八王子彼岸会ご奉公

宝塔今年も春季彼岸会ご奉公者として八王子別院へバスで向かった。例年高速道路の混雑が予想され、朝7時に渋谷を出発するが今年はたったの50分という短い時間で到着をした。 

身読会や青年会の男性陣は墓地へ向かう道路の側溝に溜まった落ち葉を掃き出したり、墓参された方のゴミを集めて回ることを主に行った。都会ではあまり乗ることのない、マニュアル車の軽トラックを運転しながら力を合わせて作業を行う。単純作業であるが、実は結構な重労働である。 

『ご奉公をしてやっていると言う身分でなし』とあるように自分へのご褒美は墓参の方の笑顔とお昼に食べるお弁当と豚汁である。そうこうしているうちに一日はあっと云う間に過ぎてしまい、御礼のお看経をさせて頂き帰りのバスへ乗り込む。このような一日でした。 

また、八王子別院にはご講尊井上日慶上人のお墓もあり、しっかりとお参りもさせていただきました。 

あゆみ会 K.T

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ご披露

ご披露ほ、日時・場所・内容の説明ほもちろん必要であるが、もう一歩突っ込んで、その精神をつけ加えてもらうとよいと思う。「‥‥ということです。」とか、「‥‥だそうです。」というご披露をする人がある。きいている人びとは、どういう風に感じられるでしょうか。 

なんとなく、空ぞらしさを感じて、他人様のことで、私には責任はありませんよ、頼まれたからご披露しているのですよ、というような心ではないのかと思われる。形式的ではなく、私自身のことにかかわる大事で、ぜひ理解してもらいたいという、気迫のこもったご披露をしてほしい。 

内容をよく理解したご披露は、きいていても安心である。あやふやな表現であると、きいている方でもハラハラしながら、きいているので、聞くにたえないような気にさえなってくる。きいている方から、逆に質問されたり、修正されるようなことでは、見ていられない。ご披露の御奉公は、御法門についで重要な役目であるから、もっと研究して心をこめさせて頂くべきものである。 

ご披露の原稿作成して、それを読む人もある。勿論、それであやまりはないのであるが、もう一歩、そのことに関しては、どんな質問にも応じられるよう、事前に研究してほしい。 

逆に能弁な方は、しゃべりすぎる傾向がある。ご披露のわくを超えて自分の宣伝となったり、長すぎたり同じことの繰返しであったりして、過ぎたるは及ばざるが如しという例もある。 

要領よくまとめて、長からず、短かからず、しかもわかりよいご披露がききたいものである。声のよい人・態度のよい人・精神をよく理解している人など、よいお手本も沢山ありますから、人のするご披露を学んで、上手になってほしいものと念願している。 

昭和56年3月発行 乗泉寺通信より

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90歳を迎えて想う

ご披露ほ、日時・場所・内容の説明ほもちろん必要であるが、もう一歩突っ込んで、その精神をつけ加えてもらうとよいと思う。「‥‥ということです。」とか、「‥‥だそうです。」というご披露をする人がある。きいている人びとは、どういう風に感じられるでしょうか。 

なんとなく、空ぞらしさを感じて、他人様のことで、私には責任はありませんよ、頼まれたからご披露しているのですよ、というような心ではないのかと思われる。形式的ではなく、私自身のことにかかわる大事で、ぜひ理解してもらいたいという、気迫のこもったご披露をしてほしい。 

内容をよく理解したご披露は、きいていても安心である。あやふやな表現であると、きいている方でもハラハラしながら、きいているので、聞くにたえないような気にさえなってくる。きいている方から、逆に質問されたり、修正されるようなことでは、見ていられない。ご披露の御奉公は、御法門についで重要な役目であるから、もっと研究して心をこめさせて頂くべきものである。 

ご披露の原稿作成して、それを読む人もある。勿論、それであやまりはないのであるが、もう一歩、そのことに関しては、どんな質問にも応じられるよう、事前に研究してほしい。 

逆に能弁な方は、しゃべりすぎる傾向がある。ご披露のわくを超えて自分の宣伝となったり、長すぎたり同じことの繰返しであったりして、過ぎたるは及ばざるが如しという例もある。 

要領よくまとめて、長からず、短かからず、しかもわかりよいご披露がききたいものである。声のよい人・態度のよい人・精神をよく理解している人など、よいお手本も沢山ありますから、人のするご披露を学んで、上手になってほしいものと念願している。 

昭和56年3月発行 乗泉寺通信より

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2B れんげまつり

花笠音頭ありがとうございます。先日の2ブロックれんげまつりについての体験談を、発表させていただきます。 

れんげまつりと言えば、小学校低学年くらいの時に何回か参加させていただき、お菓子や景品を貰い喜んでいたのを今でも覚えています。 

今回のれんげまつりでは、ただ参加するのではなく、スタッフ(裏方)としてご奉公させていただく事もあって正直、緊張していました。 

私の両親を含め周りの御信者さんは、景品の買出しや、れんげまつりのプログラムを考えたりと、積極的に御奉公に取り組んでいるのに対して、私は学校やバイトがあると言い訳をしながら、結局れんげまつり前々日の24日まで、何も出来ないまま時間だけが過ぎてしまいました。 

前々日のこの日に、ふと思ったことがありました。自分の父親は会社帰りでも買出しや、御助行へ行ったりと頑張っているのではないかと……。父親の頑張っている姿をみて、自分にも何か出来ることはないのだろうかと思うようになり、前日の準備から、精一杯御奉公をさせていただくことに決めたのです。

前日の準備では大抽選会で使うくじを作ったり、景品の確認をしたりと全体の準備がある中、教区の出し物である、花笠音頭。青年会はマル・マル・モリ・モリ!のダンスを、みなさん時間を作り練習に励みました。私はダンスが苦手で、しかもマルモのおきてを見ていなかった自分にとっては、難しいの一言しかありませんでした…。 

れんげ祭り当日では、景品を運んだり机を運んだりとまさに裏方でした。今回御奉公をさせていただいて個人的にも考え方や周りの見方など様々な変化が出来ました。今後は積極的に御奉公に励みたいです。 

ありがとうございました。(K.U)

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教うるは学ぶの半

人に教えることは、教える人にとっても、半分、勉強になる。これに似た諺に「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」というのも同様な意味をもっている。老練家でもときには、未熟者に教えられることがある。 

われわれは立場上、人に教えを伝えるということが多い。その度ごとに「教うるは学ぶの半」ということを感じている。さいきん、学生諸君が熱心に御法門の勉強をしている。その結果、わからぬことや、問題点をききにくる。私なりに努力して、できる限り相談相手になることにしている。いつも、そのときに、思いがけぬ、ヒントが発見されて、私自身、とてもよい勉強になるので、楽しい思いをさせてもらっている。 

教務員諸師が、信者さんを教導しているが、その反面では、信者さんから、逆に教えられることもきっと多いのではあるまいかと思う。殊に、若い教務員には、とてもよい勉強になる筈である。このことは、信者間でもお互いに教えたり、教えられたりという関係があろうと想像される。孤立したのでは、成長しない。ささえあい、教えあうので、お互いに勉強になっていく。 

消極的な人は「人に教えるほどわかってはいないから、とても教えられません」という。これではいつまでたっても、実践的な「ぼさつ行」は出来ない。どんなささやかなことでも、人に教え、伝え合うという姿勢になる人は、教えながら、自分がおぼえていく。進歩する人は、決して孤立しない。 

教化隊、助行隊に入って、教える側の人について、勉強していくと、必ず身についた勉強ができる筈、この好機をはずしてはならない。「化の功、己れに帰す」ということを、今年は全信者が体験して、みんな教化親になってほしいものである。 

昭和54年3月 乗泉寺通信より

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東日本大震災被災寺院の続報④

本日、仙台の妙護寺に応援のご奉公に駆けつけている近藤教要師から電話連絡がありました。現在、寺内の片付けに追われながらも、引き続き信徒の安否確認をすすめてくれています。

ガソリンが手に入らず、また市内の損傷が激しいので町に出ることができないそうです。ガソリンと灯油、ガスボンベ、飲料水が1日も早く欲しいとのこと。 

また、妙護寺の御住職の近藤泉国師から、川口御導師に電話をいただきました。石巻の街の被害は想像を絶するありさまですが、耀護寺の本堂は無事だったそうです。 

またあらたな情報が入り次第アップさせていただきます。

今夜から冷え込みがきつくなるとのこと。被災地の皆様、どうか気を強くもってがんばってください。

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東日本大震災一周忌法要

一周忌法要①11日、乗泉寺本堂において、東日本大震災一周忌法要、並びに門祖550回御遠諱報恩ご奉公促進大会が、日教上人門下一同が願主となり奉修されました。 

第1部は、本堂内陣に設置された大型スクリーンに、プロローグとして大震災の爪痕がまざまざと映し出され、張り詰めた雰囲気の中、当山御導師ご唱導のもと、第1周忌の法要が厳修されました。 

第2部は、門祖聖人讃迎歌を斉唱後、明年、平成25年2月25日にお迎えする門祖550回御遠諱報恩ご奉公成就に向けて、教講一同で御祈願口唱に励ませて頂きました。 

 

一周忌法要②

その後、第五支庁長・川手日成導師より、亡き震災犠牲者の為のご回向口唱に尚一層励ませて頂き、それと同時にもう一つの回向行、すなわち法華経の御本意である妙法の御題目を他の人々にお伝えする教化折伏行に、今こそ勇気を振り絞って励ませて頂かねばならないと激励を頂戴いたしました。 

続いて、宗務総長・佐藤日凰導師より御訓示として、我々宗門人は、この度直面した千年に一度という未曾有の大震災、未だ収束を見ない福島原発の諸問題としっかり向き合いながら、「弘通支援」という、妙法の功徳で復興を後押しさせて頂かなくてはならない。この大震災を契機とした新たな弘通活動への取り組みが、門祖550回御遠諱に向けた御奉公になると捉え、各々が信心を改良させて頂かなければならないと御訓示を賜りました。 

当日は、合計1180名のお参詣を頂きました。

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震災に思う

祈り東日本大震災から一年が経とうとしています。お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 

私は、この震災を通じ、人間の無力さを実感しました。昨年、7月に宮城県へ支援ご奉公に伺う機会がありました。 

そこで見た光景は、想像をはるかに越えた、悲惨な状況でした。全く言葉にならず、ただ立ち尽すばかり。自然の力には、人間は勝てないということを感じました。 

私は、東京に住んでいます。東京もいつ大地震に襲われるか分かりません。震災への備えは当然ですが、本門佛立宗のご信心をより一層強く持たなければと思いました。 

今後どうなるか、人間には予測不可能ですから、ご信心の力を信じて、これから迎える困難を乗り越えられるよう励んでいきたいと思います。 そして、一人でも多くの方に御信心の大切さを伝えていきたいと思います。 

青年会 Y.K

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リスク

花粉症花粉症の季節がやってきました。私は去年から花粉症になってしまい、この季節になると、ティッシュが箱単位で必需品になっています。

花粉症というと、今では日本人の4割が花粉症患者だそうです。その影響か、対花粉症グッズも最近は凄いと思います。マスクや点鼻薬は勿論、加湿器やその他色々な花粉対策グッズが出てきています。鼻の周りに塗るだけで花粉をブロックする塗り薬なんかもあります。 

そんな中で、飲み薬のタイプがあります。この飲み薬は、鼻の粘膜の中にある、ウイルスや細菌を感知する穴がありますが、その穴を塞ぎ花粉が入ってこないようにする薬です。この薬をによって、くしゃみなどの症状を抑制することができるようです。

しかし、この薬には、落とし穴があるようです。先ほど書いたように、花粉をキャッチする穴は同時にウイルスや細菌をキャッチする穴でもあるので、その穴を塞いでしまうと、花粉もですが、ウイルスや細菌もその穴には入りません。この穴を素通りして、ウイルスなどが体内に侵入してしまうわけです。 

そもそもくしゃみや鼻水は、体内に入ってきた細菌やウイルスを体の外に出す反応なので、鼻の粘膜の穴が埋まってしまうのは、身の危険となります。 

要するに、薬や健康食品、色々な健康グッズがありますが、それらを使うときには、それがどういった仕組みで作られているのか、どういった場合に有効なのか、それによる欠点はないかということをきちんと考えることが大事だなと思いました。 

体が元気じゃないとご奉公出来ませんから!

青年会 S.S

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長い目

現在、たいへんな苦しみを受けている人が、こんなツライ目に会うくらいなら、イッソ自殺した方がと滅入った考えばかりが出てきて、打開策を工夫する元気も出ず、自暴の状態に陥っているとします。苦悩が深刻だと無理からぬことですが、その突きつめた心から一歩退いて多少冷静さを取り戻してもらえると、昔からそれ以上の苦境から更生した人がたくさんあったことがわかるし、苦しみというものはいつまでも続くものでないことも悟れます。 

長い目で人生を見てさえもらえれば、死以外に途なしという絶望感からキット脱却できるのです。また、お金があるから幸福だとか、ないから不幸だとかいっても、長い目で見ると必ずしもそう断定できがたいもので、一時的現象を見ての判断は正確でないことが多いようです。善も悪も、幸不幸も、利口もばかも実際は死んでからでないと、本当のことはきめられぬもので、現在好調だからといい気になったり増長したりする。 

また、逆に不幸だからとむやみに悲観をするのは、共に短見者のすることで、長い目で見れば大河の流れの上に浮いたり消えたりする水泡のようなもので、それにとらわれて一喜一憂しすぎるのは、どうかと思います。それに昨日穏やかであった海が今日は怒涛に急変するというふうな環境の変化もありますから、鏡のような海面を舟歌楽しく進んでいるときは、得意満面で失意の人を冷笑したり、信心もへちまもあるものかくらいに気負っていても、いったん海が荒れ出すと、ビックリ仰天して苦しいときの神頼みで急に信心家になったりするものです。 

それでもそれがご縁で信心をホントに起こせる人は悪縁を善縁に転じ得たので結構ですが、喉元過ぎればまた信心のさめてしまう人は、年中同じ所を往きつ戻りつしている進歩のない人で、それでは一歩一歩とものを築き上げることはできません。 

したがって年中安定のない先ゆき不安の生活をしなければなりませんし、その日暮らしの軽薄な人間になります。それが長い目で物を見られる人は逆境に惑わず順境に奢らず中庸を得た暮らし方ができて、着々と腕もみがき、信用も増し、功徳も積めるというものです。

私どもの御本尊、久遠の本仏は、三世十方の諸仏の中で、一番古い、しかも常住不滅と法華経に説いてあります。その最古の仏で常住不滅ということは、一番長い目で人生の移り変わりをごらんになって、かくすればかくなるという因果の道を体得した最上のお方ということです。ですからその教えに信伏し、そのみ教えに従えば、私ども自身は、一寸先は闇の凡夫で長い目で人世を見る力がなくとも、大船に乗ったと同様、安心して可なりであります。 

日蓮聖人が「我れ日本の大船とならん」と仰せられたのは、そのみ教えを弘めるのでほとばしり出たお言葉です。ですから本門の御本尊に信伏し、日蓮聖人のみ教えを信じ持つ人こそ、真の幸福の途を行く人です。 

日晨上人要語録より

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