被災地復興支援で感じたこと

昨年の話になりますが、十月二十、二十一日の二日間に亘り、修学塾の研修旅行でいわきに行って参りました。

この旅行は被災地の復興支援を目的としたものでした。まず最初に小名浜に向かい、海岸に御本尊をおまつりし、海に向かっての慰霊法要が営まれました。

あの海のどこかにまだ御遺体の見つかっていない方がいるのか、と思うと胸が詰まる思いでしたが、 「どうか苦しむことなく、一日も早く生まれ変わり、共に菩薩行を歩むことができますように」との願いを込めて、声の限りお看経に励ませていただきました。

その後は昼食をいただき、魚市場で買い物をしましたが、そこで働く従業員や漁師の方々の笑顔が実に明るくさわやかであるのが、印象的でした。

あの忌まわしい三月十一日以来、原発に関する風評を受け、近隣の海で採れた魚介類もすべて検査にかけなければ売れなくなり、そのため値段が今までの四倍に跳ね上がってしまったとのこと。そのため廉価で販売されている品物は千葉や茨城の港から運んできたものである、という話を伺い、我々にはうかがい知ることのできない苦労が、まだまだあるのだという事を改めて実感させらました。


それでもそうした逆境にめげることなく、元気に働かれる方々の様子に、却って勇気をいただきました。


夜は「スパリゾート・ハワイアンズ」で一泊しましたが、ここも大震災では大変な打撃を受け、一時は営業停止に追い込まれたとの事でした。ここで働くフラダンサーの中にも、地元地域が被害に遭い、引っ越しを余儀なくされた方もあったそうです。またファイアーダンサーの方も、せっかく雇用された矢先に、あの大災害が起こったため、一時は解雇を宣言されたが、その後再雇用となり、現在に至ったとのお話でした。

 この旅行は、復興支援が目的でしたが、私はむしろ反対に地元の方々から、勇気と希望という大きなお土産を頂いたように思います。「冬は必ず春となる」御弘通に生きる我々教務も、明るい展望を信じ、前進しなくてはならないと教えられた得難い旅でした。

寒さはまだまだ続きますが、このくらいで負けてはいられません。寒参詣も残りわずか。精一杯のお看経、御奉公に努め、今年一年の信心の土台作りに努めたいと思います。

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御尊像はなぜ黒い

当宗の御尊像(御祖師様のお姿をかたどった像)は黒い色をしています。なぜ黒なのか。これには二つの説があります。

まず一つは、ロウソクのススや御線香の煙で黒くなった、古色ゆかしいお姿を有難いものと頂き、そのまま御安置申し上げるという説。

もう一つは、歌舞伎で舞台を支える黒子と同じという説です。つまり昼夜御本尊のおそばに寄り添い、御尊像と一体になって我らを守護し給う。それゆえに、極彩色でなく、黒色なのだという説です。

私共は願い事があれば、叶えてもらうのが当然のように思いがちです。しかし夜昼となく、61年の御生涯を御弘通に捧げられた御祖師様の御苦労をどれほど理解しているでしょうか。

ともすれば目立ったことだけをして、良い事をしたつもりになっている私共です。陰日向なく、地味な事でも、目立たぬ所でも嫌がらず御奉公させていただく気持ち。たとえ一人の為にも法を説く心を忘れてはなりません。

来月7・8日は当山でおいて高祖会を奉修致します。

また11月は御尊像御綿かけの御奉公月でもあります。

御祖師様の御恩に報いるため、心を込めて御奉公させていただきましょう。

 

※11月11日は小松原御法難の日です。

文永元年(1264)のこの日、鎌倉から故郷である安房に帰って来られていたお祖師様は有力信者である工藤吉隆公宅での御講席の帰り道、小松原(現在の鴨川シーワールド近く)において、この地の地頭であり念仏宗であった東条景信ひきいる軍勢に襲われました。

「いるやはふるあめのごとし うつたちはいなづまのごとし」と御妙判にある通り、想像を絶する惨状を呈したこの大難により、工藤氏と御弟子の鏡忍坊は殉死を遂げられました。

そして、お祖師様ご自身も左腕を折られ、眉間に傷を覆われました。

これをご覧になった一人の御婦人が、寒さで御傷が痛まないようにとの志から、お祖師様のおつむに御綿をかけられました。

毎年この時期にさせていただく御綿かけの御奉公は、この事に由来しています。
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彼岸花

秋のお彼岸も終わり、そろそろ肌寒くなってまいりました。

つい先ごろまで、ふと足元を見ると彼岸花が咲いていました。

この花は別名死人花、地獄花などと呼ばれ、あまり良い印象をもたれないイメージがあります。

なぜかというと、球根に毒を持ち、赤く伸びるその形も、炎を連想させ、地獄の亡者が手を伸ばした形を思わせるからだとか。

しかし、またの名を曼珠沙華(まんじゅしゃげ)といい、法華経の序品第一には「曼荼羅 (まんだら)曼珠沙華を雨(ふ)らして 栴檀(せんだん)の香風(こうふう) 衆の心を悦可(えっか)す」とあり、仏様が御教えを説かれる前の奇瑞(さまざまな不思議な現象)のひとつとして、この花が天上から降り注いだと記されています。

埼玉県の巾着田という所には、この花が群生している公園があり、とても幻想的で美しいと伺いました。

このように考えますと、世の中でなぜか嫌われているものにも、実は隠された価値や、まだまだ知らない魅力があるかもしれません。

人の心もまた同じ。一見取っつきにくい人、自分と合わなそうな人もよくよく付き合ってみれば、素晴らしい資質の持ち主かもしれず、その出会いが自分を変えてくれるかもしれません。

連日、犯罪や事件が新聞をにぎわす世知辛い世の中ですが、人を信じる心だけは失いたくないものですね。

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開導会に向けて

スタンプまだ私が青年会で御奉公させていただいていた、ある年のこと。私はお会式で「青年の一座」の司会を任されました。

当日に向けてリハーサルを済ませ、明日が本番という時、急に寒気を催し、たちまち39度の熱を出してしまったのです。

 

翌日になっても熱は下がらず、代わりの人も都合がつかず、半ば投げやりな気持ちでお寺に向かいました。座が始まっても頭は朦朧としたまま、立っているのもやっとでしたが、たどたどしくも台本に書かれた文字を目で追い、マイクに向かって話し、必死に司会を務めました。

座はそのまま進行し、無始已来の言上で終わりましたが、最後のガンが鳴り響いた後、今までの熱が嘘のように引いていることに気が付きました。それまでの頭の痛みもめまいも嘘のよう。悪い夢から覚めたようでした。

忙しい毎日。時間やお金をやりくりし、体調を整えての御奉公は確かに楽ではありません。しかし御奉公は太く短く。これが大切で、夢中に懸命にさせていただく中に、必ず現証の御利益が頂けます。

13・14日は開導会です。皆さんが生き生きと喜んで御奉公に励み、また一人でも多くの方がお参詣される事を願ってやみません。

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京都と東京の魅力

kyoto
京都には古くから、「通り名かぞえ唄」というユニークな唄が伝えられています。

まるたけえびすにおしおいけ
あねさんろっかくたこにしき
しあやぶったかまつまんごじょう
せったちゃらちゃらうおのたな

これは京都の町の東西を結ぶ道を、北から順番に数えたもので、かつては京童たちが手毬唄として親しんできたといわれています。

 

「まる」は「丸太町通り」、「たけ」は「竹屋町通り」といった具合に、今でも迷子になりそうなとき、この唄を手がかりに歩けば、だいたい目的地近くにたどり着くことができるというわけです。お休みの日など、この唄を口ずさみながら、京都の町をお散歩するのも一興です。

先日私は「あねさん」の「さん」にあたる「三条通り」を散策しましたが、ここにはたくさんの洋服屋やカフェがあり、連日たくさんの人でにぎわいます。三条通りと烏丸通りの交差する所にある「伊右衛門サロン」は、サントリーが経営するおしゃれなレストランです。料理も美味ですが、香り高い煎茶や滋味豊かな焙じ茶が楽しめます。

開導聖人はその御生涯で多くの御法難に遭われ、たびたび転居を余儀なくされたと伝えられますが、その内の一つ、かつてのお住まいがちょうどこの辺りだそうです。すぐ近くには、開導聖人ご生家跡に建てられた誕生寺があります。元々ご生家は「ゑびすや」という和装小物のお店だったそうですが、いまでもこの辺りには、呉服関係のお店が軒を連ねています。

かつては生地商の屋敷であったという建物は、現在「紫織庵」として一般公開され、じゅばんや浴衣を展示、販売しています。すこし想像を巡らせば、聖人御在世当時の面影を偲ぶこともさほど難しくありません。

このように風情のある京都の町ですが、一方でわれらが東京はどうでしょう。戦争で大半の街が灰燼に帰し、区画整理がなされたことで、昔懐かしい町名や街並みはだいぶ失われたといいます。

それでも私が幼い頃は、古老たちの話の中にふるい地名が出てくるのをしばしば耳にしたものです。そんな時はなんとなく、空想の中でセピア色の景色が広がるような、不思議な感慨にとらわれたものでした。

両国のやっちゃば、佐竹の三味線堀、業平のなめくじ長屋、北割下水、南割下水、吉原と洲崎の二つの遊郭をつないだ親不孝通り等々。この他にも、神田の紺屋町などと聞くと、「花のお江戸の吉原で 廓すずめの言うことにゃ」というあの浪曲が、どこからともなく聞えて来るような気がするのです。

これらは雅な京の都に比べれば、いくぶん下世話であるものの、かつての町民たちの暮らしぶりや息遣いをしのばせる、粋な呼び名の数々です。こうした町名も、もはや地図の上にないものも多いのですが、それでも私はしつこく昔の呼び名にこだわってしまいます。

それと同時に失くしたくないと思うものがあります。意地っ張りで喧嘩っ早くて、おせっかいで涙もろくて。そんな江戸っ子の人情や心意気といったものは、いつまでも大切にしたいと思うのです。↓このブログに共感された方はクリックをお願いします。↓
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京都のお正月‏

平成二十七年がスタートしました。
雪の日京都本山では元旦会も無事に終わり、たくさんのお参詣を頂きました。この日は朝からチラチラと雪が舞い始め、みるみる内にくるぶしまで埋まる程積ってしまいました。次の日の朝は局長さんやご信者さんと一緒に、山門前の雪かきをさせていただきました。

雪かきといえば思い出すのは、佛立第二十二世講有井上日慶上人のことです。

今年と同じように大雪に見舞われたある年、朝早くから乗泉寺の境内を雪かきする一人のおじいさんがいました。

おじいさんは長靴を履き、タオルで頬かむりをして、せっせと雪かきをしています。ご信者さんが近づき、「御苦労さまです」と声をかけると、何とそれが日慶上人だったというのです。

日慶上人はその頃もう八十代を過ぎておられたと思いますが、ご自分の御体より、お参詣に見えるご信者さんのことを配慮されていたのです。

私もこうした御姿を見習って、他の人を思いやり、すぐに実行に移せるような教務になりたいと思います。

雪の日2冬は嬉しや 二人揃って雪見の酒
障子開くれば 銀世界

雪かきが終わり、京都の町を散歩すれば、端唄の文句そのままの景色が広がっていました。

みなさんはお正月、ゆっくりと過ごすことができましたか。おせちに甘酒に、白味噌のお雑煮…私はお正月料理の食べすぎで、少し太ってしまいました。

六日からは寒参詣が始まります。お互い寒さに負けず、お参詣、御奉公に励みましょう。

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災厄(さいやく)

長刀鉾先月京都では祇園祭が開催され、日本全国のみならず世界各国からも多くの観光客が訪れました。今年はこれまで廃止されていた後祭が49年ぶりに復活した事もあり、例年に増すにぎわいを見せたそうです。

そもそもこの祇園祭は平安時代、病気や災厄を払う事を目的に始まったものと伝えられています。これと同様、十月に開催される鞍馬の火祭も、災厄を鎮めるため、内裏に祀られていた神様を北方に遷した事がはじまりと伺いました。

これらのお祭りは、平和な暮らしへの祈りから生まれたもので、人々の切なる願いが込められたものに違いありません。かし、こうした宗教行事と当宗のご信心との違いをあえて申せば、そこに「罪障消滅」という考えがあるかないか、という事です。

 

生まれ変わり死に変わりを繰り返す我々凡夫は、過去世において様々な罪障を積み重ね、この世に生まれて参りました。ですから一生の間にこの罪障を少しで消滅する事が大切であるわけです。

そのためには法華経本門八品において唯一最高の久遠本仏が、上行菩薩(日蓮大士)にお手渡しになられた御題目をお唱えし、他の人にもお勧めする事。一人でも多くの悩める方をこの御題目の御力でお救いし、生まれ変わっても人助けの菩薩行に励む事。

これこそが我々人間が目指す真の生き方であり、全世界の人々にこうした思いを伝え、実行に移していただく、それが当宗の目的とするところです。したがって自己の行動を振り返り、改める事なくして、神様に厄払いのみを頼む考え方を当宗では用いません。

宗旨によりさまざまな考え方がある事を一概に否定はできません。しかし自分の命が今生限りのものではなく、過去や未来と結びついている、と考えれば、現在の境遇をいたずらに悲観することはなくなり、未来に向けて現在の暮らしを少しでも有意義な価値あるものにしようと思えるはずです。こうした考えをもっと多くの方に知っていただきたいと思います。

日々のニュースを見れば、凄惨な事件が後を絶たず、刹那的で向こう見ずな生き方の人がますます増えているように思われます。一人でも多くの方が、当宗のご信心に理解を示し、また実践していただく事を願うばかりです。

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お香のかおり

京都に来て一年が経ちますが、様々な場面で東京とは違う魅力を感じさせられます。中でも折に触れ心なぐさめられるのは、街の随所で焚かれるお香のかおりです。

お香我が国には古来より香りを愛でる習慣がありました。それがこの街で発達し、洗練された事を思えば、当然の成り行きと言えましょうが、住民の暮らしに根付いているのを見る時、改めて文化の力の強さに感じ入ります。

松栄堂、石黒香舗、林龍昇堂。香りを商う老舗は多く、店先を通るだけでも馥郁(ふくいく)とした佳い匂いに包まれます。

室町通下立売上ルの山田松香木店には、におい袋や香木のほか、伏籠や伽羅枕も展示されており、かつてのお妃、姫君たちの暮らしを偲ぶことができます。

の他、光悦や楽歴代の香合もさりげなく飾られ、小さな美術館の趣を呈しています。販売品では白檀の数珠、沈香の扇子なども並べられており、その丹念な細かい技術に驚かされます。

私はこの店の「藤壺」というお線香が好きで愛用していますが、部屋で一息つく時にぴったりの心休まる香りです。これは隣の部屋の友人も気に入り、たまにおすそ分けをしています。皆さんも機会があったら、ぜひお使いになってみてください。

「栴檀の香風、 衆の心を悦可す」 これは法華経序品に示された御文です。

良き教えは、風に運ばれてくる栴檀の香りのように、多くの 人を悦ばせる、という意味です。さらに考えますと、その良き教えは人が弘め、伝えていくものです。やはりそのためには人柄が大切になってまいります。

一度つけたら肌にしみつき、時に強い個性を主張する香水に対し、お香のかおりは実にさりげないもの。ふわりと軽く、しつこくまとわりつかず、良い印象だけを残して消えてゆきます。わが姿もかくありたいものです。

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冬は必ず春となる

佛立開導日扇聖人はその御生涯の間、三千四百余首の御教歌を遺されました。

我々教務はそれを元に御法門を作成し、毎日拝ませていただきます。したがって、開導聖人の御教歌は朝夕耳にするおなじみのものですが、これとは別に、お祖師様日蓮聖人も素晴らしい和歌をお認めになられています。

“おのづから よこしまに降 雨はあらじ 風こそ夜の 窓をうつらめ”

この御歌はお祖師様が佐渡御流罪の際、現在の新潟県寺泊にて詠まれたものと伝えられております。

「みずから折れ曲がって降る雨はない。窓を打つ雨は風の仕業であろう。これと同じように、私に迫害を加える人々は誤った教えに動かされているのだろう。だから少しも憎いとは思わない」

人に入信を勧める時。お折伏をさせていただく時。理解を得られず、辛い思いをする事はよくあります。しかし自分を笑う人、刃を向ける人にも、いやそうした人たちにこそ慈悲の心をもって、その罪障を消滅する道に入らしめること。それが真の菩薩の姿であると身をもってお示しくだされているのです。

「法華経を信ずる人は冬のごとし」

お祖師様はまた、法華経の行者の持つべき心構えをこのようにお教え下されました。そしてこれに続けて、次の様に御妙判下されています。

「冬は必ず春となる」春の空

風は暖かさを運び、ようやく長い冬が終わろうとしています。しかし世の人みなが憂いなく心の春を迎えられるには、まだまだ時間がかかります。教講共に教化折伏に邁進し、お教化の花が咲き匂うことを願ってやみません。

 
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サングリア

先月は寒参詣の月でしたが、その最終日に氷砂糖のご供養を頂きました。

これはお祖師様が配流された佐渡の氷にちなんだもので、京都本山では恒例の冬の風物詩だそうです。

友人のおばあさんは毎年これで梅酒を漬けられるそうで、私も真似してサングリアを作ってみました。これはスペインの家庭でおなじみの果実酒です。楽しく簡単にできますのでちょっとご紹介いたします。

サングリア林檎やオレンジ、キウイなど好みの果物を三、四種類それぞれ一つずつ選び、細かくカット。これを透明のポットに入れます。

その際に件の氷砂糖も大さじ三杯ほど入れ、あとはワインを注ぐだけ。一日二日置けばおいしいお酒の出来上がり。ねっ、実に簡単でしょう?

味わうだけでなく、見た目も華やかで美しく、パーティーの際など瓶ごと出せば、喜ばれる事うけあいです。使用するワインも、渋いもの、アクのあるものは向かないので、三〇〇円代の安いもので充分なのです。

フルーティーで飲みやすいので、下戸の方にもおススメです。果物が余ったときなど、是非お試しあれ。

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平安時代の信仰

源氏物語一般に読書の秋と言われるこの頃、私も知人から頂いた「源氏物語」に夢中で、ひまを見ては少しずつ読み進めております。

現在の住まいが、作品の舞台となった土地にほど近い事も相まって、感慨もひとしおです。

花鳥風月に彩られた四季を背景に、艶麗な和歌を織り交ぜて物語は進行していきます。

 

作中描かれる目も綾な装束の数々、笛の音色や琴の調べ、心ときめかす薫物のかおり。典雅な調度品や手回りの品々。きらびやかな殿上人の生活をあざやかに伝える資料として、この物語は古来より日本人の美意識に多大な影響を及ぼしてきたと
いわれております。

加えて仏教思想、因果の道理や無常観を底に秘め、また六道輪廻をめぐる人間の煩悩も描かれ、真に神秘的で奥深い、世界にも稀な文学作品である事に疑いありません。

私はこの時代の貴族たちがどのように宗教をとらえ、信仰していたのかに興味を覚え、源氏物語の各巻から宗教儀礼に関する描写をざっと拾い出してみると、実に様々な宗教行事が登場します。

崇める神仏もバラバラなら宗派も種々雑多。実にめまぐるしく、よくこれだけの行事を整理して行っていたかと驚かされます。これがやんごとなき人々の習慣であったのでしょうが、これには多くの人員を要し、莫大なお金と時間がかかり、およそ庶民には縁のない話であった事は明らかです。

一方、一般大衆の生活は雲泥の差で、相次ぐ天災や飢饉から困窮にあえぎ、道ばたには屍あまた、酸鼻を極める光景も日常茶飯事という有様です。

文豪芥川龍之介は「羅生門」の中でこうした惨状をリアルに描いています。狐狸や盗賊の棲家となった町はずれの一画で、老婆は闇夜に紛れ死んだ女から髪を抜き取ります。これをかつらにして生活の糧にするためです。そして死んで髪を抜かれている女もかつては、蛇の肉を干し魚だとだまして売って生計を立てていたというのです。

この絶望的な状況が当時の庶民の現実でした。こうした哀れな人たちを救済するための信仰はほとんどないに等しく、寺院は国の管理下におかれ、僧侶たちはいわゆる公務員の立場で、役人としての仕事に追われ、本来の役割を果たしておりませんでした。

次第に来世に望みを託す阿弥陀信仰が弘まっていくものの、現世における衆生救済を説く高祖大士がご出現遊ばされるのは、まだ先の話です。

翻って現在の私達の暮らしはどうでしょう。インターネットを使えば、必要な情報や衣食住にわたりあらゆるものが手に入る生活です。かつての王朝貴族でさえ、夏には御簾やかき氷で暑さをしのぎ、冬には火桶で寒さをふせいだそうですが、今はボタン一つでどこでも快適という贅沢ぶりです。

こうした中で、感謝を忘れわがままになり、み仏へのお敬いが薄れるのもやむを得ない趨勢かもしれませんが、こうした時代だからこそ、過去の歴史を振り返り、身の回りにある恵みを実感する事が必要ではないかと思われるのです。

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長松寺

長屋京都という町は、戦時中も他の街に比べて戦災の被害が少なかった地域です。ですから、街を歩いてもそこかしこに、古い洋館や町屋づくりの民家を見かけます。

随一の繁華街、四条河原町からほど近い、麩屋町通りに長松寺というお寺があります。

ここがまさしく典型的な町屋づくりで、とてもお寺とは思えないアットホームな雰囲気なのです。

それもそのはず、こちらは佛立開導日扇聖人が明治16年から、御遷化になられる23年まで過ごされた個人のお宅だからです。

玄関を開けると、この街特有のうなぎの寝床。奥までまっすぐに土間が続き、その横にはかまどがあり、明り取りの窓からは淡い光が差し込みます。本堂に当たる座敷の外は坪庭に面していて、表通りの喧噪が嘘のように静かなたたずまいです。

夏のあいだは、すだれと簀戸(すど)がしつらえられ、きびしい暑さを和らげてくれます。絵のお好きな方ならば、上村松園描く古都の美意識、とでもご説明すればおわかりいただけるでしょうか。

ともかく、開導聖人御在世当時のぬくもりを残し、江戸から明治の面影をほぼそのままに伝えている珍しいお寺です。

よく知られているように、開導聖人は仏教改革者としてだけでなく、書家、画家、またデザイナーとしても特異な才能をお持ちの方でした。このお寺の御戒壇も開導聖人のデザインされたもので、現在はごく一般的になっていますが、埃よけのガラスをつけた御戒壇は当時としてはとても実利的、画期的なものだったようです。

またこちらには開導聖人お手回りの品々も保管されています。猫の形をした手あぶりや、鳥の姿をあしらったすずり箱など、いずれも温かみのあるユニークなもので、洒脱なお人柄をしのばせる品々です。

もう一つ面白いものに、携帯用の法鼓(お看経中に打つ太鼓)があります。この法鼓を打ちながら、題目行列で御講席から御講席を移動したと伝えられています。騒音の苦情などない時代の、何とものどかな光景ですが、それと共に当時の佛立宗の熱意と活気とが伝わるエピソードでもあります。

いずれにしましても、このお寺で開導聖人が様々な御指南をおしたためになり、それが現在の私達の信心の指針となっている事を思えば、感慨もひとしおです。

本堂信者席の上には、御教歌がしたためられた扁額が掲げられています。
「草がくれ ながるゝ水も せかれては 世にありがほに 音たてぬめり」

草に隠れるような細く小さな水の流れも、何かにせき止められると、ここに小さくても小川の存在があるぞ、とばかりに音をたてるようになるようだ、という意味になります。

せかれては    → 人生に待ち受ける様々な障害に邪魔されても
世にありがほに → 世の中に恥じることなく堂々と
音  たてぬめり → 菩薩としての生き方を貫いていけばよい

ただの風景を謳っているようでも、その奥には「この先も様々な困難にぶつかるだろうが、み仏の御教え通り正直にまっすぐに進んでいこう」という開導聖人の深い洞察があり、人の生きていく姿に置き換える事ができるようです。

この扁額を拝見しながら、開導聖人から無言の励ましをいただいたような気がして、改めて教務として生きていく決意を新たにした次第です。 

※この記事を書くにあたって、長松寺の皆様よりいろいろなお話を伺いました。ありがとうございました。

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暑さに負けず

盛夏の候、いかがお過ごしでしょうか。先日は本山宥清寺において開導会が勤まり、無事円成いたしました。

この日は不思議な陽気で、座の途中途中に3回も豪雨に見舞われたのです。雨の後はからりと晴れて、晴間が見えるのですが、またしばらくすると雨になり、また晴れて、また降っての繰り返し。山の天気は変わりやすい、といいますが、盆地である京都はしたがって、山の天気に左右されるようで、こんな空の気まぐれや悪戯に戸惑う事もしばしばです。

4月には何度も狐の嫁入り(晴れているのに雨が降る)に見舞われました。6月は梅雨の為、雨降り続きでしたが、さて今は見事な入道雲の美しい夏の空です。入道雲といえば、京都には独特の3つの呼び方があるそうです。

一つは丹波太郎、二つ目は山城次郎、三つ目は比叡三郎です。
丹波太郎は、北西の丹波方面特に愛宕山周辺に発生する雲。
山城次郎は東南の奈良盆地で生まれ、京都にやってくる雲。
比叡三郎は東北の比叡山一帯で生まれる雲ということで、それぞれ地名を冠して名づけられ、兄弟になぞらえているのです。

このようにユーモラスな入道雲ですが、時にはかんしゃくを起し、大暴れをすることもあります。ちょうど先日の開導会の夕方がそうでした。いにしえ人が天神を恐れたのも、むべなるかな。飛び上がる程の轟音が鳴り響きました。

後日、ご信者さんSさんとその話になったとき「あれはウチの前の電柱に落ちたんよ」といわれ、吃驚仰天。高い建物が少ない街ゆえ、民家に雷が落ちてくる事も珍しくないそうです。しかし、この日Sさんは御奉公が長引き、たまたま自宅におらず、難を逃れたという事で、一時的に電話やテレビが不通になっただけで済んだそうです。いつも熱心に、明るく御奉公を楽しむSさんの信心前が、このお計らいに通じたのだと思います。

余談ですが、別のご信者は、両隣が火事になったとき、そこのお宅だけが助かったそうですが、その状況を見ていた近所の子供が、「お坊さんが屋根の上に乗って、おっきな団扇であおいどった」と言ったそうです。子供があんな状況で嘘をつくはずはなし、これが御法様のお護りというものか、と随喜したという事でした。

世の中なにが起こるかわかりませんが、真面目にご信心を貫く人には必ず御利益が頂けます。そしてその御利益はその人その人の気持ちの強さに応じて変わります。どうぞお互い、支障なく御奉公ができる日々が送れますよう、まずはこの暑さに負けず、夏期参詣に気張りましょう。

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絞り工芸を見学して

疋田絞り先日、二条城近くの「京都絞り工芸館」へ見学に訪れました。着物をお召しの方はご存知でしょうが、絞り染めというのは、糸などで生地をくくったり、染めたくない部分に染料が入らないようにし、高温に沸かした染料で色を染めて仕上げる、という非常に手の込んだ日本の伝統工芸です。

館内にはさまざまな作品が展示されていましたが、私が特に感銘を受けたのは、疋田鹿の子(ひったかのこ)の手絡(てがら)でした。手のひらに収まる、ほんの小さな作品ですが、実に微細に丁寧に作られていることに驚かされました。


この手絡は、歌舞伎俳優の中でもひときわ審美眼の高い、板東玉三郎さんのお眼鏡にかなったものだそうです。この手絡をふんだんにあしらい、傾城八ッ橋(けいせいやつはし)などを演じる玉三郎丈は無類の美しさだそうですが、こうした役者たちの髪飾りひとつにも意地をかけ、魂を注ぐ職人さんたちの存在もまた忘れてはならないものだと思います。籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。世の中のどんな事も、縁の下の力持ちがいて結実する事を、改めて知らされた思いでした。

こうした小さな作品の一方で、非常に大きなものもあります。中でも圧巻だったのは、京都の春夏秋冬の風物詩を、それぞれ四枚の布に描き出した巨大な几帳(きちょう)でした。夜桜にかがり火、月あかりに照らされた紅葉などを色とりどりに染めあげたもので、夢幻的、神秘的な雰囲気さえ漂う見事なものでした。こうした力作、大作になると、一朝一夕には仕上がらず、一年半から二年という長い時間が必要になるそうです。

説明をして下さった吉岡さんによると、この絞り染めという仕事は、ひとりではなく、多くの人の手を経て、完成に至るものだそうです。

まず職人さんたちがアイデアを出しあい、デザインする所から始まって、下絵を描く人がいる。次には型紙を掘る人がいる。さらに絞る人、染める人がいて、染めあがった布をほどく人がいる。その他多くの人の手を伝ってようやく美しい一枚の布が出来上がるというのです。多くの技術者たちが、それぞれ長年の勘を頼りに自信と誇りを持って仕上げていく総合的な仕事で、こうしたチームワークと、手仕事のぬくもりの中に、美しさの秘密がある、と語っておられました。

私はこのお話からも多くの示唆を与えられました。

・良いものを作る為に、手間暇を惜しまない事。
・一つのものを完成させる為に力を合わせる事の大切さ。

これは、私達信者にもあてはまる事で、一人ひとりがそれぞれの場所で分相応の力を発揮してこそ、よい御奉公も成り立つのものです。

一口にお参詣と言っても、早起きし山門を開ける人がいて、御宝前のお給仕をする教務がいる。そしてお看経を勤められる御導師がいらっしゃり、傍らには寺内のお掃除に励む御奉公者がいる、その方たちの為にご供養を作られるご婦人方の存在もある。

このように見ていくと、私達一人ひとりが大きなパズルのピースさながら、それぞれに役割を担っており、何事も自分一人の力ではない事を痛感します。

人は多くの人の支えの中で生かされております。こうした恵みに感謝をして、自分もまた、この世の中を美しくするため、少しでもお役に立つべく、仏様から頂いたお役目を全うしたい、そんな事を考えました。

※疋田鹿の子(ひったかのこ) 鹿の斑点模様に似せて、隙間なく絞った精緻な技法)
※手絡(てがら) 日本髪を結う際に、髷に巻きつけ飾る布
※傾城八ッ橋(けいせいやつはし) 歌舞伎の演目、籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとのえいざめ)に登場するヒロイン。
※几帳(きちょう) 平安時代以降公家の邸宅に使われた、二本のT字型の柱に薄絹を 下げた間仕切りの一種。
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京都の味

にしんそば高校時代、修学旅行を目前に控えたときのことでした。先生から「向こうへ行ったら、ファーストフードやコンビニで安易に食事を済ましてはいけない。高いものでなくてもよいから、地元のおいしいものを食べてくるように」と教えられました。

「暮らしを支える衣食住の中で、変遷を免れない衣服や住まいに比べ、食べ物は形の上で最も残りやすい。だから、そこの名物を口にすれば、その土地の歴史を舌で感じる事になる。また食べ物は、その土地の人々の好みや気質を直裁に反映するものである。したがって土地のものを口にすれば、味を通じて地元の方と感覚を共有することができる」というのがその御説の骨子でした。 

英単語、微分積分いずれも記憶のかなたですが、こうした話は妙に印象に残るもので、いまも旅先においては実行している恩師の教えです。 

さて、所変われば品変わるもの。三十年以上関東の醤油味に慣れた舌には、この土地特有の塩出汁の味が新鮮に感じられます。

食堂のおかあさんの作ってくださる切り干し大根も、あっさりと白く、京都南座横の老舗「松葉」で頂いた「にしんそば」のお汁も、透き通って上品な色合いでした。一見さらりとしていますが、しっかりとコクがあるのが特徴です。

また名物の豆腐料理も、店先に豆乳や豆腐ヨーグルトなどを並べており、気軽におやつにできるのもうれしい事です。豆腐や油揚げも、おかずの中でさりげなく存在感を発揮しています。油揚げと人参の細切りを白和えにしたのや、歌舞伎「葛の葉」に由来する信太巻なども、この地方に根付いたお惣菜のようです。

勉強に来たのに、食べ物ばかりに目移りするのが凡夫のいやしさ情けなさですが、こんな事からでも、京都の息吹をみなさんに感じていただければ幸いです。

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