ものおしみ

美人は、みんなにチヤホヤされ金持も多くの人にモテます。しかし吝嗇(りんしょく・ケチの意)で手前勝手で温か味がなかったりすると、しまいには愛想をつかされて、美貌もお金も魅力を発揮しなくなります。

愛されるのには、まず他を愛する人にならねばだめです。夫婦間でも、親子の間でも同様です。老人と若人との摩擦でも、むろん、若い側の未熟さが原因している場合もありますが、年寄りの側にも、相当考え方の間違いがあるものです。

老い先の短い年寄りだから、若い者こそ老人にサービスすべきだと一途にきめています。ところが、なかなか若い者は年寄りの思うようにはやってくれない。それで老人は愚痴や不平をいうのです。

そんなときに、こちらが与えなければ、相手も与えてくれないということを、とくと考えてもらいたいのです。金品を出せなくとも、精神的な贈り物は、いくらでも出せます。それを出し惜しみして、要求ばかり考えていると、その要求が通らぬばかりでなく、親子間にヒビがはいって、不幸を招きます。

苦を厭わず、若い者の手助けを本気でしてやるのがよいのです。その努力を死ぬ間際まで続けるのです。一回限りでやめないで、何回もするのです。しかも、カビが生えないように、日々工夫をして愛情の新鮮さを保つのです。

そうするとかえって自分がいつまでも愛される結果になるのです。親だからと子どもに親切の出し惜しみをしてはだめです。勤労者も執務時間中は、精一杯骨惜しみなく働くのが幸福の鍵です。

信心では不自惜身命です。御法様のお喜びをいただくように、倦まず弛まずおつかえをする。それが御利益をいただく道です。

「ほねをしみ すこい事して むくはぬと 思ふは因果 しらぬものなり」
と御教歌にお示し
で、こちらの出方が大事です。ですから、信心では 「物惜しみ」を厳戒します。ロ唱は、声も惜しまず唱うることが肝要で、すすんでたくさんロ唱ができるよう努めねばいけないのです。また、

「のりの為 ひまほねをしむ 人たちの 何んのいのちを 捨るものかは」
と御教歌にありますが、ご奉公の時間を惜しんだり、身体の労苦をきらって、ご奉公を億劫がったり、不精をする人は、不自惜身命の積極性も熱意もない信心ですから、御利益はいただけません。ですから

「惜まるる 心にかちて 目に見えて 供養参詣 するが折伏」
という信心ぶりに、ぜひ改良してほしいのです。

生活建直しの場合でも、まごころの出し惜しみ、研究心の出し惜しみ、不勉強、善事を億劫がってしないことなどの短所のあることに気がつくことが肝心で、物惜しみの損害の大きいことをよく悟った信者にならないと、信心したかいがありません。ご用心、ご用心。

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