パプアニューギニア慰霊法要報告

過日に行われたパプアニューギニア(以下PNG)慰霊法要についてご報告させて頂きます。

成田出発前 成田荷物終戦70周年という節目の年にあたり、本年は宗門各寺院でも慰霊法要が営まれることと存じあげます。それに先立ち、第5支庁の有志により、この度慰霊団参が企画されました。

papua風景1papua風景2

 

 

 

 

 

1月17日より24日までの一週間、寒参詣中の団参という強行軍でしたが、宗内より7名、宗外者から1名の参加を頂きました。内、乗泉寺からは4B信徒・O.M氏、K.K師、私の三名が参加させて頂きました。

papua法要papua法要PNGは赤道のすぐ南に位置しており、日本から直行便で約6時間30分の距離にあります。オーストラリアのすぐ北にある、世界で2番目に大きな島、ニューギニア島の東半分をはじめとする600の島々からなります。国土面積は日本より若干ひろく、人口は約500万人といわれます。

papua法要PNGは1975年にオーストラリアより独立、常夏の島で四季はなく、雨期と乾期に分かれ、年間気温は21~32度で蒸し暑い。日差しがとても強く、現地人は黒人で、500を超える部族が、850以上の異なる言語を使物し、未開のジャングルの中で生活する人々も多いようです。物価は日本とほぼ同じぐらい。イモ類が主食で、海岸沿いは魚が豊富。バナナの木や椰子の木がそこら中に生えていて、陸地はほぼジャングルで緑一色。海辺は青空と相まって青一色。

南太平洋最後の楽園と言われるこの島が、第二次世界大戦中には激戦地となったのでした。こんなにも美しい島で戦争が行われていたとは…。大東亜戦争という捉え方は人それぞれ違うモノでしょうが、とにかく戦争によって悲惨な思いをした人がたくさんいらっしゃったわけで、戦争は絶対に許されないことだとあらためて痛感しました。

papua戦闘機パプア戦闘機

papua海岸法要

PNGに上陸した20万名の日本軍将兵のうち、生還者は2万名に過ぎなかったそうです。今回の慰霊団参は、中でも多くの戦死者がでたウエワク、マダン、ラバウルの三カ所を中心に、25カ所をまわり21カ所で法要を執り行いました。

日本軍基地跡地法要飛行場跡

 

 

 

 

 

日本から御弘通御本尊をお供し、カメラの三脚を改造したお戒壇を設置、お線香とお蝋燭をお供えし、その前にお盛り物台を用意して、日本から持参したお酒やお煎餅、お茶菓子、団参者が握ったおむすび、お味噌汁など、飢えに苦しまれた兵隊さんへ、お供えしてまいりました。

おにぎりお供え物

 

 

 

 

 

また、第五支庁をはじめ、乗泉寺教講よりお申し込みを頂いた御塔婆は、法要の際に御宝前へお供えさせて頂き、その後、海中へ沈め、地中へ埋めることにより、当地の追善供養をさせて頂きました。皆様より多大なるお志を賜りましたこと、紙面をお借りして御礼を申し上げます。ありがとうございました。

お塔婆

 

 

 

 

 

私事ですが、私の祖父も戦時中ラバウルへ来ていました。出征前には日歓上人より「これで弾がよけていくよ」と懐中御本尊を賜っていたそうです。中国大陸を経てPNGへ赴き、マラリアや赤痢や飢餓に苦しみ、ラバウルにては所属する部隊が全滅する中、一命をとりとめられたとのことです。今回の慰霊団参では、その悲しみの地にも赴き、祖父の分まで戦友方の英霊にご回向をさせて頂けました。きっとお爺ちゃんも喜んでくれているだろうと思い、感慨深く、有り難いご奉公をさせて頂けました。

水塔婆

 

 

 

 

 

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お引っ越し

冬景色

今年の12月は例年よりも寒いような気がしますが、皆さん風邪などをひかぬようお体を大切にして、明年も良いお年をお迎え下さいませ。

26日、教務部では年末の大移動がおこなわれました。

11月に辞令のでたお教務さんは、この日にそろってお引っ越しです。

今年は、K師が東北のお寺へ移籍をされました。やはり今まで一緒にご奉公していたお教務さんが乗泉寺から去ってしまうのは寂しいモノです。

私も以前に地方のお寺へ出向することがありました。教務の世界ではお師匠の命令によって色々なお寺に出向し、その土地土地によって様様な御奉公を体験させていただけるわけで、それが自分にとっての幅を広げる大事な修行になるものです。

お寺で数多の先師先輩から様様な指導を受け、その土地の伝統とかご奉公のすすめ方を学ばせて頂くことによって、自分のそれまでの価値観が打ち破られて、新しい目線を体感できるものです。

もちろんお互い凡夫ですから、意見の相違とか摩擦があるとしても、色んなご因縁をいただいて自分を成長させることが出来るわけですから、そういうことも含めれば実に有り難いことだと申せるのかもしれません。

仲間のお教務さんが新しい境遇の中にはいって、色々と苦労をされながらご奉公にあたっていることを思い、渋谷に残ったメンバーもますますご奉公に励んでまいりたいと思います。どうぞ来年もまた乗泉寺のHPをご覧いただけたら幸いに存じます。

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心のゆとり

昨日、乗泉寺の高祖会も無事に奉修され、今年の主な寺内行事が終わって、とりあえずホッと一息ついています。とはいっても、教区の方では高祖大士ご尊像のお綿かけがあったり、寺内でも人事異動や役務交代といったことがあるので、来年にむかってまだまだ忙しい日が続きそうです。

ところで私達は日々の生活が忙しくなると心のゆとりがなくなるせいか、ついつい声を荒げてしまうようなことが多くなってしまうものではないでしょうか?仕事に忙殺されて職場の仲間にきついことをいってしまったり、家事や育児におわれて家族につらくあたってしまうなど、生活がドタバタしてくると、人間はどうも心が狭くなってしまうようです。

友社会の中で生きていく上には、家族とか友達とか同僚といった存在ほど有り難いものはなく、どこまでいっても人間は一人で生きていくことなどできません。

周囲の支えによって個人が生かされているわけで、そういうことを基本として考えれば、周囲に支えられている分だけ、自分も周囲を支えなければ、いつか誰からも相手にしてもらえないような状況になりかねません。

御経にはおおまか六通り「良い友」ということについて説かれてあるので、簡単にご紹介いたします。(パーリ増支部)

①人が困っている姿を見ては、親身になって助けてくれる人
②苦しい時も楽しい時も、いつも一緒に励まし合える人
③相手に良くなって欲しいという思いから、厳しいことでも惜しまずに忠言してくれる人
④人の感情を良く汲み取り、相手の立場になって同情してくれる人
⑤不真面目にならないよう注意を与え、常に正しい方へと導いてくれる人
⑥相手が秘密にしたいことを暴こうとせず、陰ながら心配してくれる人

私自身も反省しなければいけないことばかりで、自分のことのみを心配するあまり、周囲の状況が見えなくなってしまう、そんなことが多々あるように思えます。どんな理由があっても、いくら忙しくても、周囲への思いやりが失われてしまうようなら、それは単なる自分勝手ということなのかも知れません。

自己中心的な生き方をちょっとずつ改めていくところに、より大きな価値観が見いだされてくるというのが、仏道修行であるかと存じます。心のゆとりを失ってしまったばかりに、他の大事なものを見失うことがないよう、毎日の修行に いっそう励みたいと思います。

 

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教えられないこと

どんなにすぐれた教えを頂いても、それを本気で受けとることができない人は、「犬に論語」、「猫に小判」と同然です。先生や親御さんがいくら一所懸命でも、生徒や子どもに教わる熱意がなければ、どうしようもない場合も多くあります。

だいたい先生や親御さんだって神様や仏様ではないのですから、一から十まで何でも指導してくれるはずもありませんし、どうしたって教えにくいことだってあるはずです。何とも言い表しようのない微妙なこと。言葉にすると誤解を与えかねないこと。立場上言いにくいことなど。相手の状況に照らし合わせて、時期尚早と判断されることもあります。

そもそも日本では昔から「教えない文化」というモノがありました。例えば職人の世界などでは、師匠の元に弟子入りしたら、最初は下働きの雑用しかさせてもらえません。そういう丁稚奉公を数年経て、言いつけを素直に守れるようになってから、ようやく責任のある仕事を任されてくる。

それでも技術的なことは簡単に教えてもらえず、何度も怒られながら身体で仕事を覚えさせられたわけです。そうやって、自分の至らないところをいつも突きつけられていたら、自ずと用心深く、ひかえめで、つつしみ敬う心が育まれてくるはずです。

ご信心でも同様に、言葉で教えられることと、教えにくいことがあります。御法様に対するお敬いの気持ちとか、ひかえめで謙虚な心とか、周囲に対する気配りなどは、ご信心ご奉公をさせて頂く中で、ちょっとずつ身につけていく素養です。これらのことは自分自身で感得して頂かないと、どんなに説明しても心から納得されるものではありません。

ですから、普段から一緒にご奉公させて頂く仲間の中でも、御宝前に対するお敬いにかけているとか、ちょっと横暴で出しゃばりが目立つとか、不注意な言動が余りにも多い人などには、キッチリそれはダメだとお折伏をさせて頂く。我々の言葉でお折伏ができなくても、ちょっと御看経が足りないんじゃないの、もっと御法様におすがりしてみればと、仏様のお力で相手をよくしていくのが、仏立の信心なのです。

そうやって、何度もお折伏を受けていくうちに、自分の身体で御宝前の大事さを覚えていくことで、私たちの心の中に謙虚、慎重、誠実、敬畏というすぐれた美徳が備わるものです。

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共通点

近頃、自分の性格や内面性といったものの中に、両親との共通点を発見することが多々ある。 

これまで私は、心のどこかで自分は自分、決して親のようにはならないぞと意地を張ってきたつもり…。ところが近年、ふとした瞬間に、自分の考え方や行動などを省みると「俺ってば父親そのものじゃない」と気付いて苦笑いしてしまう瞬間がある…。

「血は争えない」とか「蛙の子は蛙」なんていうけどホントだなと痛感する時、自分の行く末をリアルに垣間見るようで、何だか複雑な気持ちになってしまう…。

まー普通に考えたって、両親のDNAを半分ずつ引き継いでいるわけだから、外見も似れば内面だって似ていて当然。ましてや、自分の幼少期に一番身近で強く影響を残したのは間違いなく両親。

「三つ子の魂百まで」ともいわれるし、その昔に子供の私を育てていたときの、「両親の性質」がそのまま「私の性質」となって、魂の奥深くに根付いてしまっているのかも知れない。

自分という固定観念を離れて、家族という価値観に視点を変えてみると、今まで見えなかった過去の繋がりが見えてくるもの。きっと両親の性格や特徴なども、お爺さんお婆さんの影響を受けているだろう。その前には曽祖父と曽祖母の影響があるはず。

こういった考えをさらに突き詰めてみると、天文学的な影響が、私を支配しているように感じられる。すると、そもそも独自的な個性なんてものがあるのか?或いは血族特有の個性しかないのか?何だか分かったものではない…。

そのように、私という個人の中に善くいえば過去の遺産、悪くいえば過去の怨念が蓄積されているわけだ。現在の自分の存在は、遠い過去の集積であり、遙か過去の集大成が今ここにあるといえるだろう。

もちろん、凡人の私などには遙か遠い過去を知るのは無理なこと。だから、両親の存在を自己の中に認めるくらいのことしかできない。でもきっと、人は鋭敏であればあるほど心が透き通っていればいるほど、過去の存在を直視することができてくるはず。その最たる人がみ仏であって、永遠の過去を知るという。そこには一体何が見えてくるというのか…。

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納涼祭・バンド紹介2

今年の納涼祭では「comSo」というバンドで私もステージに立たせて頂きます。

そもそも友人が一年ぐらい前にバンドを結成して、色んなキッカケがあって私も仲間に加えて頂いたのですが、実は今回のライブが「comSo」の初ライブということで、その記念すべきライブが世田谷の納涼祭になったことを、とてもうれしく思っております。

Earthsound_Kalimba
comSoの特色をちょっと紹介させて頂きますと、演奏に使われるエレキカリンバはメンバー手作りの楽器です。

カリンバというのは親指ピアノともよばれていて、箱に並んだ細い金属棒を弾いて演奏するアフリカの楽器ですが、友人が作ったカリンバはピックアップ付きの電気的増幅可能なタイプです。

納涼祭では高音と低音の二種類のエレキカリンバを使い分けます。それぞれにエフェクターをつかって、色んな音のカラーをつくりだしていくと、音の渦がグルグルグルグルグルグル動き出してきてます。その音の渦に、尺八、ギター、和太鼓などの和音を重ねていくと、色んな音が混ざり合っちゃってカオスになる、というようなイメージでしょうか…。

自分でもどういう風に表現すれば正しいのかよく分かっていませんが、とにかく気持ちの良い音楽であることは間違いありません。

メンバーは自然が大好きという人ばかりで、自然界の美しい音色をモチーフにして曲作りされています。山や、谷や、風や、滝や、雨音や、木の葉の揺れる音とか、動物や昆虫の鳴き声など、やっぱり自然の音って素晴らしい魅力がありますし、受け止め方によってはスゴイ癒し効果もあるわけで、それを楽器で表現して人にも伝えたいというのが、comSoの理念というかメンバーの目標です。

ですから納涼祭でも、自分たちが音楽をナテュラルに楽しみながら、お客さんとも一緒に気持ちよくなれるよう心がけたいと思っています。自然の中でリラックスするような感じで音楽そのものに溶けこんで楽~に聴いていただきたいと、そんな風に願っております。

comSoのライブを聴いてみて、皆さんがどうお感じになられるか気になるところですが、もしもお気に召すようであれば、今後、8/24(日)奥日光中禅寺湖畔でライブ、9/13(土)渋谷乗泉寺の敬老お祝い式でライブをさせて頂くことになっておりますので、ぜひそちらにも来て頂けたらうれしく思います!

練習風景演奏に関して、私自身はズブの素人ですが、友人たちの後押しをいただいて、音楽の楽しさとか美しさというものを、ちょっとずつ学ばせて頂いております。
当日のライブを心から楽しめるよう、もっとしっかり練習しなきゃと、自分を鼓舞している今日この頃です。

出演時間:3:45~4:15
バンド名:comSo

下写真:中禅寺湖畔
撮影:comSo member T.A

comso ポスター

 

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音の森シンフォキャンバス

昨日はお伝えしきれませんでしたが、田口さんのスピーカーはBlueNote東京、横浜Blitzなどにも導入されているそうで、それだけでも超一流の音だということがお分かりいただけると思います。ひとしきり、田口さんのスピーカーを試聴させていただいた後には、
「音の森シンフォキャンバス」という音響システムの試聴会にも参加させて頂きました。

音の森1音の森2

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらでも、世界で活躍されている音響のスペシャリストのお方が、
「平成14年頃より、ヘッドフォン・ステレオや携帯電話のダウンロード音楽再生などがもたらす、矮小化された音楽の聴かれ方に危機感を覚え、本当の音楽の心地良さをあらためて見つめるべく音楽の再生音場の“空気感”に徹底的にこだわり、新しい音空間を表現する音響システム『シンフォキャンバスR』を提唱(HPより抜粋)」(http://www.symphocanvas.com/

ものすごいこだわりの音空間を体験させて頂きました。一時間半におよぶ驚きの連続だったのですが、中でも一つだけ取り上げてご説明させて頂きます。

音の森体験中なんと75人編成のビッグバンドに一本一本マイクをセッティングして録音されたそうです。その音源を、田口さんのスピーカーが森林のように立ち並ぶ部屋の中で、一つひとつの音を、一つひとつのスピーカーから再現しているのです。

つまり75人のバンド演奏を、その真ん中で聴いているのと同じ環境です。そこをコーヒー片手に自由に歩きまわったりできるんです。いや~こんなぜいたく他では考えられないことです。文章じゃあ、この喜びは伝わらないと思いますので、ぜひ皆さんにも体験をお勧めをさせて頂きます。

音の森体験中

それにしても、普段おであいできないような超一流の専門家から、色んなお話を伺えたことが何よりの喜びでした。

「目から鱗が落ちる」と申しますが、その道のプロから「音」の本質について教えを受けたわけですから、我々のような音痴でも少しは音の理解が深められたように思います。

お伺いしたお話の一つひとつを大事に頂戴して、今後のご奉公の糧にさせて頂きます。合掌

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田口スピーカー

先日、同僚のお教務さん達と一緒に江東区の新木場に行ってきました。お目当ては、
田口造形音響さんのスピーカーシステムの視聴と、「音の森シンフォキャンバス」という音響システムの試聴会。

音楽マニアの友人から田口スピーカーさんのことを聞いたのがキッカケで、今までのスピーカーとはまったく違うから、自分の耳で確かめてみた方が良いといわれました。

ご存じのように、仏教の儀式でも音というのは大変重要なパートにあたります。当宗の信心修行の基本である御看経は、南無妙法蓮華経を繰りかえしお唱えして、仏さまに声のご法味を捧げるわけです。また、法鼓や拍子木などの仏具は、御看経のリズムを一定に整えて、人々の心をひとつにまとめ上げたり、心の雑念を払うためのツールとして活躍します。

それに、仏様の教えを伝える御法門も、声を通じて、人の心に響いていくわけです。先師は「声仏事を為す」と仰せであり、いずれにしても音というのは仏教にかかせないモノです。そうしたわけで、お教務さんの中には音にこだわりをもった人が多くいますし、私自身も勉強のために足を運ばせていただきました。

いざ工房にうかがって、新型のスピーカーで音楽を聴かせてもらうと、確かにビックリするほど音の聞こえかたが違いました。

田口スピーカー1まず、驚かされたのがスピーカーの存在を感じないことです。目の前に設置された二つのスピーカーから音がでていると分かっているのに、その空間の全方向にスピーカーがあるように聞こえてくるから不思議です。空間全体に音がみちみちていて、体が包みこまれている感じです。

一緒に行った先輩も「音が耳から聞こえてくるのではなくて、音の波動が身体を突き抜けていくようだ」と仰っていましたが、確かにその通りで音のシャワーを全身に浴びているように感じるのです。

また、スピーカーのスペックは当然すごくて、再生可能となった音域のひろさにも驚きました。超低音でも音割れしないでクリアーに響き、超高音も心地よい鳴りで伝わってきます。お立ち会い頂いた専門家のご説明では、「楽器が表現する音をそのままリアルに再現することが可能になった」そうで、新型スピーカーの幅広い表現力、音のクリアーな心地よさは、素人が聴いても十二分にその違いが分かるほどです。

田口スピーカー2また、田口さんより「スピーカーから距離を置いて聞いてみると違いが分かるよ」と言われ、確かめてみますとこれまたビックリです。

普通なら、スピーカーから離れれば離れただけ音が濁ってしまうはずですが、田口さんのスピーカーの音は離れてきいても音のクリアーさが変わりません。

曰く「音の波面が崩れない」のだそうです。人の話し声の入ったCDを聴かせてもらったのですが、どの位置できいても耳元で人が話しているようにきこえてきます。理屈ぬきにすごいと思いました。

仮に、このスピーカーが本堂で使用されたなら、御看経でも、御法門でも、ご披露でも、言上でも、どういう聞こえ方になるんだろうかと想像して、一緒に参加して下された同僚と興奮してしまいました。

聞きかじった話ですが、従来のスピーカーですと、紙で作られたコーンという部分が音の波面を作り出すそうで、これは100年ぐらい前に開発されたシステムとのこと。田口造形音響さんの新型スピーカーは特殊な板をつかって音の波面を作りだすそうで、従来のスピーカーとは全く異なる音の波面を造りだすことに成功されたのです。

これまで100年間ズーッと変わらなかった、いや変えられなかったモノが、田口さんの開発によって歴史が塗り替えられたわけですから、本当にすごいことだと思います。

「百聞は一見にしかず」と申しますように、色々書いてきましたけど田口スピーカーの凄さは言葉で説明するのが難しいです。ぜひ一度、ご自身のお耳で確かめられることをお勧めいたします。「音の森シンフォキャンバス」については明日またアップさせていただきますのでお楽しみに。

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仏様のお徳

信心の徳というのは、仏様のお心と私たちの心がピッタリと繋がって、初めて頂戴できるモノです。私達が御題目を唱え重ねた分だけ、信心のパイプラインが太くなり、仏様のお慈悲が上から下へとより多く流れてきます。

貯水タンクの水はパイプがつながっていれば、自ずと下の階へ流れていきます。蛇口をひねって水が出てくれば、パイプがしっかりつながっている証拠です。それと同じように、口唱折伏によって妙法の蛇口をひねれば、現証という仏様のお慈悲が流れてきます。信心のパイプがチャンと仏様のお心に届いていると、現証という確かな証拠として分かるのです。

妙法のタンクにどんな中身がこめられているのか、そんなことは知らなくても良いわけです。自分の身体でゴクゴク現証の味わいを楽しめば、妙法の功徳がスーッと身体に染みこんで、心の渇きも癒やされるわけです。即ち、現証のご利益を目の当たりにすれば、妙法の妙味たるその味わいを覚えて、同じく有り難さをしるキッカケともなり、つまるところ、御題目を信じないわけにはいかなくなります。

現証のご利益が実際に顕れれば、それが人の迷いを吹き飛ばすお折伏になって、仏様のお徳でお教化にもつながっていきます。お互い凡夫がいくら頭をつかって足りない知恵をしぼっても、とうてい仏様のお考えは理解できないのですから、素直な信心で、妙法の功徳におすがりすることが大事なのです。

私たちは現証の御利益を感得することによって、仏様のお徳をそのまま頂戴できるのですから、信心のパイプをつなぐ口唱折伏行にたゆみなく励まなくてはならないのだと感じる今日この頃です。

 

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大人入り

五月も半ばを過ぎて日中に外を歩いていると、じんわり汗がにじみ出てくるようになってきました。乗泉寺の境内ではゴールデンウィークあたりから筍が生え始め、「竹の子の親勝り」というように、今では古参の竹と変わらぬ背丈に成長しました。

ところで、今春から生活環境が大きく変わった人たちにとって、ゴールデンウィーク明けのこの時期は、「五月病」という病名があるように人生の分岐点になるようです。

意気揚々と新生活に期待をしていた分だけ、社会の厳しさを目の当たりにすると、自我と現実にギャップが生じて環境に適応できず、心がくじけそうになるというのも想像に難くないことです。

新しい環境になって自分のアイデンティティーを問われた時に、これまで自分がどれだけ周囲の助けを受け、家族や友人などに心を支えられていたか、ひしひしと身に染みるのではないでしょうか。

けれども、私達はそんな現実の中で、どうにか自分の立ち位置を見つけ、新しい因縁を大事にしていかねばなりません。

人間は外からの因縁によって幸せにも不幸にもなるものです。自分の因縁をどのように受けとめるかによって、私達の人生がガラリと変わって、良くも悪くもなっていきます。

人との出会いもその一つで、学生時代に良い先生と巡り会えたお陰で、世間から不良少年と言われていたような人が、たちまち更生できたりする。それは不思議なご因縁としか言い様のないものですが、良い因縁に巡り会えるということは、かけがえのない財産を頂戴しているのと同じことだと申せます。

凧揚げをする場合などもそうですが、ただ力任せに糸を引っ張っても、糸が切れるか地に落ちるかで、風の力を借りなければ凧が揚がらないように、私達もあまり我を張ってわがままな生き方をしすぎると、肝心な因縁の糸が断ち切れてしまうわけです。

人生の進み方が無軌道になってしまえば、自らの愚行によって自らを地におとしめる、ということになりかねません。そうした意味でも仏教では、因縁を大事にしなければならない、といつも教えられるのです。

今まで育んできた人間関係はもちろん大切にしなければなりませんが、同時に、新たな人間関係を築きあげていくことによって、そこからまた、無限の可能性がひろがっていくわけですから、あまり悲観的になりすぎないで、心を前向きにもちたいものです。

「竹の子の親勝り」というように、厳しい社会の中でもまれていけば、大人入りもすぐ間近でしょうか。お互いにがんばりましょう。

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青年会スキー報告

湯沢寺参詣 3月22、23日と青年会スキー錬成会に便乗して湯沢に連れて行っていただきました。温泉と聞いては居ても立ってもいられず、ついしゃしゃり出てしまいました。

インフルエンザの流行などで多少欠員も出ましたが、21名の青年会員が参加してくださり、和気あいあいと楽しい時間を共にすごせたと思います。

特に、今回は春休み中ということもあり、4月から、中学生になり青年会の仲間入りをする子、大学を卒業して社会人デビューする子、青年会を卒業して乗泉寺に入寺する子など、参加者の層がバラエティーに富んでいました。

人生の岐路にあって落ち着かない時期だとは思うのですが、御題目のご信心でつながった仲間と一緒に、束の間の休息を楽しんでくれていたようです。

また、今年の成人式に来てくれた子が3名参加してくれて、そのうち2名は成人式で初めて青年会と交流してくれた子でした。他にも、青年会でよく御奉公してくれている女の子が旦那さんをつれて参加してくれて、新しい出会いがたくさんありました。

湯沢スキー一つ一つの御奉公の中でご縁が結ばれ、仲間の輪が広がっていくのを実感する時こそ、御奉公の嬉しさをジワーッと感じられるものです。

春のこの時期は新しい仲間との出会いがあり、新たな因縁が芽吹いて心ときめく季節です。春ならではの喜びともいえるでしょうか、そんな楽しい一時のご報告です。

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後続者育成チェックポイント

先日、寒参詣の日曜大会③の「法灯相続チェックポイント」についてアップいたしましたが、今回は「後続者育成チェックポイント」を掲載させていただきます。皆さんどれだけ後続者の育成御奉公に力を入れているでしょうか? ◎をつけておためしあれ。

「後続者育成チェックポイント」

1,後続者育成のご祈願をしていますか?

2,教区、部、班内で相談をしていますか?

3,お講師にご相談していますか?

4,お寺参詣お講参詣をおすすめしていますか?

5.口唱をおすすめしていますか?

6,お助行やお講席主を受けて頂いていますか?

7.ご奉公の将引をしていますか?

8,他寺院の団参をおすすめしていますか?

9.ご奉公上の悩みをよく聞いていますか?

10,ご奉公を大勢のご信者に分担していますか?

11,ご奉公上の失敗談をよく聞いて、対応していますか?

12,ご奉公者の面子を失わせない配慮をしていますか?

13.よく意思の疎通をはかっていますか?

14,ご披露や、お助行導師役をして頂いていますか?

15,役中の入り口、班長、班長補佐(副)のご奉公をして頂いていますか?

16,講習課、教養講座の参加をおすすめしていますか?

以上、いかがでしたでしょうか?たくさん◎がついた人は、部内班内の将来についてきちんと考えを持っている人です。◎が全然つかなかった人は、育成の項目を実践してみてください。

御奉公は自分だけがしていれば良いというものではなく、より多くの人にお手伝いをいただく方がよいのです。仏様の教えをまもって御題目を中心に生活を営み、仏様にお仕えさせていただこうという気持ちが強まれば、必ずその人の将来が明るくなっていくモノでございます。

余談ですが、教務部内でも後輩の育成をさせていただいておりますと、育成の難しさを痛感すると共に、自分の至らないところを逆に気付かされるモノで、《人を育てることが自分を磨くこと》だと実感させていただけたりもします。お互いに、育成御奉公を通じて自他の心を磨く信心修行に励ませていただきましょう。

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法灯相続チェックポイント

親子の信心去る1月26日(日)、第三回目の日曜大会が教務部の担当で行われました。内容は、後続者の育成と、法灯相続の確立についてでした。

「後続者育成チェックポイント」、「法灯相続チェックポイント」と題して分かりやすく項目わけしてご説明いただきました。

今回のブログでは「法灯相続チェックポイント」を掲載いたしますので、皆さんもどのくらい◎がつくか、ぜひ挑戦してみてください!

《法灯相続チェックポイント》

1.法灯相続のご祈願をしていますか?

2,子供が小さい時からお寺、お講に連れ参りして自然とご信心になじむようにしていま   すか?

3,親の信心前が大切で、かげひなたなく信行ご奉公に励み、子供に信行相続させたい気持ちを持ち続けていますか?

4,くんげ会、青年会、あゆみ会に参加させ、ご信心をしっかり植えつけて頂いていますか?

5,教養会参加のため、ご信者から声をかけて頂いたり、お助行を受けたりしていますか?

6,ご信心の予定を優先し家族そろっての参詣を心がけていますか?

7,寒、夏参詣の土日参詣や三大会には家族ぐるみで参詣していますか?

8.子供が独立する時、せめて懐中御本尊を護持させるようにしていますか?

9,ご信心のありがたい事、御法門の内容等を折にふれて話をしていますか?

10,ご信心の環境の中で育て、親の御宝前お給仕の姿を見せていますか?

11,ご信者のお助行やお講の姿を見せて、少しでもお手伝いをして貰っていますか?

12,現証のご利益を話していますか?

13,朝晩、外出の時御宝前へごあいさつしていますか。信心だけを教えこまず、家の躾(しつけ)として信心を教えていますか? 

14,御願い、困った事がある時、御宝前へ御願いする事を教え一緒にご祈願し、子供にご利益を気づかせていますか? 

15,子供の信仰上の悩み等の話をよく聞き、子供の質問に答えていますか?

16,お講師、お役中に法灯相続のご相談をしていますか?

17,地道にコツコツ信行ご奉公に親が励んでいますか?

18,我が家の仏立信心入信の話や、ご信心のお陰を折にふれて伝えていますか?

19,教えに厳しくなりすぎたり、家庭をかえりみず、子供の心を傷つけることはつつしんでいますか?

以上いかがでしたでしょうか?もし全部◎がつくようなら、あなたは必ず法灯相続できるはずです。逆に、ほとんど◎がつかないお方は、ぜひ設問を実行してみてください。

家庭の信心を次世代へと繋げていくことは、お教化をひとつ授かるのと同じ功徳になるわけですから、法灯相続が成就できるよう何かしらの努力をしていくことが、大事な親のつとめと申せます。余談ですが、わたしはとりあえず伴侶をさがす努力をせねば…(^_^;)

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信心のバロメーター

朝日1月6日よりスタートした寒参詣も、ようやく一週間が過ぎました。馬鹿正直に申せば、寒参詣中は普段よりも朝が早いので、いつも以上に眠気との戦いです。

本当ならお看経が長く上がって有り難い!となるはずでしょうが、まーそこは恥ずかしながら凡夫というもので、ついお看経ながいな~と思ってしまうことも、たまに…。

だらしのない私の信心前を誡める意味で、お参詣の功徳について振り返って考えますと、そもそもお参詣は信心のバロメーターといわれ、自分の信心の状態を知るために一つの目安となるものです。

口ではどんなに格好つけたとしても、信心歴がいくら長くなっても、お参詣の日数が減ってきたら信心が低迷してきた証拠ですから、これではいけないと即座に改良しなければなりません。

もちろん、病にかかったり足腰が弱まったりで、どうしてもお参詣が出来ない状態もあるでしょうが、中には、病気を治して頂きたい一心で、ツライ痛みをこらえながら、必死にお参りを続けるお方もいらっしゃいます。

お参詣風景
一人では外出することもままならないなら、人をたよって車で一緒にお参詣されたり、自分の代わりにお参りをしてくれと、家族に代参を頼む方もいらっしゃいます。

 


結局お参詣に対する熱意さえあれば、その気持ちが行動となってあらわれるモノで、お参詣のアクションが起きない時は、信心より他のことに気を取られている、といえるのかもしれません。

では何故、そんなにもお参詣が大事なのかといえば、そもそも法華経・妙荘厳王本事品に「佛の処に往詣して親近し供養したまえ」とお示しで、妙荘厳という王様が、仏様のもとへお参詣された功徳で、欲望のままに心を流されることがなくなり。怒りに支配されることがなくなり。誤った見解にとらわれることがなくなった。と説かれているように、お参詣をすることによって、それだけ仏様のお徳を頂戴することができるわけです。

ですから、1年の初めの一ヶ月間をお参詣の強調月間として、できるだけお寺の門をたくさんくぐるように心掛けますと、仏様のお徳によって無病息災の一年となるわけです。

どうか皆さんも自分のためだと思って、寒参詣中に1回でも多くお寺へお参りして、御題目様のお徳におすがりをしてみてください。きっと良い一年になりますから。

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HP担当者新春挨拶

門松新春を迎えましてお喜びを申し上げます。

旧年中は乗泉寺ブログをご愛顧いただき真にありがとうございました。お陰様をもちまして昨年もつつがなくホームページのご奉公をさせて頂け、教務部ブログだけでも一年間に136回の更新をすることができました。

まだまだこちらの勉強不足で、見にくい読みにくい点も多々あったことかと存じますが、これからもより一層と内容を充実させていけるように、関係者一同が異体同心となって努力精進をしてまいりますので、どうぞ本年も乗泉寺ホームページを宜しく御願い申し上げます。

乗泉寺では例年の12月26日に、教務部の人事異動が行われます。それに伴い、ホームページの担当者も随時交代しなくてはなりません。この度も、ホームページの創設からご奉公頂いていた先輩がご自坊に異動されることとなりました。更には昨年度の編集を担っていた先輩も別院へ異動されました。

先輩達の抜けた穴を埋めるには、とても厳しい状況でもありますが、どうしようどうしようと嘆いてばかりもいられません。

さっそく大晦日の晩に、若手の教務さん達みんなに声をかけさせて頂き、ホームページの新たな可能性について話し合うことが出来ました。担当者の枠を払ってみんなの意見を集めることで、これから目指すべき方向性が見えてきたような気がしています。

これまでのように先輩達と同じことは出来ないかも知れませんが、自分たちに出来ることを果敢に模索していって、乗泉寺ホームページにも新しい旋風を起こしたいと考えています。

日頃、お導師より教えて頂いている「水は流れているから清らかであり、流れが止まってしまえば水は濁る」という教えを真摯に受け止め、ホームページのご奉公も清き流れを保てるように、常に進歩改良を目指していこうと思います。

読者の皆様が乗泉寺ホームページを開いてくださった時に、「おっ、何か新しいことを始めたな、どれどれ…」と興味を持っていただけるように、そして、皆様の心に少しでもみ仏の教えをお伝えできるように、教務部一同でがんばっていきますので、重ね重ね本年も宜しく御願い申し上げます。

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