忘れ得ぬ一言

どなたにも、心に深くきざみ込まれた忘れられぬ言葉があると思います。くやしくて、一生忘れられぬ言葉、その反対に、嬉しくて忘れられぬという場合もあるでしょう。ともかく、嬉しいことや、悲しいことや、苦しいことなど、特別に体験したことは心にしみこんで生々世々忘れずにもち続けていくものです。 

人から云われたことで忘れられない場合、その人の名をきくと、反射的に、忘れられない言葉が頭に浮んできます。その人と、その言葉とが一体となって離れない。又、自分が他人に対して、そういう忘れ得ぬ一言をあたえている場合もあるでしょう。 

自分では、すっかり忘れてしまって、一向気付かないことを、云われた方は、いつまでも忘れられない。その忘れ得ぬ一言が、その人の為になり生きる支えとなっている場合は、問題ではない。反対に人の心を、悲しませ、苦しませているとしたら、大変な罪をつくつていることになります。 

ですから信者の一言は、相手にどんな影響を与えているかを常に反省し用心しながら話されるべきです。いつもよい言葉、建設的な明るい言葉、相手を勇気づけ、ふるい立たせる言葉が巧まずして自然にでてくるようお互いに注意しなくてはなりません。 

その稽古が日常会話に於いて、自然と行われるのです。そのためには物の見方、協力してものごとをまとめ上げる温かい心など、を養うことが大切です。 

不軽ぼさつは、道行く人毎に合掌礼拝して、〝我深敬汝等、不敢軽慢、所以者何、汝等皆行菩薩道、当得作仏〟(私はあなた方を深くお敬い致します。皆さんはお題目を弘通して菩薩行をなされば、皆んな成仏される方々です)の一点張りで、一切の人々の心に狭く印象づけられたのです。私達も、この忘れ得ぬ一言を一切の人々の心に植えつける努力を致しましょう。 

昭和45年5月発行 乗泉寺通信より

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百本祈願で頂いたお教化

ありがとうございます。 昨年の9月のお話ですが、知り合いのご信者さんのお伴で、北海道までお助行に行かせて頂きました。そこで拝見したのは、本現寺さんの御住職をはじめ、ご信者の皆様の一生懸命にお助行に励まれるお姿でした。 

中でも、札幌・信廣寺所属の教化子さんは、筋ジストロフィーという難病と闘いながらも、他のご信者さんと一緒になって熱心に御奉公に励まれており、私を含めた参詣者一同、一生忘れられない体験をさせて頂いたと心の底から感動し、それぞれが信心改良を誓って、北海道を後にいたしました。 

東京に帰ってきた私は、なんとかお教化をさせて頂かなければ、御弘通のお役に立ちたいという思いが次第に高まって、百本祈願をさせて頂こうと思いました。

しかし、仕事をしながらの百本祈願は、寝る時間も殆どないような状態で、思ったよりも大変辛いものでありましたが、北海道で拝見した皆様の御奉公を思い出しては、心を新たにして、なんとか二週間で百本の御祈願を終えさせて頂きました。そんな私の百本祈願でありましたが、始めて三日目のことです。二年ほど前にお寺にお連れした恩師の方より突然お電話があり、なんとお寺に又連れて行って欲しいということでした。本当にビックリ致しました。 

又、このお話とは別に、職場の方で、恩師の方と同様に、以前お寺にお連れしたことのある方がいます。その方が、お供水さんを頂きたくて、夕看経の時にお寺にお参りをなされているということも、百本祈願をさせて頂いてからお聞きして、大変ビックリ致しました。お二人は、まだお教化にはなっていませんが、近いうちに何とかお教化をさせて頂きたいと思っています。 

最後になりましたが、百本祈願を終えさせて頂いた後、以前から正法帰入の御祈願をさせて頂いた友人に電話をして、お会いすることになったのですが、するとその彼女は、ちょっと前に転んで怪我をしており、又会社のことでも悩んでいるということを知りました。 

そこで、すかさずご信心のお話をさせて頂きましたら、彼女の方から『お寺に連れてって』と言われ、本当に驚きました。実はその彼女も、以前お寺にお連れしたことがあるのですが、ご主人がご信心には反対で、この時は入信には至りませんでした。 

今度こそ、このご信心で良くなって頂きたい、彼女の気持ちが変わらない内に早く何とかしたいと思って、私の教化親の石川さんに電話を入れ、お受持ちのお講師にもお願いして三人で彼女にお話をさせて頂きました。それから五日後に、無事御本尊奉安をさせて頂く運びとなりました。 

前回の6月にお教化させて頂いた時と同様に、驚きと感激のあっという間の奉安でした。これも、百本祈願のお看経のお陰、御弘通の思いを込めたお題目口唱の大変有難い事を改めて実感させて頂きました。御法様に心より感謝させて頂き、今後もお教化に気張らせて頂きたいと思います。ありがとうございました!(T.N)

平成22年度夏期参詣 信行体験談集「涌出」より

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くんげ会合同お講

クンゲ会合同お講ありがとうございます。

10月14日(日)、新座別院において、くんげ会合同お講を奉修させて頂きました。当日は、晴天にも恵まれ、くんげ会15名、一般36名のお参詣を頂きました。 

木本誠法師よりご法門を頂き、歯磨きに例えてお看経の大切さを学びました。 

くんげ会担当の植松よりくんげ会の活動報告がされ、次年度以降の音楽隊の活動紹介がありました。 

その後 みんなでドーナツ作りをしました。自分たちの好きな形に作り、食べきれないほど作りました。とても楽しく充実した一日となりました。(R.M)

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無事ということ

御教歌 今日を 無事にくらせる御利益を わするゝ間なく 信行をせよ

 

一日一日を大事に暮らすことです。今日一日二十四時間無事に過ごせるということは、仏様の大きな慈悲の恵みによるものと感謝し、尚一層御看経を頂いて、信心増進に勤めなければなりません。

 

無事ということには、悪い意味と良い意味とがあります。まず、悪い意味から申しますと、悪事をして人に見つからずにすんで良かった。極端ですが、人に危害を与えて発覚しなかった。人のものを盗んで露顕せずに済んだ。口車にのせて人を欺きうまくいった。信心の上では、罪障をふりまき人の功徳を止め歩いてホツとした。御有志をけちって上手く成功した。悪口や陰口を言い合い同調する人が多くなった。お寺のものを掠め取って上手く成功した。

 

これらは、罪障に負けた信者の言うことです。これでいい気になって御法のお蔭だと喜んでいたのでは勘違いも甚だしいと申さねばなりません。御利益は止まり、お叱りを蒙ります。

 

良い意味の無事とは、御法の為に功徳を積まさせて頂いた一日です。まず、念願の教化が一人成就させて頂いた素晴らしい一日です。

 

私のような拙い者の折伏が、相手の心の中に入り、信心を改良して重口んでくれた。奨引の話が出来るようになった。今まではなかなか言いだせなかったが、財の功徳について人に話せるようになった。人に信心の喜びを説くことができた。信心の喜びや御利益談を人に胸張って主張できるようになった。御看経を頂いても、思いのこもった口唱とおざなりの口唱とでは大きな相違があります。今日は真剣な口唱が上げられて良かった。これでなくてはなりません。 

「無事にくらせる御利益」というのは大きな御法のお守りを頂いた一日です。人間とは人と人との間と書き、人が生きるということは、蔭で目に見えない多くの人や物に支えられて生かされて生きている存在です。

お互いは御法の大きな慈悲に包まれて生かされているという自覚を持たねばなりません。自覚が深まると御法を勧め励ますという折伏の心が湧いてきます。 

御指南  「折伏ハ大慈悲也 共時ハはらたちおこるといへとも 終二ハ其真実を知るもの也 故二にくまれにくまれして繁昌する大法也」 

折伏には、怨嫉がつきものです。うらみとねたみです。こちらの言うことをすぐに受け入れ改良してくれれば、こんなに有難いことはありませんが、なかなかスンナリと物事は運びません。「逆縁正意」ですから、逆らいながらついてくるものです。 

騒ぎを起こしても、信心の灯火が消えなければついてきます。信心は生きものとくに腐りやすいです。油断できずいつどうなるか分かりません。今日の同志は明日は敵・今日の敵は明日は友と言う場合がいつでもおこります。御利益を頂いて、喜びに満ち溢れていても、いつの間にか感激がうすれて色槌せてしまいます。 

一、誰が誰に・いつ・どのような話をしたか。

二、それに対して、どの様な反応があったか。

三、どのように説き勧めたか。

四、その結果はどうか。 

この四つの問答の繰り返しが折伏行です。我が強く倣慢で、自信過剰の人に限って、折伏を頂くと腹を立てて怒り狂います。悪口を言われ怨嫉にあったら、罪障消滅だと喜び、褒められたら果報が減ったと思って懺悔の御看経を頂くような信心前を掴むように努めて下さい。

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日蓮と同意ならば

お祖師さまの「生死一大事血脈抄」にのぺられた、異体同心ということばは、一般の辞典にはあまりつかわれていません。広辞苑とか、新・仏教辞典には見あたりません。とすると、日蓮門下、弟子信者にとっての修行上の約束のことばといってよいでしょう。 

わたくしたちの考えや、こころを一つにするという、民主主義的なまとめの約束ではありません。勿論、多数決で決めることを異体同心というのでもありません。高祖日蓮大士の御心に、われわれの心を一致させることをいうのです。私どもの体は、皆、それぞれ個人差があるので、このことを「異なった体」、つまり「異体」というのです。

しかし、体ほ別々であっても、皆ひとしく、お祖師様と同じ心になったところを「同心」というのです。これを組み合わせて、皆んなそれぞれの考えをさておいて、お祖師様の御心と一つになったときを、異休同心というのです。「日蓮と同意ならば、地涌(じゆ)のぼさつたらんか」と仰せられています。 

お祖師様の心とは、何かを徹底的に、うけたまわり、勉強し、話し合えば皆、一致するはずです。お祖師様の御心がよくわかっていないから、異体同心が仲々、実現しないのです。 

お祖師様の心とは、お祖師様の教えを、私心なく、頂くことです。上行所伝の南○経を、われも唱え他にも唱えさせるという実践をせよというのがお祖師様の心です。このことを具体的に実践するとき、そのやり方には、男と女、若人と老人、都会と田舎、時と場所、さまざまな方法論がうまれてきます。 

この点は、人の顔の異なるように、やり方が異ってもよろしい。それは当然のことです。問題はその教を頂いて守り通すという心があれば皆異体同心になれます。 

昭和55年7月発行 乗泉寺通信より

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初めての甲御講

私は、祖母が、知人の紹介で本門佛立宗に入信し、父、母、私へと法灯相続させて頂き、三代目になります。祖母の代から、乙御講の願主として、お席は受けさせて頂いておりましたが、甲御講は受けておりませんでした。 

その理由の一つに、甲御講は連合の皆さんが、お参詣に来られ、お戒壇のある部屋に、みなさんが入れるだけの広さはないので、無理ですとお断りをしておりました。ご信心の有り難い思いはありましたが、不安からか甲御講を受けさせて頂く気持ちが、今一歩踏み出せないでいました。 

母が亡くなった後、私はお参詣や御奉公に気張らせて頂く中、二年前から部長のお役を頂きました。私は部長として、お参詣将引・席主のお勧めの御奉公をさせて頂くにあたり、私自身も甲御講の願主としてお席を受けさせて頂かなくてはならないと戸惑いもある中、でもこの環境では無理と自分に言い聞かせておりました。 

そのような時、連合長さんから「部屋の狭さや環境等を理由に受けられないのは、単なる断り文句であり、受けさせて頂く気持ちがないからではないかと問われ、お受けする気持ちがあれば、どんなに狭くてもどんな環境でも、皆さん工夫され、努力してお受けしているのです。」と言われ、そこで私は確かに大変さが重くのしかかり、お受け出来ない理由を自分の都合で安易に答えていたように思い、これではいけないと思い、甲御講を受けさせて頂こうと思いました。 

そして同時期に、私の生活環境が変わる出来事がありました。それは、連合の甲御講にお参詣させて頂いた時のことです。急に私の携帯に今住んでいるマンションの大家さんから連絡が入り、「こちらの事情で申し訳ないが、すぐ立ち退いて欲しい。」とのことでした。 

私は一瞬、頭の中が真っ白になり、どうしたらよいのかわからなくなり、不安でいっぱいでした。事情を連合の方に相談させていただいたところ、皆さん心配くださり、また不動産関係のお仕事をされている方もおり、話を聞いて頂き、部屋を用意してくれるというお話も頂いて、安心し気持ちも落ち着いてきました。 

ですが私は、甲御講を受けさせて頂く気持ちになって、準備をさせて頂いている中での出来事でしたので、何でこんな事になるのかと疑問をもちながらも、連合長さんのお折伏をあらためて思いだし、ただひたすら、早く甲御講を受けられるようにと、ご祈願を続けさせて頂きました。 

すると立ち退きをお願いされた大家さんから、「急なことで申し訳ないことだから、よろしければ新しく建てた所があるので。」と、部屋を用意して下さいました。私はまず第一に甲御講が受けられる部屋との思いでしたので、大家さんにその旨を伝えたところ、大家さんは大変ご信心を理解してくださる方で、部屋の環境も問題なく、すぐ決めさせて頂きました。 

最初は急な出来事で、不安はいっぱいでしたが、きづけばすんなり事は進み、連合の皆さんに支えられ、御法門聴聞で学んだこと、お折伏を素直に実行させて頂けば、全てが良い方向に導いて頂け、必ず御利益が頂ける事を感得させて頂きました。当初予定していた甲御講の日も延びることなく、私は喜びと感謝の思いで、甲御講願主になり、お席を受けさせて頂く事が出来ました。 

新たな環境の下で不安はありましたが、当日初めての甲御講は、素晴らしい秋晴れに恵まれ、御導師に奉修して頂き、玉川連合のみなさんのご協力と沢山のお参詣を頂き、亡き祖父、父、母がきっと喜んでくれていると思います。 私は正宗徒になってまだ三年足らずで更なる努力が必要であります。 

今年の総祈願には、正宗徒増加が掲げられていますように、一人でも多くの方が、喜びをもって正宗徒になられるよう、私の経験、そしてこれからも熱意をもって、周りの方々にお伝えさせて頂き、役中としての御奉公に励まさせて頂きます。(S.K)

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明日の予告

コスモス明日7日(日)は晨朝勤行後9時まで教化道場です。

その後9時30分より「信徒教養講座」が開講されます。 

今月は、村田信昴師より、「数珠、娑婆、十界、三世間、五濁悪世」についての講義です。 

受講の対象は全信徒です。特に班長さんは、乗泉寺賞の対象となりますので、進んで受講させていただきましょう。

青年会、あゆみ会の皆様も、積極的にご参加下さい。

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家族ぐるみで

家族ともどもにとか、家族全体でという意味で「家族ぐるみ」という言葉を用います。ことに信心は「家族ぐるみ」が理想ですから、参詣も、お看経も家族ぐるみでなさいませ……と、ご披露の際にはすすめるわけです。 

あるお寺では、信者ほ毎日一万べんのロ唱を家族ぐるみでしましょう……とすすめています。五人家族なら一人が二千べんずつロ唱をすれば、一日一万べんになるという計算だそうですが、何とかして「家族ぐるみ」の信心をさせ、口唱にはげむようにさせたいとの苦心の結果打ち出されたススメ方と想像されます。 

婦人の信者で、よくご奉公もし、お教化もする人が、家族に対しては朝夕の御宝前のおつとめもやかましくいわず、放任主義の人があります。はじめはキット、アノ手コノ手ですすめたのでしょうが、思うようにならない。強いていうと家族同士がにらみ合う形になりそうで、時期を待つより仕方がないと、折伏の矛をおさめ、せめて自分だけご奉公ができれば、ありがたいことだと観念して、家庭外でのご奉公に専念しているからでしょう。実際家族はニガ手な場合が多いものです。

なかには会社で、上役には必要以上にべコペコしているクセに、家庭では御宝前にお辞儀一つしないで、ふんぞりかえっている倣岸非礼な男性もないわけではありませんから、奥さんの心配もたいへんです。しかも、子どもが成長するときまりが悪いのか、増長して信心を軽しめるのか、母親に同調しないで、反抗的なのも相当おります。ですから家族ぐるみと口でいっても現実にはそう簡単にはまいらぬのが普通でしょう。 

この頃、特に気がつくのですが、正月元旦の神社仏閣の参詣者の増加です。日頃はぜんぜん神社など顧みない人が正月は出かけるのです。しかし、最初の一回はやっても、後ほ放ったらかしです。日常の勉強とか経験の積み重ねの大事なことを忘却していて、しかも横着なやり方で満足している人もいますから、形式的な家族ぐるみも警戒を要します。 

今度の日蓮大士ご隆誕七五〇年記念の報恩教化育成ご奉公を貫徹するには、家族の信心を自覚するのが第一歩と考え、教化誓願者増加運動の一環に、夫婦や親子が組んで一戸の教化誓願を立てるようすすめております。あるいは五人家族が連名で誓願者となるのもけっこうです。

要は家族をホッタラカシにせず、家族ぐるみで教化のご奉公に関心を持ってもらおうというのです。家族のことですから逃げもかくれもしませんから、落ち着いて無理強いしたりして摩擦を起こさぬように用心し、知恵をしぼり真剣にご祈願をして「家族ぐるみ」という、理想的な家族が増加するよう気張りましょう。

日晨上人要語録より

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10月に入りました

秋のススキ未明の台風は雨・風ともに激しく、生活に支障がでた方もおられると思います。一転本日は晴天となりました。空もすみわたり心地よく、秋を感じる10月です。季節の変わり目でもあり、健康に留意して、日々御奉公に励んでまいりましょう。 

○10月の行事予定 

6日(土)第1回 信徒授級説明会(渋谷 午前9時半~11時)

7日(日)信徒教養講座(午前9時半~)

8日(月)婦人会大会(渋谷 午前10時~)

13日(土)高祖日蓮大士祥月御命日総講(渋谷 午前10時半~) 

※今月は、お祖師様の御祥月御命日です。報恩のためお総講にお参詣し、また、人助けの菩薩行に励み、教化各部一戸達成させて頂きましょう。

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