油断大敵

注意を怠り、気をゆるすことを油断という。油断の対象によっては、生命を失うことにもなる。今度は注意しようと自省して、却って好結果を招く場合もある。だから油断大敵ということの背景には、いろいろの問題がある。 

封建時代の武士が、相手を軽視したり、油断をしていると『たとひ鉄の甲冑を着、鉄杖乱力の剣を帯びたりとも油断をして、いねむり寝る大敵をば、如何なる童も是をほろぼすといへり』と可笑記にのべてある如く、子供にも容易に、敵を打亡ぼすことができる。 

生れ落ちて以来、医者の世話になったことなしと豪語する頑健なものでも、過信することは危険である。暴飲暴食すると、内蔵に過重な負担が、加わるので、突然、生命を失うことになりかねぬ。これは正しく、健康管理に注意を怠る油断である。無常にたいする認識が足りないことを思いしるべきであろう。 

涅槃経には、次のような話がある。王様がある家来に、油の一杯入れてある鉢を持ってこいと命令しました。その時、抜刀した男を後から随行させ、もし一滴でも、こぼしたら、即座に命を断つべしと厳命したのです。こういう状況におかれたら、どんな人でも心を最高度に緊張させ、油断をしないでしょう。油をこぼすことは、即座に、命を断つことに通じているからです。ところが、普段、われわれのおかれている状況は、そんな張りつめた非常な環境ではないので、つい油断したり、怠ったりしてしまう。 

然し、実際は、何時臨終とわかっていないのであるから、本質的には涅槃経に説かれた如く、油を持った男がわれわれであり、そのうしろには、抜刀して、一滴ををも見のがさじと看視している男があるのと同じだと思い知るべきでしょう。 

御教歌      何どきが しれぬもの故 信行の    人が油断を せぬもよき哉 

昭和47年4月 乗泉寺通信より

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