば自然と、道が開けていくものです。

中国の孟子という先生が「為さざるなり。能わざるに非らざるなり」という言葉を残しています。「できないのではなく、できるのにしようとしないだけなんだ」という意味の言葉で、何事も前向きにチャレンジすることの大事さを説いています。

ご法門も同じで、せっかく良い御法門を聴聞しても、自分にはこういうご奉公はできないと思うのではなく、頑張ってさせていただこうと考えてご奉公することが大事です。

気持ちを切り替えて毎日を楽しく頑張りましょう!!

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



Share on Facebook

人との出会いを大切にしよう。

出会い私達を人間的に成長させてくれるもの、それはなんと言っても「人との出会い」でしょう。

最近思ったのですが、テレビを見ることや読書することだってある種、人との出会いと言えるわけで、人との直接的な出会いや読書などの間接的な出会いを通して、精神的な成長をしてきたわけです。そういう意味では、自分とは違った環境で、異なった生き方をしてきた人との出会いを大事にしないといけません。

ところが、私たちは自分と同じような好みを持った人や同じようような立場の人だけと付き合ってしまいがちです。もちろん好みや立場が共通した人と親交を深めることは、自分の良き理解者として信頼関係を築けますから決して悪いものではありません。

しかし、同じような人達ばかりと付き合っていると視野が狭くなってしまい、他人の意見を聞けない、自分が正しいというような感覚に陥り、世の中の考えから外れている人になりかねません。ですから、異なった年代や立場、趣味の人との出会いを大事にしないといけません。

では、そういった人たちとの出会い、ふれあいの機会を作るにはどうしたらいいか。その為には、まず誰に対しても自分から挨拶し、声をかけること、とくに挨拶はとても大事です。私自身そんな心がけを持つようになってから、いろんな人との出会い、ふれあいが生まれるようになりました。誰に対しても満遍なく笑顔で挨拶すること、これをするだけで世界が変わってくると思います。

お寺という場所は、色々な人との出会いが生まれる場所でもあります。商売をしている人、工事現場で働く人、学校の先生や、職人さんなど様々な職種の人達が集まるわけで、当然、年代や趣味、性格なども千差万別です。

そういった自分とは立場や環境の違う人達が、他人同士で「ありがというございます」と共通の挨拶を交わし合い、御本尊様に手を合わせ、御弘通という共通意識をもち生活を送らせていただくのです。

つまり、お寺にお参りさせていただきますと、年代や性格は違っても同じ目的意識を持った人と直接ふれあうことができ、人として精神的な成長をすることができるのです。

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ

Share on Facebook

所作振る舞い

「一期一会」という言葉があります。これはもともと茶の場の世界で使う言葉で、毎回催す茶会でも一生に一度きりという思いを込めて行いなさいということを説いたものなのですが、人との出会いもそうありたいものという意味で使われるようになりました。

人との出会いを一生に一度きりの出会いだと思って大切にすると自分自身がどう変わっていくでしょうか。

出会いを大切にするということは、人を大切にする気持ちだと言ってもよいはずです。人を大切にするには、相手に好印象を与えられるように、姿勢も良くしなくてはいけないし、言葉も選ぶようになります、顔の表情も意識的に明るくするようになります。

ですから「一期一会」の気持ちで人と接するということは自分を高めて行くことにつながっていきます。でも人に好かれるような姿勢、言葉顔の表情を保つためには、自分自身を監視するモニターのような心の眼、自分自身を客観的に見ることが大事になってくるのです。

これが案外難しいもので常に意識していないと猫背になったり、話し方も言語不明長、顔も無表情になるものです。

開導聖人御教歌にも「言の葉と身の不行儀をたしなめば それで世間の常の人なり」とあるように私自身も日常生活の中でこういったことを意識するのは大変ですが、少しずつ意識して実行してみれば徐々に印象が変わっていくのではないかと思います。継続は力なりですのでみなさんも日頃から意識して実行してみてはいかがでしょうか?

↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
ブログランキング・にほんブログ村へ



Share on Facebook