弘通促進大会の報告

立教開宗口唱会去る4月28日乗泉寺に於いて弘通促進大会が開催され、併せて立教開宗記念口唱会が奉修されました。

当日は、寺内信徒419名のお参詣があり、立教開宗記念日ということもあって熱のこもった報恩の口唱行をさせて頂きました。

お供え教化3戸成就お看経の後は、乗泉寺布教区長・宮崎正良師より乗泉寺の弘通現況報告がなされ、来る平成29年にお迎えする開導聖人ご生誕200年慶讃御奉公「佛立開花運動」を意義あるものとさせて頂くべく報恩教化の花、役中後継者養成の花、正宗徒増加の花を咲かせましょうと激励を頂きました。

顕彰式その後、平成25年度、26年度教化各教区3戸成就の顕彰式が執り行われました。そして、全ブロックの弘通現況報告と決意表明が各ブロック長より発表され、各々のブロックの課題や反省点を見なおし、信心改良をご宝前に誓願させて頂きました。

佛立開花運動


最後に御導師より、決意表明が言葉だけに終わらず実行できるように、皆でお折伏をしたりされたりし合いながら御弘通を前に進めましょう。と励ましのお言葉を頂戴しました。

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就職成就のお計らい

この度、専門学校の無事卒業成就と、無事就職成就のご利益を頂きましたのでお話させて頂きます。

専門学校三年生の夏頃から就職活動が始まりましたが、中々良い条件の所がありませんでした。住んでいる所から一時間位で、お寺参詣もスムーズに出来る場所へとの御祈願を立てさせて頂き、就職活動の開始です。

一件目は多摩市内の病院で京王線沿線でした。見学してから面接まで時間を置いてしまった為、残念ながら落ちてしまいました。
二件目に選ばさせて頂いた所が今の病院になるのですが、何しろ通勤に一時間半弱かかる事が分かり、通いきれるか不安がありました。

ところが、病院側から僕の学校の方に連絡が入り、「寮を完備したので、誰かいませんか」との事でした。すぐさま見学希望をして病院に行く当日になりましたが、病院に行く事に夢中になってしまい、学級担任より「履歴書を持参した方が良い」と言われた事をすっかり忘れ、病院見学へ行ってしまいました。

後日、履歴書を郵送してから改めて病院へ面接に行かせて頂きました。面接して頂いた日に採用が決まり、一安心というよりもビックリの方が先でした。

また、同じ学校の同期生も同じ病院の採用が決まっており、自分を含む4人を採用して頂き、現在は精神科病院の看護科で看護助手をしています。新座別院からも割りと近い所にあります。

4月から病院が用意して頂いた寮で暮らしています。学校の方も補講が5教科から7教科とありましたが、無事に合格して卒業し、現在に至っています。

今までもご利益を頂いて来ましたが、この度は自分にとりまして、大変大きなそして素晴らしいご利益で驚いています。これからもしっかりお看経を頂き、お給仕からお寺参詣、お講参詣等、御奉公に励まさせて頂き、仕事も勉強も専念して行きたいと思います。(M.S)

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乗泉寺宝物「からかさ」

からかさ1

先日、乗泉寺にある宝物庫の整理を教務部でさせていただきました。

その際、いくつかの宝物の写真を撮りましたので、その中から良い物を随時、載せていこうと思います。

今回は、その中から開導聖人がお描きになられた掛け軸を紹介させていただきます。

この掛け軸は、縦120㎝、横40㎝ぐらいの大きさで、美しい文字の配置と絵の絶妙なバランスが何ともいえません。

 

間違いのきかない墨絵で、迷いなく一筆でさらっとお書きになるのは難しいことだと思いますし、その奥にはとてつもない技術の裏付けがあったことと拝されます。

からかさ2上には、「やぶれても をれてもさせる からかさを 金魚にかへば タッタ一疋」という御教歌が書かれ、下には、明治時代の庶民の何気ない生活風景を描かれています。

絵が入ることによって歌のイメージをより具体的にされるというお心遣いをされてます。

御教歌の意味は、破れたり折れたりして廃物同様になった和傘でも、さそうと思えばさせるその傘を、「金魚~、金魚~」と売り歩く金魚の行商人に出せば、金魚一匹と交換してくれる風習が、大正初期までの関西地方にありました。

 

からかさ3この御教歌の背景として明治12年4月、大井ゲンさんという女性が商売をかえようとして、開導聖人にご相談をしたところ、物事をすぐに諦めてやめるのではなく、よく創意工夫や努力をすることが成功の道であるとお諭し下されたそうです。

御奉公に当てはめて考えてみましても、

あの信者は駄目だとこちらの真剣な育成御奉公を抜きにして、簡単に投げ出してしまってはいけません。育成の工夫をして、どうすれば御利益を感得させられるかを考えなさい、とお教え下された御教歌です。

(出典:御教歌事典 御法門資料要録)

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弘通促進大会のご案内

牡丹来る4月28日(月)10時より乗泉寺において弘通促進大会が開催されます。
本年の弘通促進大会は、立教開宗記念日に行われ、併せて口唱会をさせて頂きます。

お祖師様は、御年32歳の1253年4月28日に、千葉県の旭が森において、東天紅と昇る朝日に向かって、声高らかに南無妙法蓮華経とお唱えになられました。その時、天地は感動して空には吉祥の鶴が数羽、舞い上がって立教開宗を祝い奉ったといいます。

今日、私達がこうして御題目を唱えられ、御利益を感得できるのもお祖師様の御蔭なのですから、その御恩に報いるためにも、部内班内に将引を徹底して、口唱会に参加させて頂きましょう。

また、口唱会の後は、開導聖人ご生誕200年慶讃御奉公「佛立開花運動」の全ブロックの弘通現況報告・決意表明と教化各教区3戸成就、顕彰式を執り行います。

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目標を持て

日々の生活に目標のある人は幸福な人です。目標を持った生活にこそ人間の底力とか、尊さがあらわれるのであって、目標のない生活には、それがあらわれないからです。

無目標ではすること、なすことに力が入らず、惰力で暮らす状態ですから、下落こそすれ、向上発展の活力は出ないのです。そしてさらに気の毒と思うのは、目標なしの生活が、下の生活だと気がつかず、平気でいる人が多いことです。

むろん、失業でもして不安裏に今日を送っている人々比べれば、職を持って暮らしている人は幸せにちがいありませんが、無目標の生活を繰り返していると、いつの間にか目標を持つことをぜんぜん考えぬようになり、目標をめざして努力する勇気がなくなり、輝かしい希望を失い、したがって人間本来の楽しみが消滅してしまうことです。

信者でも、目標なしの信心では低調となります。たとえば、ご祈願をかけても、そのご祈願が自分にとっては大事な目標だと自覚せずお願いしておけば、自然に成就するぐらいの考えでは、ご祈願が御利益を生み出す機縁にはなりません。

御宝前にご祈願した以上は、目標達成にさらに拍車をかけ、何がなんでもという意気込みを起こす。天は自ら助くるものを助くと心得た方がよいのです。万難を排しても目的達成に精進するという真剣さでご祈願をしてこそ、その験が見えるのです。

またご祈願申し上げたのだからさらに信心改良をして気張らねばとなってこそ、ご祈願の真意を心得たやり方と申すべきです。そうなれば、気構えが違ってきますから、信仰に生きがいを感じ、信心ぶりも、生活の態度も能転し、婆婆が積功累徳の場となります。

目標を持つ信心、目標のある生活、それが信者の理想です。手近なところから目標を立てる練習をやってみてください。

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門祖会のご報告

お参詣風景4月12日・13日は乗泉寺において春の御会式の門祖会が合計8座奉修されました。2日間とも晴天のお計らいをいただき、総合計約5550名を越えるお参詣をいただきました。

今回は4年に一度の御講有巡教で、信寿会参詣強調の座、班長参詣強調の座、青年の一座などが奉修され、それぞれ多くのお参詣、御奉公をいただきました。

一週間前より寺内清掃、またテントやテーブル等の設置等も行われました。そして教区、部内でも将引が行われました。紅白の鯨幕も張られるなど、お会式らしい雰囲気が出るよう沢山の方々に御奉公いただきました。 

また当日の早朝より各部署の準備・受付の御奉公をされた方々、参詣統計や信行相談、他寺院の案内、本堂での拍子木の御奉公、席上案内、エレベーター係、ご供養係、各部署での接待係、お供水係、救護係、境内やトイレ掃除係、霊堂係、シャトルバスの誘導や車の交通整理をされた方々。

にこにこパークやベビールームで御奉公された青年会やあゆみ会の皆さん、元気な挨拶でお参詣者を出迎えてくれたスカウト会の皆さん等々、多くの御奉公者が教講一体となって無事に門祖会を奉修させていただくことができました。ありがとうございました。

次回のお会式は、夏のお会式開導会が6月7日・8日に奉修されます。今回お参詣をされていない方を中心に今の内から将引の御奉公をお願いいたします。

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門祖会の体験談2

ありがとうございます。第4ブロック青年会のI.Nです。今年受験した高校入試についての体験談をご披露させていただきます。

私の第一志望は、都立高校で、1月の推薦入試を受験することになりました。それを聞かれたお講師や、青年会、あゆみ会の方々が一週間の詰め助行をしてくださることになりました。

初日には35名という大勢の方が来てくださり、なかには何日もあったお助行のほとんどに来てくださった方がいて、とても心強く感じました。

大勢の方々にお助行をして頂いたおかげで、推薦入試に、絶対合格できるという自信が出てきて、試験に挑むことができました。

しかし、結果は不合格でした。合格できなかったことがとても悔しかったのはもちろん、もう自分の志望校に行けないという絶望感や、なによりお助行に来て頂いた方々に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

また、お寺参詣やお看経をがんばって、お助行もしていただいたのに、なぜ合格できなかったのだろうと、ご信心への疑いを心のどこかで持つようにもなってしまいました。

そんな時、お寺参詣した際にお講師から「御利益の頂き方は人それぞれ違うし、受験結果の良い悪いは、私達が決めるのではなく、ご法様が決めることだから、不満をもってはいけない。又次の試験に向けてお助行に頑張ろう。」と声をかけていただき、さらに一週間の詰め助行をさせて頂くことになりました。

正直な気持ちを言うと、お助行を勧められた時に、御看経よりも勉強を優先した方が、良いんじゃないかという迷いもありました。でも、お助行をさせて頂く中で、推薦入試の不合格に落ち込んでいた気持ちを切り替えることが出来ました。

そして、お寺参詣やお看経だけでなく、自分が出来ることを一生懸命にやろうという気持ちで受験勉強にも打ち込むことが出来、2月の都立一般入試に挑戦することが出来ました。

ところが、試験が始まると緊張してしまい、前回の推薦入試の事や倍率の事を考えてしまい、とても不安になり、今まで出来ていた問題が分からなくなってしまいました。

その時、「緊張したらお題目をお唱えする」とお講師に教わっていたことを思い出し、つぶやくほどの小さな声ですが「南無妙法蓮華経」とお題目をお唱えしてみました。すると、自然と緊張がほぐれて、もう一回解けない問題を冷静に考えてみると、その問題が分かるようになり、改めてお題目の凄さを実感して、他の問題にも挑むことが出来ました。

そして結果は、希望していた都立高校に無事合格することができました。今は合格して、高校生になって一安心という気持ちですが、思い返すと、疑いや迷いの心に負けて、もしもお助行を受けていなかったら不合格だったように思います。

今回は自分がお助行に来て頂き、皆さんに助けて頂きましたが、今度は、お助行に来ていただいた分を自分がお助行に足を運ぶ番だと思っています。また、お看経もご奉公もより一層頑張りたいと思います。ありがとうございました。

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門祖会の体験談

4月13日(日)第3座 11:30~の座に於いて、発表いただきました体験談を掲載させていただきます。

「正宗徒になって」 

私は小さい頃から母に連れられ乗泉寺にお詣りしていました三代目の信者です。その母も高齢になりケアハウスの入居基準を満たさないということから、介護老人保健施設の入居を余儀なくされていました。

施設に入居するにあたって一番の問題は、御戒壇をお共できるかということでしたが、残念ながらその施設には持ち込むことは叶わず、御本尊と御尊像は兄嫁に相続してもらうことになりました。

それから五ヵ月後母は帰寂いたしました。

しかし、母の葬儀の日に、兄嫁はこれ以上、御本尊・後尊像は護持出来ないと言い出してしまいました。長年母が続けてきた本門佛立宗の御信心も、これで無になってしまうのかと思っていましたが、次男の私が相続しても構わないということを御講師から教えてもらい、御本尊・御尊像をお迎えさせて頂くことになりました。

しかし御本尊様、御尊像様も長年経過しておりましたので、痛みが激しい為御修復をしていただく事になり、それから半年後(平成24年10月31日)にやっと御修復が終わり、我が家にお迎えさせて頂いた次第でございます。

私の父は生後11ヶ月のとき戦死してしまい、母は戦後の厳しい社会状況の中、女手ひとつで私達兄弟を育ててくれました。真に有り難い事に、私達兄弟はごく普通の生活を送り、私は高校大学も無事卒業することが出来ました。

現在、私は佛立信者として「正宗徒」となり甲の御講や乙の御講に参詣させて頂いたり、日々安心してお題目をお唱えさせて頂き、様々な御利益を頂戴するという、この上ない身の上とならせて頂きました。

これも、ひとえに母が長年お題目を唱えてきてくれたおかげであると痛感しております。私が頂いた御利益の中で、最も大きな御利益は私が50歳の時のくも膜下出血で救急搬送された時です。

意識がもうろうとする中、救急隊員の呼びかけに私はある病院の名前を答えたのですが、その救急隊員の方は私に疑問を投げかけて参りました。ですから私は全権を救急隊員の方に委譲をしました。その後、救急車で搬送された病院の当直医は脳外科で、私の症状を聞いた瞬間、その担当医は「心配しないでもいいですよ、もう大丈夫ですから。」と声をかけてくれ、手術後48時間経過した頃、私は意識を回復しました。

すべてが御利益で、私は後遺症もなく完治することが出来たのであります。

後で聞いたのですが、母は手術の間ずうっとお題目を唱え続けていたと話してくれました。信心をされていない方からは、「運が良かったですね。」を言われますが、これこそが、真のご信心である本門佛立宗の現証利益だと思います。

今現在、私はこの御信心を残してくれた母に感謝すると共に、母がまごころを込めて真剣に唱えていた「御題目口唱」に近づけるよう努力をして、家族みんなに御利益が頂戴出来るよう、精一杯ご信心を心掛けております。

昨年の5月には二男が入信をしてくれ、川口御導師より「入信の証」を直接手渡していただきました。四代目のご信者の誕生です。また、長男には今4歳になる男の子がいますが、我が家に来ると、真っ先に御戒壇の前に行き、お線香を上げ「なむなむ」と彼なりに一生懸命拝んでいます。五代目候補でしょうか。

この尊い御題目がこの孫まで相続出来るよう、ゆっくりと焦らず育成に励まさせて頂きたいと思います。ご清聴ありがとうございまいた。

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生き甲斐

人間と他の生き物とのちがいは、生き甲斐をもとめるか、もとめないかという一点にあると思う。人間も、その他の生き物とは本質的にちがいはないが、生き甲斐という点になると、他の生き物には一寸手におえぬ次元にぞくする。

さいきん新聞や雑誌などで、この問題が採りあげられてきた。何を生き甲斐とするかは、人によって違うのは、顔の異なるごとく当然であるが、大体、共通点をあげることができる。

人間の求める最大公約数的な生き甲斐は、極端にいうならば、幸福の追及ということにつきる。子孫の繁栄も、個人の富も、家庭の平和も、所詮は個人主義という土台の上に築かれた幸福をもとめているにすぎない。

ところが、個人の仕合せが平等に得られないで、不幸な人が一方には存在している。ということを冷静に考えていくと、個人の仕合せをもとめることが、果して、人間の生き甲斐として、価値あることなのかどうか、一抹の空虚感を消し去ることができない。

ところが、自分中心の幸福追求主義を、他人中心の利他主義に切りかえてみると、どういう現象がおこるか、これは決して、不可能なことではないので、試してごらんなさい。

自分中心の幸福追求には味わえなかった生き甲斐が感じられるのです。元来人間は、利他本意に出来ていて仕合せを感得する動物であったのに、どういうわけか、自己中心主義に軌道が変わってしまったらしい。

さいわい、法華経の極意も、実は、人を助けんとする利他的行為の中に、自らも助かるという教えが説かれている。

われわれの一挙手一投足が、利他的行為に結びつくならば、そこにすばらしい生き甲斐を発見することはまちがいないと信ずる。

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